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エルフ荒川、先輩・蛙亭イワクラへの感謝。かけられた言葉に「ホント震え上がりました」

2023年の『女芸人No.1決定戦 THE W』で、準優勝したエルフ。

左から:荒川、はる

荒川の“ギャルあるある”でバズり、漫才やコントでファンを獲得しブレイク中のエルフだが、実は最初のころはギャルを封印していたのだという。

根っからのギャルである荒川は、なぜ本性を隠していたのだろうか。そしてその封印を解除したキッカケはなんだったのか。

THE Wで結果を出すまで「毎日が地獄」だったというエルフに、覚醒の瞬間から東京進出、そして賞レース決勝の初舞台と、準優勝までのストーリーを聞いた。

◆ギャル芸人として覚醒した日のこと

――エルフのおふたりは、2017年に芸人の養成所であるNSCを卒業しました。2022年に上京するまでの5年間は大阪で活動されていましたが、当時から今の芸風だったんですか。

荒川:全然違いました。私はまだギャルを出しきってなかったんです。最初のころのことはあんま記憶ないけど……超若手のころって女の子の漫才師がほとんどいなかったから、女コンビってだけで目立ってたんですよ。

だから存在だけは知られていて、バトルライブでも票を集めやすい。だけど実際のネタはスベってるみたいな状態で、それがつらかったです。作家さんにもボロカスに言われてましたし。芸歴1年目の初舞台からギャル漫才にたどり着くまでは、めちゃめちゃつらかったです。

――もともとギャルだった荒川さんは、なぜギャル的な要素を舞台では見せなかったんですか。

荒川:芸人がギャルやってたらダメだと思い込んでたんです。でもかわいい格好はしたいから、中途半端におしゃれはしてて。今考えると「自分どっちなん?」ってわかるんですけど、当時は迷走してました。

――はるさんから、荒川さんの迷いに対してアドバイスすることはなかった?

はる:自分自身のことで精いっぱいで、荒川が迷ってることには気づなかったです。そもそも私も「ツッコミが強すぎる」とか「立ち方がおかしい」とかずっと注意されてたんで。ずっと荒川に頼りっきりだったんですよ。

平場も荒川が前に出て、私は一歩も動けない。自分がどうすればいいのか、どうしたいのか、それがまったくわかりませんでした。

荒川:芸人になってからしばらくは毎日楽しいのに、すっごくしんどかった。昔は芸歴8年目で劇場レギュラーになれたらってノリで、売れたい気持ちもなかったんです。でも、よしもとで芸人やってるうちに負けず嫌いになっちゃって勝てないのがつらくなった。子供のころずっとやってた空手でも勝ち負けとか気にしてなかったのに。

――お笑いで負けるのは悔しかった。

荒川:っていうより、よしもとに性格を変えられたんですよ。若手のころからバトルライブでずっと戦わされるから、いつの間にか「クッソ、ふさけやがって!なんで私らが負けんねん!」って思うようになってた(笑)。

――その苦しい状況をどうやって突破したんですか。

荒川:初めてお笑いに興味がないお客さんたちの前でネタをやったときに、“第3のカラコン”が開いたんですよ。

はる:そこは「目」でいいけどな。

荒川:私らのことをまったく知らなくて、お笑いも好きじゃないお客さんは、当時の自分みたいに中途半端な見た目とキャラの芸人は、見方がムズいやろうなって気づいたんです。

だからここで思いきって変えてみようってことで、普段のギャルっぽい私で「うぇい!」とか言ってたらウケたんです。そこでギャルのまま芸人やっていいんだって吹っ切れてからは、ネタも作りやすくなったし、平場もしゃべれるようになりました。

――突然の方針転換を、はるさんは否定しなかった?

荒川:はるはいつだって「わかった」「了解」「いいと思う」しか言わないんですよ(笑)。

はる:荒川の言うことには全部乗っかってきました。荒川に言われたことで「イヤやな」って感じたこともないんです。

荒川:たまには意見くれよって思いますけどね。

はる:ホンマにないんです(苦笑)。

◆TikTokでバズって、宗右衛門町でフィーバー

荒川:ギャルを解放してからは、マンゲキ(よしもと漫才劇場。大阪よしもとの若手が活躍する)でもレギュラーになれました。4年目ですね。

――8年という目標の半分でそこまで行けたと。

荒川:自分でも「はやっ!」って思いました。でも活躍してる芸人さんってみんなネタを作る量もハンパじゃないし、ネタ合わせの真剣さも全然ちゃうから、ここからもっとがんばらなきゃと思いました。でもそれは全然つらくなくて、むしろがんばらないと落ちちゃう世界っていいなって感じでしたね。

はる:当時はまだ見取り図さんとか、アインシュタインさんがいらっしゃいましたね。芸歴がちゃうから、バトルライブでは一緒になりませんでしたけど。

荒川:カベポスターさんとか、ダブルヒガシさんもずっと一緒だった。あと、天才ピアニスト。先輩でいうと、蛙亭のイワクラさんにはめっちゃお世話になってて。

私って見た目とノリがチャラチャラしてるから否定されがちだけど、イワクラさんだけはずっと「エルフは絶対劇場上がれるから、大丈夫やで」とか「荒川はそのままのほうがおもしろいよ」って言ってくれたんです。その言葉もあって、私はギャルとして舞台に立てたのもあります。

――いい先輩ですね。

荒川:「荒川は時間かかると思うけど、絶対みんながわかってくれるから。ウソつかずにそのままやっていっていいよ」って言われたときは、ホント震え上がりました。でもイワクラさんって私が相談するまでは、何も言わないんですよ。「こうしろ」とか言われたことって一度もなくて。本当に感謝してます。

――劇場に上がったのが2019年ですが、翌年にはコロナ禍になりました。

荒川:それで劇場の出番がなくなったんで、TikTokとかで「ギャルあるある」の動画を上げ始めたんです。その動画と『おもしろ荘』(日本テレビ)で知ってもらえるようになりましたね。

――TikTokに動画をアップするようになったときは、これで売れるぞと狙っていたんですか。

荒川:全然です。やれることがないからやってただけで。NSCのころから、ネタを考えるときは「あるある」とか切り口が大事ってめちゃめちゃ言われてたんですけど、私それめっちゃ苦手なんですよ。でもギャルのマネだけはできるなって。

昔はずっとギャルと飲んでて、「なんでこんな不毛な時間過ごしてんねん」って落ち込んだ時期もあったんですよ。毎日朝5時まで飲んでヘコむのに、それをセーブできない自分がホンマにイヤで。でも、そのとき一緒にいたギャルたちの「あるある」を動画にしたら、お笑いが好きな人とは違う層にまで私たちを知ってもらえたんでよかったなって。

――不毛だと思った時間も、無駄じゃなかったんですね。

荒川:(大阪の)梅田歩いてたら、ビール缶持ってるカップルが「荒川やん!見てんで!」って声かけてくるんですよ。声かけてくれる人がみんな缶ビールかチューハイ持ってましたもん。シラフの人に知られてなかった。一回、宗右衛門町(大阪の歓楽街)で「荒川フィーバー」起きたし。

はる:どこでフィーバー起きてんねん。

荒川:そうやってSNSのフォロワーが増えて、逆にお笑い好きとか芸人にも認められるようになりましたね。

◆上京後は毎日が地獄

――2021年正月に出演した『おもしろ荘』はどうでしたか。

荒川:あれが人生で一番緊張しました。全国ネットも初めてやったし。あのころは毎日動画アップしてネタ合わせしてましたね。

はる:ふふ……。

荒川:取材中に思い出し笑いやめてや(苦笑)。

はる:いや、急に「てーれーてーれーてれってれってって♫」って『おもしろ荘』の出囃子が頭に流れてきて。緊張したなぁ〜って思い出してしまった。

――手応えはありましたか。

はる:いやいや、ないです。

荒川:やす子ちゃんとかおったしな。優勝はダイヤモンドさんやし、私らは全然ダメやった。でも『おもしろ荘』に出た芸人ってことで、2021年は大阪の番組にたくさん出させてもらったんです。憧れてた番組は全部出してもらえたんで、じゃあ来年は東京行こうって決めました。

はる:私は東京行きが決まってから、上京することを知ったんですよ。

荒川:完全に伝えたつもりになってたんです(笑)。当時はまだ「東京進出したい」って言っても申請が遅くなると、すぐに行けへんくて。そればっかり気になって、はるに言うのを忘れてました。

はる:まわりの先輩から「東京行くんやろ」って聞かれても「わかりません」って答えてましたね。

荒川:はるに伝えるのを忘れるくらい、あのときはせっぱ詰まってたんです。東京でダメだったらお笑い辞めようと思ってましたし。

大阪の若手芸人には『ytv漫才新人賞』か『ABCお笑いグランプリ』を獲るか、『M-1』で決勝に行って上京するルートがあるんですよ。その流れをフル無視していくから、THE Wだけは絶対に決勝に行かないといけないってプレッシャーがありました。2022年のTHE Wでファイナリストになるまでは、しんどかったですね。毎日が地獄でした。

――なんでそんなにつらかったんですかね。

荒川:私がギャル芸人としてもてはやされるのも、すぐ終わるってわかってたんですよ。だから飽きられる前に、早く芸人として結果出さなアカンって焦ってたんです。

◆死ぬような思いも、ウケなければ無意味

――2022年のTHE W決勝は、いかがでしたか。

荒川:めっちゃ緊張しました。1週間前に喉もつぶしちゃったし。(アインシュタイン・河井)ゆずるさんが病院を紹介してくれたおかげで、なんとかなりましたけど……。

はる:喉とんだときは、この世の終わりみたいな顔してたよな。

荒川:でも喉が治ったところで全然ウケなかったです。

はる:私も緊張してて全然ダメでした。コントだったんですけど、セリフ量も私のが多かったし、ちょうど審査員の方と目が合う位置だったから、「ヤッバっ!」って。

荒川:決勝出るだけじゃアカンねやって絶望しました。こんな死ぬような思いしても、ウケんかったらマジ意味ないんやなって。誰の記憶にも残らんねんから。それで上京2年目はもっとしんどかったです。

はる:荒川とは違って、私の中ではとりあえず全国の賞レースの決勝に出られたっていう達成感みたいなのは少しありましたけどね。

荒川:私は「あと1年は芸人続けられる」っていう感覚でした。もうちょっとこの世界におっていいんかなって。

――そんな切実な思いを抱えてたなんて、普段の荒川さんのキャラクターからは想像もつかないです。

荒川:ね? 思わないでしょう? ホンマにがんばったんですよ〜!

――その苦労が実り、2023年のTHE Wは準優勝しました。

荒川:妙な自信もあったんです。っていうのも、決勝メンバーでは私らが一番舞台に立ってると思ったから。

――ファーストラウンドがコントで、決勝(ファイナルラウンド)は漫才でした。ネタの順番はどうやって決めたんですか。

荒川:コントは去年スベったから怖いっていうのはあったんです。でもほかのメンバーが漫才で続くんなら、コントにしたほうがいいかなとかも思って。でも、私たちのブロックが決まったら、ゆりやん(レトリィバァ)さん、あぁ〜しらきさん、ぼる塾さんってなって……。

はる:とんでもないブロックに入ってしまった(笑)。

荒川:もう全部わからなくなりました。結局、前日の夜に出たサンミュージックさんのライブで、漫才の最後の10秒が仕上がったんです。だからまだ漫才はちょっと不安で、自信のあるコントのほうにしました。あと、あのネタって途中でメイク落とすじゃないですか。だから万が一優勝したら、すっぴんでトロフィー持つのはイヤやなって。

はる:まぁそうやな。あの瞬間の映像ずっと使われるもんな。

――メイク落とすの最高でしたね。ちゃんみなさんリスペクトで。

荒川:うれしいです。あれは、ちゃんみなさんにも連絡して、インスパイアされましたって伝えました。

――優勝まで、本当にあと一歩でしたね。

荒川:そう言ってもらえてうれしいんですけど、でも私らからしたら、2本できたっていうのがうれしすぎて満足してたんです。みんなからも「優勝できたんちゃう?」って言われて、「え? そうなん!?」って感じで。必死すぎて優勝までは意識できてなかったですね。

でもこれで、ようやく「お笑いやってもいい」って認めてもらえた感じはありました。次は優勝したいです。

――賞レースで結果を出したエルフの今の目標はなんですか。

荒川:芸能界の1位になることですね。「MCになりたい」欲はないんですけど、あの輪に入りたい。有吉(弘行)さんと軽快にやりとりできるようになりたいし(笑)。だからもっと全部のレベルを上げなきゃいけないですね。

はる:私はみなさんから愛される芸人さんになりたいです。企画会議でも荒川はギャルっていう要素があるから使いやすいでしょうけど、はるって枠がなさすぎて困ると思うんですよ。狩野英孝さんとか出川(哲朗)さんみたいに、みんなからイジられて愛される人になりたいですね。

荒川:はるは皮をめくるほどに奇人なんです。ホンマにおもろいから早く見つかってほしい。お互いが一生懸命がんばって、エルフとして売れたいですね。

<文=安里和哲 撮影=青山裕企 編集=後藤亮平>

※エルフ
荒川(1996年8月30日、大阪府出身)と、はる(1996年6月16日、大阪府出身)のコンビ。2016年、大阪NSC38期として出会い、結成。2022年に東京へ進出すると、同年に行われた『女芸人No.1決定戦 THE W』(日本テレビ)で初めてファイナリストとなる。翌2023年にはTHE Wで準優勝。

※インタビュー前編はこちら

※番組情報:『ももクロちゃんと!
8月31日(土)・9月7日(土)深夜放送の回にエルフがゲスト出演!テレビ朝日(※一部地域を除く)