『星降る夜に』完結。“最高の推しカプ”だった鈴&一星、ドラマが描いた大きな大きな人間愛
<ドラマ『星降る夜に』最終話レビュー 文:横川良明>
『星降る夜に』が最終回を迎えた。
このドラマらしい、優しくて、穏やかで、温かい幸福感に包まれたエンディングだった。
改めて『星降る夜に』の何が素晴らしかったか、これまでの内容を振り返りながら語ってみたい。
◆『星降る夜に』は僕たちのいろんな扉を開けてくれた
第一に、第1話から一貫していたのは、柊一星(北村匠海)の描写。耳の聞こえない人を、決して可哀想とも不幸せともしなかった。その姿勢は、今の私たちが観たいと思うドラマそのものだった。
もちろん耳が聞こえないことを矮小化しているわけではない。ただ、雪宮鈴(吉高由里子)にもいろんなことがあり、佐々木深夜(ディーン・フジオカ)にもいろんなことがあり、北斗千明(水野美紀)や佐藤春(千葉雄大)にもいろんなことがあるように、一星にもいろんなことがある。
そのいろんなことの一つが「耳が聞こえない」であり、むしろそれが「強引」とか「AVが好きすぎる」と同じ、一星らしさを形づくる一つだという描き方は、多様性を大切にする時代の空気にもよく合っていた。
その上で、手話を知らないいろんな視聴者に手話への興味を抱かせてくれた。このドラマを観てからよく友人との会話で「よきよき」の手話を使うようになった。僕たちの中にあるいろんな扉を開けてくれたドラマだったと思う。
第二に、鈴と一星と深夜の関係性がとても心地良かった。
千明がかつて「みんな男と女を見ると関係に名前をつけたがるからな」と言っていたけど、これだけ世界中にたくさんの人がいるのに、「恋人」とか「友人」とか、そんな限られた枠組みしかないなんて、寂しいと思う。
色が赤と青と黄色だけじゃ、あまりにも世界が味気なさすぎる。人の数だけ関係があっていいし、その関係にいちいち名前なんてつけなくていい。
ただ、あなたに何かあったら、いつでも、どこへでも、飛んでいく。そんな人がいてくれるだけで、人生はとても心強い。鈴と一星と深夜は、そんな3人だった。
当初は三角関係に発展すると予想されていたこの3人だけど、最後まで揺らぐ気配はまるで見せなかった。
最終回では、妻と子の死に対し整理しきれない気持ちがこみ上げる深夜の背中を、何も言わずただ鈴がさすってあげるところがよかった。
そして、一星は亡くした友人を思う千明の背中をさすってあげていた。悲しみに手を当ててくれる人がいることの尊さ。『星降る夜』が描いていたのは、大きな、大きな、人間愛だったと思う。
だからこそ、深夜が旅立ちを選んだのも頷ける気がした。心さえつながっていれば、どんなに遠く離れていても関係が薄まることはない。自立した大人の絆が、とても微笑ましく感じられた。
まあ、あれだけ南推しされたのに、勤務地が青森なのはちょっと笑ったけれど。
◆鈴と一星は、最高の推しカプだった
第三に、それでいて鈴と一星の恋愛がとってもキュートなのがよかった。
もちろん恋愛がすべてじゃないし、恋をしなくたって僕たちはみんな幸せになれる。推し活に夢中の蜂須賀志信(長井短)らを通じて、そうした生き方も肯定しながら、誰かに恋することもまた素晴らしいと思わせてくれた。
居酒屋の帰りに教えてもらった「雪」「宮」「鈴」の手話。
ドギマギしたお風呂上がりのビデオ通話。
風邪をひいた一星のおでこに貼られた冷却シート。
朝焼けの海辺のダンス。
お風呂上がりのドライヤー。
思い切りおめかしして出かけたレストラン。
踏み切りを挟んで交わした言葉が「好きだ」から「愛してる」に変わったこと。
意外とこうして振り返ってみると甦ってくるのは、そんなにドラマティックな何かじゃなくて、ごくごくありふれた日常の場面。でも、それがたまらなくいとおしい。
きっと「生」とはそういうものなのだろう。取るに足らない、ささやかな、でもその人にとってはかけがえのない場面の積み重ねで「生」はできていて、その果てにいつか「死」がやってくる。
突然の「死」はどうしたって悲しい。そう簡単に受け止められるものじゃない。だけど、その「死」に至るまでの間に、眩しくて、満ち足りた「生」があったということを忘れないでいたい。鈴と一星を見て、そんなことを感じた。
これからも鈴と一星には、幸せに暮らしていてほしいな。物語の登場人物なのに、なんだか自分の人生のある地点を共に過ごした友人のようにそう思う。きっと離れて暮らす友達に手紙を書くように、これからも折にふれて2人のことを思い出すだろう。
鈴と一星は、最高の推しカプだった。
◆傷から立ち直るのに、早いも遅いもない
そして、何よりこのドラマの大好きなところは、それぞれの傷から立ち直る姿を、誠実に、真摯に描いてくれたところだ。
特に最終回で深夜がようやく泣けたところでは、つい一緒に泣いてしまった。
あったかもしれない未来、二度と叶うことのない未来。深夜の苦しさを思うと、自分まできゅっと喉元が塞がれたような気持ちになる。
もう二度と妻にも子どもにも会えないし、誰も代わりになんてなれない。だけど、深夜を挟んで、鈴と一星が手をつないだあの場面を見ながら、人はたくさんのものを失いながら、また新しいものを得ていくのだろうとも思った。
どれだけ時間がかかってもいい。立ち直るのに、早いも、遅いもない。もしもなかなかまた歩き出せないとしたら、それはそれだけその人が真面目で、一生懸命だからだ。
ハードワークで心を壊してしまった春にしても、大切な人を失った深夜や伴宗一郎(ムロツヨシ)にしても、そんな温かい目線が注がれていた。
スーパーで再会した伴が、まだ完全に傷が癒えきったように見えなかったのもリアルだった。そうすべてがすぐにうまくは解決しない。
でも、伴の娘・静空(戸簾愛)は間違いなく前よりもずっと元気になった。静空がいてくれれば、伴もまたいつかもっと明るく笑える日が来るだろう。
心の傷を塞ぐことができるのは、つないでくれる誰かの手なんだと思う。
個人的に思ういいドラマの条件の一つに、観る前と観た後で自分の中の何かが変わっていることがある。そういう意味でも『星降る夜に』はいいドラマだった。
もう僕は他人を簡単に「可哀想」と思うことはしないし、苦しんでいる人がいたら何もしてやれなくてもせめて背中に手を当てるくらいのことはできる人間になりたいと思っている。
そして、これからの長い人生で新しく誰かと知り合うことがほんの少し楽しみになった。人生は、これまで出会った人と、これから出会う人でできている。
自分のそばにいてくれる人と、鈴や一星や深夜のように、名前のない関係を築けていけたら、きっとそれはもう最高の人生だ。
(文:横川良明)