白洲迅、芸能界は「1ミリも考えてなかった」 いまだに表に立つのは苦手「ずっと緊張してばかりの役者人生です」
2011年、『ミュージカル テニスの王子様 2ndシーズン』でデビューし、端正なルックスで注目を集めた白洲迅さん。
『刑事7人』(テレビ朝日系)、『リコカツ』(TBS系)、『君が心をくれたから』(フジテレビ系)、映画『向田理髪店』(森岡利行監督)、舞台『シラノ・ド・ベルジュラック』など多くの作品に出演。
2024年5月7日(火)~26日(日)まで彩の国さいたま芸術劇場大ホールで『ハムレット』(演出・吉田鋼太郎)に出演する白洲迅さんにインタビュー。
◆芸能界は1ミリも考えてなかった
白洲さんは、小さい頃はおとなしかったが、よく外で遊ぶ子どもで、小学校から中学校までは野球をやっていたという。
「小さい頃のことはあまり覚えてないのですが、保育園の発表会とか学芸会、小学校に入ってからの音読などは、すごく張り切ってやっていたみたいです」
――今の仕事はピッタリという感じですね。
「でも、正直僕としてはいまだに表に立つのはあまり得意じゃないし、とくに何かになりたいみたいなことは考えたこともなかったです。何も考えずに友だちと一緒に外で追いかけっこをして遊んでいたような子どもでしたし、思春期以降はなぜか人前に立つなんてもってのほかみたいな性格に変わっていっていました」
――芸能界に入るということは?
「1ミリも考えてなかったです」
――それが「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」に応募することになったのは?
「母の親友で、僕のことを生まれたときから知ってくれているおばちゃんみたいな人が、毎年のように『ジュノンボーイに応募しなさい』って言ってくれていたというか、うるさかったんです(笑)。
それで、高校2年生のときに、しょうがないからとりあえず写真だけ送るみたいな感じで。まったく乗り気じゃなかったから、母親と近所の公園に行って『笑って、笑って』って言われても『何でだよ!』ってプンプン怒りながら写真を撮って」
――その写真が通って?
「通ったというか、コンテストには出なかったんですよ。ベスト30に入って紙面には載って読者投票があったのですが、ファイナル10人の1個手前のベスト30で落ちたんです。
ファイナルの10人まで行ったら、コンテスト会場に行って、大勢の人の前で特技披露とかいろいろなことをやらなくちゃいけないのですが、僕にはそういうことは絶対にできないと思っていたので、『ファイナルの10人に入っても辞退する』って言っていたんですけど、いざ落ちたら落ちたで悔しかった気持ちもあって…。
当時のジュノンの編集長さんにすごく気に入ってもらえて、いろんな事務所を一緒に回ってくれたり。あとはベスト30でもいくつかの事務所からお声がかかったので、初めて芸能事務所に入ってみたという感じです」
※白洲迅プロフィル
1992年11月1日生まれ。東京都出身(青森生まれ)。2010年、高校在学中に「第22回ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」のベスト30に入ったことを機に芸能界へ。2011年、『ミュージカル テニスの王子様 2ndシーズン』でデビュー。『ビブリア古書堂の事件手帖』(フジテレビ系)、『刑事7人』(第4シーズン~第9シーズン)、『ゼイチョー ~「払えない」にはワケがある~』(日本テレビ系)、『恋愛戦略会議』(フジテレビ系)、映画『10万分の1』(三木康一郎監督)、舞台『ダブリンの鐘つきカビ人間』に出演。
◆若手俳優の登竜門でデビュー
2011年、白洲さんは『ミュージカル テニスの王子様 2ndシーズン』でデビューすることに。氷帝学園中等部2年生で超高速サーブを武器にレギュラーの座を勝ち取った鳳長太郎役を演じた。
――事務所に入ってわりとすぐにデビューされて。
「はい。人生初めてのお仕事のオーディションで受かって。そのときの心境としては、受かってしまったというか、正直全然やる気はなかったんです。ただ、そのときがちょうど高校を卒業して、とりあえずやりたいことがまだ見つかってなかったから、みんな流れに身を任せて大学に行くみたいな感じで。
軽い気持ちで事務所にも入っていたぐらいだったので、いきなりお仕事が決まってしまってびっくりでした。仕事とは何かということが、まだ何もわかってなかったです」
――まだ仕事をする気になってなかったときに稽古が始まってしまったという感じだったのですか?
「そうです。正直に言っちゃうと、一番大きな感情は“つらかった”です。もともと人前に立って目立つことをするなんて自分の人生に無縁だと思っていたので。
でも、高校生の頃はダンス部に入って、一応人前でパフォーマンスをするみたいなこともあったのですが、本当に緊張したし苦手だったんですよ。だから、仕事としてそういうものを人前で披露するということが、稽古の段階からもうダメでした。
『出演者とか演出家とか、いろんな関係者が見ている前でセリフをしゃべるって何だ?』って(笑)。かと言って、自分で言うのも何ですけど、根がクソ真面目なので、1回決まってしまったことからは逃げられない。逃げるなんてことは考えもしてなかったので、やるしかないという感じでした」
――『テニスの王子様』は同年代の俳優がいっぱいいて、なかには野心バリバリの方もいたと思いますが、いかがでした?
「僕は始まりが『テニスの王子様』で良かったと思っています。あれが始まりだったから、こうして今も続けられているのだと思います。
僕と同じように『テニスの王子様』がデビューという子もいっぱいいるわけですよ。だから、同じ度合いというか、同じ歩幅で一緒に歩めたというか、切磋琢磨できるのもそうですし、本当に部活みたいな感じでした。男だけでチームになって他の学校と戦うみたいな。
そういう延長で始まれたのが、逆に良かったのかもしれません。『テニスの王子様』だったから、仲間と一緒に歩んでいけるという感じで。
スタートが同じという仲間もいたし、すでにお仕事もちゃんとしている人もいて、その人にチームメイトとして、仲間として教えてもらったり…そういう始まりだったからこそ、辞めずにいられたのかなって思います」
――舞台の初日はどのような感じでした?
「緊張してガタガタでした。登場の仕方が、いまだに夢に出てくるぐらいよく覚えています。幕が開いてある程度進行してから僕らのチームが登場するのですが、舞台セットの大きな階段の後ろに隠れて、その階段を動かしながら出て行くんです。
それで、ある程度したら後ろから階段の上に上がって、僕らのチームが全員登場する。舞台上ではすでに出ている他の人たちが芝居をしている最中に舞台の上に出ていく。そのときのセリフは、多分一言ぐらいなんですけど、ドキドキしてからだ中全部震えていたと思います。これが毎日続くのかって思いました(笑)」
――慣れるまでにはどのぐらいかかったのですか?
「10年以上やっていますけど、今も慣れてはいないです。でも、そのなかでも楽しさだったりとか、そういうものをどんどん見出だせるようになってきたから続けられているという感じです」
――最初は大学に行きながらだったのですか?
「大学に入ると同時に『テニスの王子様』の稽古が始まったので、あまり大学に行けなかったんです。大学1年生の頃は必修科目も多いし…1カ月くらいは通えたのですが、行けなくなってしまって休学することにしました。まだ大学を辞めて芸能の仕事1本でやっていくという心情にはなれてなかったので。
でも、『テニスの王子様』は、上演期間が結構長かったので、2年ぐらい休学しているなかで、大学は辞めるしかないかなと思って退学しました」
◆観客の熱気は「やっぱり気持ちいい」
2013年、白洲さんは『ビブリア古書堂の事件手帖』(フジテレビ系)でドラマ初出演を果たす。2017年には、芸能事務所キューブに所属する俳優集団「C.I.A.」(2022年卒業)のメンバーとしても活動することに。
――ドラマに出演と言われたときはいかがでした?
「よくわかってなかったと思います。ドラマの現場がどういうものなのかということも、何もわかってなかったし。でも、やっぱり最初のこと、初めての経験って忘れないんだなって(笑)。そのときもしっかり緊張しながらやっていましたね。
本屋さんの4畳半ぐらいの和室みたいなところで緊張しながら待っていた記憶が鮮明に残っています。そのときの監督さんと先日10数年ぶりに再会して、一緒にお仕事をさせてもらったのですが、本当にステキなことだなって思いました。覚えてくれていたのもすごくうれしかったです」
――同じ監督やプロデューサー、助監督だった方が監督になったときにキャスティングしてくれるというのはうれしいですね。
「はい。それがまたこのお仕事の醍醐味の一つかなって思います。いろいろな人と入れ替わり立ち替わりと言っちゃうと言葉が悪いですけど、ある一定の短期間、ドラマだったらワンクール3カ月間とか一緒にやるけど、次の現場に行ったらサヨウナラということが多いので。
でも、それって悪いことばかりじゃなくて、いろんな人と巡り合って、また再会して、一緒にやって…という、そこで一喜一憂できる感じが醍醐味なのかなって思いますね」
――俳優業のほかに「C.I.A.」として歌やダンスも披露することに。
「『C.I.A.』に関しては、僕は他の仕事が忙しくてというのもあって、年末だけ参加みたいなことが多かったです。慣れないことではありましたけど、自分の事務所ながらとてもいい経験をさせてもらったなと思っています。
僕はファンの方と触れ合う機会はあまり多くないじゃないですか。舞台もそんなに数多く出ているわけではないので、ファンの方のリアクションを実際に見ることができるのはうれしかったですね。
ああいうライブとなると、ステージでお客さんに何か問いかけてみたりする機会もあったりするので、そういう意味でとてもいい経験だったなって思います。あらためていろんな人に応援してもらっているんだということを再確認できるお仕事でしたね」
――ライブの観客の熱気は、普通のお芝居のときとは違いますが、体感していかがでした?
「あの感覚は、やっぱり気持ちいいものですよ(笑)。だからアーティストとか、アイドルの友だちが羨ましいなって思います。自分がそういうことを進んでやりたいかと言われるとまたちょっと別かもしれないですけど。
その経験も、実は『テニスの王子様』でもさせてもらっていて。ライブもやるので、横浜アリーナとか埼玉スーパーアリーナのステージに立たせてもらったこともあるし、あのときの経験も多少は活きたのかなとは思います」
◆『刑事7人』は「身の引き締まる思い」
2018年、『刑事7人』の第4シリーズに出演。第9シリーズまで東山紀之さん演じる主人公・天樹悠刑事をはじめとした専従捜査班の先輩たちに、時にはいじられながらも事件解決のためにまっすぐに走り続ける野々村拓海刑事役を演じた。
「主演の東山紀之さんをはじめ、そうそうたるメンバーでとても身の引き締まる思いでした。しかも東山さんとのシーンが多くなるだろうみたいなことを聞いていたので。
それで、インの日の撮影がまさに東山さんとの2人のシーンだったのですが、緊張しました。もうずっと緊張してばかりの役者人生です」
――白洲さんは第4シリーズから登場でした。
「そうです。すでに空気感が出来上がっているというのもありましたが、そこに関しては、田辺誠一さんと僕が新メンバーとして入ったので、僕だけじゃないというのは心のよりどころでした。
あと、その直前に(吉田)鋼太郎さんと舞台を一緒にやっていたんですよ。『シラノ・ド・ベルジュラック』という舞台の稽古中に『刑事7人』の出演が決まったので、『鋼太郎さん、決まりました』って報告したら『おー、いいじゃん』って(笑)。そう言ってもらったのがすごく印象的でよく覚えています」
――『刑事7人』は、白洲さん演じる野々村拓海刑事の成長物語という感じもありましたよね。最初は新人刑事でしたが、後輩刑事も入ってきて。
「そうですね。それがシリーズもののいいところだなって気づいたのは、(小瀧)望が入ってきて後輩ができたときでした。
役としてももちろんそうなんですけど、僕で言ったら白洲迅としても同じように1年ずつ年を重ねていくし、別の現場で成長していっているだろうみたいな。人として、役者としての成長を物語に反映させることができるということがシリーズものの良さだったし、一つの役にこれだけ長いこと付き合うことはなかったので、本当に『刑事7人』はいい経験でした。いろんな意味で成長させてもらえたなって思います」
――途中親友のために取った行動で、ヒヤっとする場面もありました。
「そうですね。だから毎年『いつクビになるんだろう?』とか、次の年にまたやるのかどうかも知らされてなかったですし、『殉職するのかな?』って思ったり…。わからないなかで日々やっていたので、台本が出来上がってくるのをドキドキしながら楽しみにしていました。
出来上がってきた台本、そして演出に対してどれだけこたえられるのかということだけを考えて撮影に臨んでいました。東山さんには見守ってもらったというか、鍛えてもらったというか…いろんな意味で本当にお世話になりました」
白洲さんは『刑事7人』に出演しつつ、映画『10万分の1』(三木康一郎監督)、『Life 線上の僕ら』(楽天TV)、『私の夫は冷凍庫に眠っている』(テレビ東京系)など、映画、ドラマへの出演作が続いていく。次回は撮影エピソードなども紹介。(津島令子)
ヘアメイク:持田洋輔
スタイリスト:Ryo Matsuda
衣装:ブルゾン・シャツ(メゾン キツネ)、パンツ(アバハウス)、靴(アルフレッド・バニスター)
※彩の国さいたま芸術劇場開館30周年記念
彩の国シェイクスピア・シリーズ2nd Vol.1『ハムレット』
2024年5月7日(火)~26日(日)
演出・上演台本:吉田鋼太郎
出演:柿澤勇人 北香那 白洲迅 渡部豪太 豊田裕大 正名僕蔵 高橋ひとみ 吉田鋼太郎ほか
故・蜷川幸雄からシェイクスピア・シリーズのバトンを引き継いだ吉田鋼太郎が、ついに新たなシリーズを始動。記念すべき第一作に選んだのは、シェイクスピア悲劇の決定版『ハムレット』。父であるデンマーク国王が急死し、叔父・クローディアス(吉田鋼太郎)が母・ガートルード(高橋ひとみ)と結婚。クローディアス新国王になったことを受け、苦悩するハムレット(柿澤勇人)。父の亡霊と対面したハムレットは、クローディアスが父を毒殺したのだと知り、復讐を企てる…。