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中村優一、入院も多かった幼少時代。小児ぜん息を克服し、デビュー後は念願の『仮面ライダー』に「今でも人生の宝物」

2005年、17歳のときに俳優デビューし、『仮面ライダー響鬼』の桐矢京介役&『仮面ライダー電王』(テレビ朝日系)の桜井侑斗(仮面ライダーゼロノス)役で人気を集めた中村優一さん。

映画『シャカリキ!』(大野伸介監督)、映画『風が強く吹いている』(大森寿美男監督)など多くのテレビ、映画に出演。2010年、持病の腰痛の悪化がきっかけで芸能活動を一時休業、2012年に引退を発表したが、2014年に俳優業を再開。主演映画『スレイブメン』(井口昇監督)、映画『大綱引の恋』(佐々部清監督)などに出演。

2023年4月14日(金)に映画『妖獣奇譚 ニンジャVSシャーク』(坂本浩一監督)の公開が控えている中村優一さんにインタビュー。

 

◆幼い頃はからだが弱くて入院も…

神奈川県で生まれ育った中村さんは、小さい頃はからだが弱く、引っ込み思案な子どもだったという。

「僕は小児ぜん息だったので、入院も多かったですね。小さいときに入院していた病院の中の様子は今も記憶にあります。寝相が悪かったので、点滴を打って寝ているといつも点滴のチューブがからだにからまって起きちゃったのを一番覚えています」

-それはいつ頃まで続いたのですか-

「気がついたら治っていました。小学校に上がってから徐々に薬の量が減っていって、中学校の頃にはもう薬を飲んでいなかったので」

-スポーツもやっていたそうですね-

「それが一番良かったのかなって。親がちゃんと運動もさせてくれていたので、そのおかげで体力もついて。あとは、やっぱりホコリに弱かったりしたので、空気の入れ替えとか、すごく家をきれいにしてくれていました」

-中学校時代は陸上部に所属されていたそうですね-

「はい。一応、副部長をやらせていただきました。球技は苦手だったんですけど、運動部からは離れたくなかったので、だとしたらもう走ることしかないと思って(笑)」

-のちのち、それが仕事をする上でプラスになっていますね-

「そうですね。運動部に入って体力がついたのもそうですけど、精神力というか忍耐力もそこで鍛えられたと思います」

-今は、もうまったく?-

「そうですね。天気が悪かったりとかするときはたまに咳が出たりはしますけど、発作はなくなりました。本当に両親に感謝です」

※中村優一プロフィル
1987年10月8日生まれ。神奈川県横浜市出身。2004年、「第1回D-BOYSオーディション」でグランプリを受賞。2005年、『ごくせん 第2シリーズ』(日本テレビ系)で俳優デビュー。『仮面ライダー響鬼』、『仮面ライダー電王』、映画『八重子のハミング』(佐々部清監督)、映画『恋のしずく』(瀬木直貴監督)、映画『ウルトラマントリガー エピソードZ』(武居正能監督)、『最後の晩ごはん』(BSジャパン)、舞台『私に会いに来て』など映画、ドラマ、舞台に多数出演。2023年4月14日(金)に江戸時代を舞台に巨大ザメと忍者との戦いを描いたアクション映画『妖獣奇譚 ニンジャVSシャーク』が公開される。

 

◆何もわからないまま俳優デビュー

2004年、中村さんは、17歳のときに「第1回D-BOYSオーディション」でグランプリを受賞して俳優デビューすることに。

「中学校高校のときに、『応募してみれば?』みたいなことを同級生から言われて、『じゃあちょっと応募してみようかな』という感じで(笑)。とくに何かがしたくてというわけではなくて。応募してみたらと言われたから応募してみたら運良く受かってしまったという感じです。

自分では、そのときの記憶があまりないんですけど、『本当に僕でいいのか?』みたいな感じでした(笑)」

-翌年には、『ごくせん 第2シリーズ』で俳優デビューされて-

「はい。オーディションを受けさせていただいて受かったはいいんですけど、ああいう学園ものは出演者が多いじゃないですか。その中で戦いというか、カメラの争奪戦があったりとか(笑)。

僕はどうしても後ろに行きがちなので、映りたくても映れなかったりとか、それが大変でしたね。でも、本当に何も知らなくてゼロだったので、何から何まで教わった感じです」

-カメラ位置なども熟知している方たちもいらしたと思いますが-

「そうですね。優しい方たちばかりだったので、そういうことを教えてもらいました。あのとき、僕は現役高校生で、最年少くらいだったんですよね。本当に何もわからなかったので、みんな優しく教えてくださいました」

-当時は俳優としてやっていくという意識はあったのですか?-

「今考えると、俳優をやっているのに、俳優という意識はなかったかもしれないです。その日その日で1日1日やっていくのに精いっぱいで。どう自分が演技したらいいのかもわかっていなかったと思います」

-でも、それからすぐに仮面ライダーのオーディションにも通って-

「そうですね。それも本当に運が良くて『仮面ライダー響鬼』に出ることになりました。仮面ライダーで初めてちゃんとメインというか、役がついてセリフもたくさんあるという役をやらせていただいて。

『ごくせん』のときはセリフもあまりなくて、どっちかというと見よう見まねで、見て覚えるという期間だったと思うんです。

『仮面ライダー響鬼』の撮影が始まって、いざ自分が実践という場に立ったときに、それまで見てはいたけれども、自分がどう演技するかがわかっていなくて、本当に1シーン1シーン監督に指導されながらやっていった感じでした」

-かなり大変でした?-

「大変というか、どうやればいいのかわからなくて。もちろん演技って正解がない、答えがないところではあると思うんですけれども、自分はこういう演技がしたいとか、ちゃんと役をつかめていたのかちょっとわかっていなかったですね。ただひたすら一生懸命やるだけという感じでした」

 

◆『仮面ライダー響鬼』に続き『仮面ライダー電王』に出演

2007年、中村さんは、『仮面ライダー電王』に出演することになり、エンディングテーマ『Action-ZERO』の歌唱も担当することに。

-仮面ライダーは『響鬼』の後『電王』にも出演されました-

「プロデューサーさんからお話をいただいてとてもうれしかったです。『仮面ライダー響鬼』に出る前から、『仮面ライダー』という作品がすごく好きで観ていた作品だったので。

『響鬼』のときは、最初は仮面ライダーの役ではなくて、最終回だけ変身させていただいたんですけれども、『電王』のときは仮面ライダーの役だと言われてすごくうれしかったです」

-メインキャラの桜井侑斗/仮面ライダーゼロノス役で-

「当時、(佐藤)健くんと僕しかライダーの役はいなかったので、その1人に選んでもらえたことは本当にうれしかったです。

『電王』は放送が終わって15年以上経ちますけど、『電王』の桜井侑斗として選んでもらえたことは、自分にとって宝物だなと思っています。『電王』は今でも自分の人生にとって、すごく大切なものなので」

-記憶にも作品としても残りますよね-

「そうですね。今でも、『ゼロノスが好きで観ていました』と言われることが多いです。ああいう作品は、さかのぼって観ていただけたりするのでうれしいです」

-撮影はいかがでした?-

「『仮面ライダー』の現場って、スタッフさんたちもあまり変わらなかったりするので、『電王』の現場では、やっぱり『響鬼』のときにはできなかった成果を出したいという思いが強かったです」

-『電王』で行ったときは、「お帰りなさい」みたいな感じだったのですか?-

「そうですね。でも、『電王』の場合はテレビの撮影が終わってからも劇場版があったり、その後も『仮面ライダー3号』とか、『仮面ライダージオウ』でもゲスト出演させていただいたりしているので、桜井侑斗はまだ自分の中で終わっていない感じがあって、現役感があるんですよ。ドラマの放送が終わって、もう16年経ちますけど、終わった感じはないですね」

-今後の登場もありそうですからね-

「そうですね。本当に3年とか4年ごとに桜井侑斗として、何かしら出させていただいているので。僕の中ではオリンピックとかワールドカップみたいな感じですね(笑)」

-『電王』のときにはエンディングテーマも歌われていましたね-

「はい。『電王』のときにはそうでした。歌わせていただけるというのはなかなかないことなので、やっぱり『電王』がたくさんの方に愛されているからこそ、自分たちも歌を出したり、イベントで歌わせていただけたんだと思います」

-イベントなどで歌を披露したときはいかがでした?-

「その当時は若かったので、たくさんの人の前で歌えるのは、ただただ気持ち良かったですね(笑)」

『仮面ライダー響鬼』、『仮面ライダー電王』で注目を集めた中村さんは、ドラマ、映画への出演が続き、映画『シャカリキ!』でロードレースに挑む自転車部のエース、映画『風が強く吹いている』では箱根駅伝を目指す大学生など、肉体的にハードな役柄に挑戦することに。

次回はその撮影エピソード、俳優業休業、引退、俳優活動再開について紹介。(津島令子)

ヘアメイク:菅原美和子

©2022 REMOW

※映画『妖獣奇譚 ニンジャVSシャーク』
2023年4月14日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、池袋シネマ・ロサ、新宿シネマカリテほか全国ロードショー
配給:エクストリーム
監督:坂本浩一
出演:平野宏周 西銘駿 長野じゅりあ 宮原華音 桝田幸希 島津健太郎 中村優一

国産鮫映画最新作。江戸時代。人里離れた沖津村の浜に村人の惨殺された死体が。邪教集団紅魔衆の首領が、不老不死の力を得るため忍術でサメを操り、村で採れる真珠を強制的に村人から巻き上げていたのだ。この状況に業を煮やした村長は、村外れの寺にいる用心棒の潮崎小太郎に助太刀を依頼する。忍者対鮫の究極バトルが…。

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