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窪塚俊介、将来の目標が定まらず…夜中に決断したアメリカ留学。名門演劇学校に入ったことで性格にも変化「転機になりました」

2005年に『火火』(高橋伴明監督)でスクリーンデビューを飾った窪塚俊介さん。

大林宣彦監督作品の常連俳優としても知られ、『転校生 -さよなら あなた-』、『花筐/HANAGATAMI』など6作品に出演。2018年に実弟のRUEEDさんと兄弟役でW主演を務めた映画『スカブロ』(矢城潤一監督)には実兄の窪塚洋介さんも出演、3兄弟の共演が話題に。

現在、映画『青すぎる、青』(今関あきよし監督)が公開中。2023年12月15日(金)より主演映画『未帰還の友に』(福間雄三監督)がアップリンク吉祥寺ほか全国で公開される窪塚俊介さんにインタビュー。

 

◆大学を休学して米留学

神奈川県横須賀市で生まれ育った窪塚さんは、小さい頃は恥ずかしがり屋であまり前には出たくないタイプだったという。高校卒業後、慶應義塾大学理工学部管理工学科に進学した窪塚さんは、4年生のときに休学してアメリカ留学することに。

「もともとSFの外国映画がすごく好きで、中学生ぐらいの頃から字幕がない状態で映画を見たいと思っていて。父親が自動車関係の技術屋なんですけど、海外でスピーチをしたりすることもあったので、英語の必要性というのを言われていたんです。

大学1年のときに、『俊介、アメリカに留学に行ってくれば?』みたいなことを言われたのですが、僕は受験が終わったばかりで遊びたいというか、地元で色々動いていたので、行く前からちょっとホームシックみたいになっちゃって(笑)。そのときは『いや、いいかな』って。

それが大学3年になったときに、昨日まで一緒に飲んでいたやつらが急に業界の本とかを持って、一丁前にスーツを着て来て『嘘でしょ?』みたいな就職活動が始まって(笑)。

ただ、僕もやっぱり焦るんです。『絶対やりたいことなんかないでしょ?お前たち』っていうやつらが目の色を変えて、『今日は〇〇に行って…』なんて言うのを最初は鼻で笑って、『カッコ悪!』とか言っていたんですけど、やっぱり焦る自分が一番カッコ悪くて(笑)。

僕も何社か説明会に行ったんですけど、『でも、やりたいことってあるかないかから探すことなの?』って。それでも焦っちゃう自分との葛藤というか。

それで、今でも覚えていますけど、夜中の1時くらいに親が寝ている寝室に行って、『ちょっと、アメリカに行かせてもらってもいいですか?』って話し合いになってアメリカに留学することになって。少なからず兄貴の影響も受けるなかで、結果、演劇の学校に入ることになりました」

――リー・ストラスバーグ演劇学校ですよね?

「はい。やっぱり、絶対に手段として英語を使っていないとしゃべれるようにはならないだろうなと思っていたので、最初は語学学校だったのですが、面接を受けて演劇の学校、リー・ストラスバーグに入れるとなったところがスタートですかね。

それまで恥ずかしがり屋の引っ込み思案だったのが、本当にグーッと歯車が回って、そこから変わりましたね。何か言わなきゃ損をするという後ろ向きの意見じゃなくて、言葉に出すことで自分を表現する。それは演劇だけじゃなくて、普段の生活もそうですけど、本当に自分の転機になったという感じがします」

――リー・ストラスバーグの学校は老舗ですけど、かなり大変だったのでは?

「僕は名門の学校だとは知らなかったんです。僕が住んでいたところの周辺に3校ぐらい演劇学校があったんですよね。別にここがいいというわけで選んだわけじゃないですけど、すごくしっかりしているなって思って。

それで面接を受けたのですが、面接がすごく長かった。それは多分、語学力を測られているんですよね。あまり英語がわからなかったら、ここで学ぶのは難しいよということで。それで、受かったんですけど、最初は本当にもう地獄でした。僕だけ辞書を片手に…みたいなところから始まって(笑)」

――窪塚さん以外に日本人はいました?

「いましたけど、すれ違うぐらいだったかな。でも、僕のイメージですけど、やっぱり日本人は極端に英語が下手なんですよね。他の国、中国とかロシア、韓国の子たちはすごくしゃべれている。だから、そこですごく鍛えられました。

多分、僕は今でもリー・ストラスバーグに在籍中だと思うんです。休学中の大学の関係で、『また来ます』みたいな感じで途中で帰ってきてしまったので。そこから何年か経って、ロサンゼルスに行ったときに、学校に行ってみたんですよ。

そうしたら、『この学校は、自分の国でプロとして活動しているのであれば、籍はずっと残るよ。だから、いつでも卒業したいというか、学びに来たいならいらっしゃい』と言ってくれました」

――それはすごいですね。

「そうなんですよ、だから行きたいんです。昔は上手(かみて)も下手(しもて)もわからないような状態でしたけど、今レッスンを受けたなら学べることがたくさんあるだろうなって思うんです」

※窪塚俊介プロフィル
1981年11月6日生まれ。神奈川県出身。2004年、『ビー・バップ・ハイスクール』で俳優デビュー。映画『その日のまえに』(大林宣彦監督)、映画『アメイジング グレイス~儚き男たちへの詩~』(川野浩司監督)、映画『空のない世界から』(小澤和義監督)、『坂の途中の家』(WOWOW)、『イチケイのカラス』(フジテレビ系)、舞台『マクベス』、パルコ劇場『ピサロ』など多くの映画、テレビ、舞台に出演。

 

◆初めての映画で難役に挑戦

アメリカから帰国した窪塚さんは、大学在学中に俳優の仕事をはじめ、卒業後に本格的に活動することに。

「最初は兄貴が当時所属していたプロダクションで面倒をみてくれてという形でスタートしました。でも、大学が理系だったので、ゼミじゃなくて研究室に入って企業と組んで卒業論文を書くみたいなことだったんですよね。

僕は俳優の仕事をやりたかったので、学業のほうのモチベーションがあまり高くなかったし、グループでやるとなると、やっぱり迷惑じゃないですか、こんなやつがいると。だから、ひとりでできる何かにしてくださいって先生に言って、一人でやることにして。

でも、親がすごくよくしてくれて。やりたいことを理解してくれて、それを応援してくれたので、大学だけはちゃんと卒業しなきゃいけないと思って、仕事をしながら卒業論文を書きました。

大学を卒業するまではそっちをメインにやっていたので、そんなにいっぱいは(仕事が)できてないと思うんですよね。『ビー・バップ・ハイスクール』と『火火』くらいかな。卒業してから本格的にという感じでした」

映画『火火』は、女性陶芸家の草分けであり、骨髄バンクの立ち上げに尽力した神山清子(田中裕子)さんと白血病を患った息子・賢一(窪塚俊介)さんの日々を描いたもの。

「『火火』は、僕は忘れないですね。本当に僕の原点というか。高橋伴明監督で、主演が田中裕子さん。大林監督もそうなんですけど、僕の指針になっています。あの距離で息子役として田中裕子さんのお芝居を見られたということと、高橋伴明監督に演出していただいたということは」

――骨髄バンクを立ち上げるきっかけとなった神山賢一さん、難しい役でしたよね。

「はい。実在していらした神山賢一さん。体重も落としていって、スキンヘッドにしたりしていました。でも、映画ってすごいなと思いました。初めての映画だったのですが、実際の神山先生のお家で窯を使わせていただいて撮影ができましたし、陶芸の訓練をさせていただきました。

その上で芝居というか、『役者さんってみんなすごいんだな』って思いました。田中裕子さんは『いいのよ、自分のままで』みたいなスタンスでいてくれて。本当にそこで教えてもらったことを、今でもたびたび思い出します。何か色々やろうと過剰に表現してしまうようなことがあると思い出します」

――映画初出演で、いきなり大役だったわけですが、撮影はいかがでした?

「『火火』のときは、飛び交う言葉1個1個が全然わからなくて。『それ、わらって』(わらう=舞台の上から物を片付けること)とかもわからなくて『えっ?』みたいな感じになっちゃうし、『そこは見切れているから』(見切れる=見えてはいけない裏方さんなどが見えてしまうこと)も言葉の意味がわからないし(笑)。

演技をするというのは、引き算ではなく何かするものだと思っていたんですけど、現場で本当に『あっ、そうなんだ』って思うことがすごく多くて。僕はほとんどまだ素人でしたけど、『やっぱり田中裕子さんはすごい!これは何なのかな?』って。

だから、自分の撮影がないときも、撮影を見ていました。よく言えば、僕は多分スポンジの状態だったと思うので、そのスポンジが出向く場としては、本当に理想的な現場だったなって思います」

――真っ白いキャンバスのような状態で、いろんなものを吸収してという感じだったのでしょうね。伴明監督はいかがでした?

「すごく怖いって聞いていたんです(笑)。今でこそ昔の作品を見たりすることはありますけど、当時はあまり知らなかったので、血気盛んなロマンポルノを撮られていた監督なので怖いんだろうなって。

でも、実際にお会いしてみたら、めちゃくちゃ優しくて(笑)。ただ、厳しかったです、映画というものに。僕はアメリカでもそうですけど、厳しくされるのは嫌いじゃないので、何かすごく居心地が良かったです。ピリッとした緊張感の中で行われている世界というか、すごくすてきな仕事だなって思いました」

――陶芸家という設定でしたが、かなり練習もされたのですか?

「やっていました。劇中僕が作るのは洗練されたな天目(てんもく)茶碗だったので、繊細な作業だったんですけど、田中裕子さんはすごかったです。

神山清子先生の指導ももちろん受けられていたのですが、やっぱり『捨て目が利く』(目に入るものを心に留めておくこと)というのですか、すごくよく見ていて。荒々しい感じの作品を作っている段階でも、神山先生の何気ない仕草とかも取り入れていて、よく見ているなあと思って。だから、役者さんってすごい時間の使い方をしているんだなって思いました」

――完成した作品を初めてご覧になったときはいかがでした?

「自分をスクリーンで見るのが初めてだったので、ちょっと気恥ずかしさというか(笑)。恥ずかしい感じがありましたけど、やっぱり作品がすばらしかったので、そこに参加できたことがうれしかったです。その世界の一つになっているという高揚感みたいなものは覚えています」

『火火』で難役を演じきった窪塚さんは、映画『まだまだあぶない刑事』(鳥井邦男監督)、映画『TAKI183』(小林正樹監督)などに出演。そして『22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語』で大林宣彦監督と出会うことに。

次回は大林宣彦監督作品の撮影エピソードも紹介。(津島令子)

ヘアメイク:森田杏子

©GEN-YA FILMS 2023

※映画『未帰還の友に』
2023年12月15日(金)よりアップリンク吉祥寺ほか全国ロードショー
配給:トラヴィス
監督:福間雄三
出演:窪塚俊介 土師野隆之介 清水萌茄 萩原朔美

太宰治没後75年記念映画。小説家の先生(窪塚俊介)は、自分を慕う学生たちの中でも鶴田(土師野隆之介)に特別に友情を感じるようになる。やがて鶴田が出征することになり、先生は鶴田と別れの盃を交わすことに…。

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