女優・宮澤美保、“田舎のただの高校生”がオーディションで映画デビュー。いきなりのメインキャストに「何で素人の私が?」
1990年、映画『櫻の園』(中原俊監督)の主要キャストでデビューし、多くのドラマ、映画に出演してきた宮澤美保さん。
2005年には、『櫻の園』で共演した梶原阿貴さんとともに自ら脚本も手がけた『苺の破片(イチゴノカケラ)』(中原俊・高橋ツトム共同監督)で映画初主演。
2014年に公開された映画『神様のカルテ2』で出会った深川栄洋監督と2016年に結婚。公私ともにパートナーとなり、2022年には夫婦二人三脚で監督、主演を務めた映画『光復(こうふく)』と映画『42-50 火光(かぎろい)』を自主制作。40代で初ヌードに挑み、剃髪までして流転のヒロインを演じきった宮澤美保さんにインタビュー。
◆表の顔は普通の中学生、裏の顔は芸能界を目指す子?
長野県で生まれ育った宮澤さんは、小さい頃はおとなしくてあまり目立たない子どもだったが、早くから芸能界に憧れていたという。
「小学校くらいから芸能界に憧れていたんですけど、具体的になったのは中学生くらいです。昔からドラマがすごく好きでテレビを見ていたし、アイドルに憧れたり…そういうのはありました。
小学校のときは、わりと普通に過ごしていて、中学校の部活を選ぶときにバレーボールとかバドミントンをやりたかったんですけど、たまたま演劇部の発表会、新入生歓迎会の舞台を観て、『私はこれがやりたい』と思って、そこから演劇部に入りました。
それで同じ頃に地元の演劇養成所みたいなところにも入りはじめて。学校では普通の生徒だったんですけど、裏の顔は芸能界を目指す子でした(笑)」
-長野の演劇養成所に?-
「はい。東京にある養成所みたいにいろんなものがあるわけじゃなくて、エキストラの事務所みたいな感じだったんですけど。地元に映画のロケが来たり、オーディションがあったら呼ぶみたいな感じで。でも、1年に1本くらいしかオーディションがないんですけど、そういうところでレッスンを受けていました」
※宮澤美保プロフィル
1973年12月25日生まれ。長野県出身。1990年、映画『櫻の園』でデビュー。『LINK』(WOWOW)、『星降る夜に』(テレビ朝日系)、映画『苺の破片(イチゴノカケラ)』、映画『お元気ですか?』(室賀厚監督)、映画『光復(こうふく)』(深川栄洋監督)、映画『42-50 火光(かぎろい)』(深川栄洋監督)など多くのテレビ、映画に出演。6歳からはじめた書道では書道師範の資格と「宮沢光華」の雅号も。大型自動二輪免許を取得し、バイク雑誌にコラムを連載するなど幅広い分野で活躍。
◆オーディションで映画『櫻の園』のメインキャストの一人に
1990年、映画『櫻の園』でデビュー。この映画は、毎年創立記念日にチェーホフの『櫻の園』を上演する女子高演劇部を舞台に、それに携わる少女たちの開演までの出来事を描いたもの。宮澤さんは舞台演出を担当する2年生・城丸香織役でデビューすることに。
-オーディションに受かる自信はありました?-
「今はそんなのは全然ないんですけど、そのときは、気持ちだけはすごく強気だったので自信があったと思います」
-誰もいない部室にボーイフレンドと二人きりで、冒頭から宮澤さんの長台詞で始まる。ものすごく目立つ役でしたね-
「そうですね。何か自分の思い通りにいい役がもらえたんですけど、今考えてみると、そんなのあり得ないという感じで(笑)。オーディションに来ていたのはみんな東京で事務所に入っている人たちで、まだ世に出てないまでも、私よりも何歩も先に進んでいる人たちばかりでしたから、『何で素人の私が受かったんだろう?』という感じでした」
-セリフの数も一番多いくらいですよね-
「そうです。いやらしい話なんですけど、セリフの数を数えていました。セリフが多かったから『わーい』みたいな感じで(笑)。
でも、キスシーンもあって、キスシーンが一番つらかったです。(中島)ひろ子ちゃんとかは三つ上で、役柄も先輩だったんですけど、私はちょうど役柄と同じ高校2年生で16歳。
まだキスの経験もなくて、本当に田舎のただの高校生だったので、『いっぱい出ていてうれしい』と思いながらも、『このシーンどうやってやるんだろう?』って。そこはずっとリハーサルの間から心配で、心配で…」
-中島(ひろ子)さん、つみきみほさんなどすでに知られている方もいましたが、多くはオーディションで選ばれた新人。宮澤さんは目立つ役だったので、嫉妬されたりは?-
「それはやっぱりあったと思います。2カ月半リハーサルをやって、本当に学校の演劇部みたいな感じだったんですけど、役の大きさは、人それぞれ違っていたので。もし自分が逆の立場だったら、『どうして私じゃなくてあの人が?』って思うし、悔しいという気持ちがあると思うので」
-撮影はスムーズにいきました?-
「そうだと思います。とにかくリハーサルを一生懸命やっていたので、そこが一番大変でした。撮影が始まってしまったら、あとは日々身をまかせているだけというか。撮影も初めてだったので緊張感を毎日感じながら、『ここがうまくできなかった』とか思っていました(笑)」
-とくに苦労したシーンは?-
「アイスクリームを食べてみんなが会話をした後、最後に私がずっと何ページか長台詞をしゃべるところがあって。しかもト書きに泣きながらって書いてあったんです。そこが最初泣けなくて、『OK』って言われたんですけど、泣けなかったことが悔しくて、『もう一回やらせてください』って言っちゃって。
フィルムなのに『もう一回やらせてください』なんて、今考えたらとんでもないことなんですけど(笑)。それで、もう一回やらせてもらったんですけど、また泣けなかったんです(笑)。
これは今だったらわかることなんですけど、私の個人的な思いだけだったんだなあって。私が泣けるか泣けないかというのは重要じゃなくて、それを聞いているみんながどう感じるかということが重要だったんですよね。
『櫻の園』は同窓会を何回もやっていたので、だいぶ大人になってから、『あのときはすみませんでした』って言ったら『別にいいんだよ』って。みんな優しいなあって思いました。
フィルムだから本当にお金がかかるじゃないですか。それにまた同じシーンをやるために全員集めなきゃいけないし。それをやらせてくれたのはすごいなあって。やっぱりプロデューサーたちも『この子たちの最初の作品だから』ということで、すごくいろんなことを教えてくれていたんだなあって思いました」
◆長野から東京へ、本格的に芸能活動をスタート
宮澤さんは、『櫻の園』への出演を機に長野から東京に引っ越すことに。
「やっと長野から出られたという感じでした(笑)。まだ高校生だったので、親戚の家にお世話になって高校も転校しました」
-ドラマや映画、芸能生活が始まっていかがでした?-
「撮影とかがあるのは、楽しくてしょうがなかったです」
-仕事は順調でした?-
「いいえ、順調ではなかったです。最初に養成所にいたので、そこから芸能活動をしようとしたときに、映画会社の芸文室というセクションに入ったんですけど、まだ芸能事務所の形になっていなくて、電話番をしてくれるという感じだったんです。
芸能事務所のように仕事を取ってきてくれるというのではなくて、問い合わせがあったらそれをつなぎますという感じで、マネジャーさんもいなかったし。だから『櫻の園』を観て声をかけてくださった方だけで、ほかにはつながって行かなかったんです」
-学業優先でセーブされていたわけではなかったのですね-
「はい。そういうことじゃなくて、ただ、みんなが入っている事務所がどういうところかわからなかったんですけど、いろいろ活動していく中でやっとわかってきて。
20歳くらいのとき、このままではつながっていかないかなと思って事務所に所属することになりました。やっぱり問い合わせに対する応対という受け身だけよりも、営業してくれるマネジャーさんがいるというのは違いましたね。オーディションの話もいっぱいきたし、全然違うなあって思いました」
◆優等生のイメージだが「中身は激しいんです(笑)」
2005年、宮澤さんは、『苺の破片(イチゴノカケラ)』で映画初主演を果たす。宮澤さんが演じたのは、かつて絶大な人気を得た漫画家のイチゴ。自分が漫画の連載をはじめたことで恋していた先輩が死ぬことになってしまったと罪悪感に苛まれ、長いスランプ状態に。挫折したイチゴの成長を描いたもの。宮澤さんは『櫻の園』で共演した梶原阿貴さんと共同で脚本も手がけ再共演も。
「結局は、仕事が細ってきてなくなってくると、自分で書くしかないなと思って。舞台とかもそうですけど、『自分たちで作ってやる』というのが基本じゃないですか。
だから、映画も書く人がいないわけじゃないけど、進むのが遅いので、自分がやったほうが早いんじゃないかと思って。自分がやりたいことを誰かに伝えてというのはすごく大変なことなのに、実現しなかったりすることが多いじゃないですか。
だったら、私と『櫻の園』に出ていた梶原阿貴ちゃんと二人で企画を立ち上げて、とりあえず脚本を書いて、それで売り込みをしたほうが早いんじゃないかと思ったんです」
-行動力がありますよね-
「意外と(笑)。見たりしゃべったりしていると、おっとりしているとか、そういう静かなイメージをもってもらえるみたいなんですけど、結構中身は激しいんです(笑)」
-あの映画の発想はどこから?-
「ずっと『櫻の園の宮澤さん』とか『城丸さんでしょう?』って言われていて、それはとてもありがたいことだったし、それがなかったら仕事を続けてこられなかったと思うんです。でも、あの当時、みんなそこからずっと抜けられなかったんですね。
冠に『櫻の園の~』というのが付いちゃう。もちろん何もないよりはいいんですけど、そこから次の代表作がないというのが、仕事を続けているみんなの中でどこかにあって、その状況をどうにかしたいと思っていたんです。
ちょうど30歳になる年だったので、今の自分たちの等身大の姿を投影することができて、そういう思いをぶつけられるものを撮りたいと思って、設定を漫画家に変えて。再生物語というか、安直ですけど、一度過去に売れたことがある漫画家に投影しました」
-亡くなった先輩にずっととらわれているというか、振り払うことができずスランプに-
「はい。スランプに陥っているという、それが私たちにとっての『櫻の園』。その存在がどこかで良くも悪くもずっと亡霊のように付きまとっている。優等生のイメージとか、そういうのもですけど」
-この映画では、反対に結構ダメダメな人、罪悪感から逃れるように連日酒浸りで-
「そうです。お母さんは、そんなイチゴにお金の無心ばかりする浪費家で、もっとダメダメでしたけど(笑)。イチゴのようなダメなキャラもやってみたかったことの一つでした。イメージを変えるとか、いっぱい思い悩んだ中のいろんな出会いとタイミングが重なってできた作品です」
-ファッションも特徴的でしたね-
「そうですね。可愛い色彩をいっぱい使ったりして。『櫻の園』は、黒い制服だし、黒と白と茶色みたいな世界でトーンが決まっていたんですけど、それとはまったく変えて可愛い感じにしました」
-監督のお一人が『櫻の園』の中原俊監督でした-
「はい。やっぱり声かけなきゃいけないかと(笑)。ただ、そのときの気持ちは微妙だったかもしれないです。監督が撮りたいものじゃないじゃないですか、多分。監督は自分で書いて撮るという人ではなく、オファーを受けて撮るタイプなので」
-中原監督とは、最初がオーディションで選ばれた新人、次は脚本も手がけた主演女優ということになりましたが-
「直接的には何も言われてないですけど、生意気だったと思います。私たちが主導権を握っているわけではないけど、脚本を書いた作品で監督に来てもらうという形って、何か私たちが雇っているみたいな感じじゃないですか。生意気な感じがしたんじゃないかなあって思います(笑)」
この映画がきっかけで、宮澤さんはオートバイに目覚め、大型自動二輪の免許を取得。バイクの連載記事も担当することに。2014年、映画『神様のカルテ2』に出演。深川栄洋監督と出会い、2016年に結婚。次回は監督との出会い&結婚も紹介。(津島令子)
※映画『光復(こうふく)』
深川栄洋return to mYselF プロジェクトsideB
2023年5月25日(木)まで岡山 シネマ・クレールで公開中
2023年6月2日(金)~9日(金)、広島 横川シネマ
2023年7月1日(土)~2日(日)、山口 YCAM山口情報芸術センターにて公開
配給:スタンダードフィルム
監督:深川栄洋
出演:宮澤美保 永栄正顕 クランシー京子 関初次郎 池田シン
15年前に両親の介護のために東京から長野に戻ってきた42歳の大島圭子(宮澤美保)。生活保護を受けながら父親を看取り、アルツハイマーに冒されて意思の疎通も取れない母親の介護をしていた。ある日、高校の同級生だった横山賢治(永栄正顕)と再会したことがきっかけで、人生が真っ逆さまに転がり落ちて行くことに…。
※映画『42-50 火光(かぎろい)』
深川栄洋return to mYselF プロジェクトsideA
2023年6月2日(金)~9日(金)、広島 横川シネマ
2023年6月17日(土)~23日(金)、大分 日田シネマテーク・リベルテ
2023年7月1(土)~2日(日)、山口 YCAM山口情報芸術センター
製作・配給:スタンダードフィルム
配給協力:ポレポレ東中野
監督:深川栄洋
出演:宮澤美保 桂憲一 白川和子 加賀まりこ 柄本明
深川監督と宮澤さんの結婚生活をベースに描く、東京で暮らす脚本家と女優の夫婦のお話。2年前に結婚した50歳の脚本家・祐司(桂憲一)と42歳の女優・佳奈(宮澤美保)。不妊治療のストレス、難病で死に向かう父、問題を複雑化させる姉妹、わがままをこじらせる親たちなど、さまざまな問題が…。