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栗山英樹監督、先人・原辰徳監督に聞く“2009年WBC制覇” 不振だったイチローを外す考えは「まったくなかった」

3月より開催される第5回ワールド・ベースボール・クラシック(以下WBC)。

栗山英樹監督の就任からおよそ1年。次々に頭角を現した村上宗隆や佐々木朗希といった若き才能たちの出場が決まれば、大谷翔平、ダルビッシュ有らメジャーリーガーの参戦も続々決定した。

着々と手はずが整っていくなか、指揮官が進めてきた準備のひとつが、勝利を極めた“先人たちの知恵”を受け継ぐこと。

1月8日(日)に放送されたGET SPORTSでは、栗山英樹監督が読売ジャイアンツ・原辰徳監督と対談。2009年に日本をWBC連覇に導いた名将の哲学に迫った。

◆メンバー選考は“サブプレーヤー”から

栗山:「“侍ジャパン”、“日の丸”を背負う上で、まず何から考えられたのですか?」

原:「短期決戦で日本代表メンバーを選ぶということで、最初に決めたのはサブプレーヤーでした」

栗山:「先に?」

原:「誰を外野の、足の、守備の、あるいはピンチヒッターの、というサブプレーヤーから(選考に)入りました」

2009年大会で、原監督が日本代表に選んだ28人の精鋭たち。

そこにはイチロー(当時シアトル・マリナーズ)を筆頭に、松坂大輔(当時ボストン・レッドソックス)、城島健司(当時シアトル・マリナーズ)ら5人のメジャーリーガーを招集。日本のトッププロとともにビッグネームが名を連ねた。

しかし意外にも、メンバーは控え選手から固めていったという。

原:「ちょっと悩んだのが鈴木尚広か、亀井善行か。尚広はすごく足もあるし、守備力もあって良かったんですけど、グラウンドが変わると若くてケガしがちだったんですね。亀井はケガしづらいので、『よし亀ちゃんだな』と。あと川﨑宗則に、片岡治大はショートもできる。まずこの3人ですよね」

栗山:「監督が打つ手の勝負ができるような形が大事だったということですか」

原:「(選手の)能力も含めたマインド。彼らはレギュラーというよりサポート役でもあるわけですね。でも、あのときに中島宏之が発熱したり、村田修一が肉離れをしたり、そこを彼らが埋めてくれた」

原監督が求めたのは、試合に出られずともチームのために最善を尽くすマインドと、時にスペシャリストとして躍動する能力の持ち主。

栗山:「選手を選ぶにあたっては、そのマインドと身体の強さが大事?」

原:「身体の強さはあるね。それと、ボールを怖がる選手は短期決戦でダメなんだろうなと自分では思いました。(1つの大会で)相手は何度も対戦するピッチャーじゃない。バッターなら、とくに右バッターはボールを怖がらない選手を必ず入れる必要があると思いました」

栗山:「たしかに動くボール、速いボールを何かちょっと気になったら、腰が引けて打てずに終わってしまうような」

原:「そう、だから中島や村田はボールをまったく恐れない。城島健司もそうです。そういう点で、あの舞台でへっぴり腰になっているようでは、日の丸を背負うのは難しい」

◆世界一へのカギは“スピード”

闘志あふれる選手たちがチームを引っ張り、献身的なサブプレーヤーが脇を固める。

さらに、チームに“経験”というエッセンスを加えたのが、現役メジャーリーガーの存在だった。

栗山:「最終的にはアメリカをやっつけるというイメージがあるんですけど、当時はアメリカでプレーする選手が何人も代表へ入ってきてくれた。これは大事になってきますか?」

原:「それはありがたかったです。まず、イチローは必要不可欠と思って。彼に連絡したら2つ返事で快諾してくれましたね。『原監督が言うなら』みたいな、自分をへりくだりながら日本代表に敬意を表した言葉で参加すると言ってくれて、非常にありがたかったです。

ほかに黒田博樹は2008年に広島からドジャースに移籍してかなり投げた。2月までに肩を作る自信がないというので、本人と直接話をしてWBCは参加しなくていいよって。松井秀喜は足の手術のあとでまだ本当の状態じゃない。その結果、あのメンバーですね」

言葉を交わし合うことで、選手たちの心は動く。

そんな原監督の考えに触れた栗山監督は、その後自ら海を渡り、日本の浮沈を握るメジャーリーガーたちに直接優勝への“想い”を伝えていった。

そして1月6日、全メンバーの発表に先立って、代表に決定した選手の一部を発表。

30人中12人のメンバーのうち、そこには大谷とダルビッシュ、さらに鈴木誠也の名があった。

2009年WBCでは、原監督のもとに5人のメジャーリーガーが集結。その起用法にも、世界一へのカギが隠されていた。

原:「練習試合を含めてこのチームはどうしたら強いチームになるのかなと。結論から言うと7番8番9番がメジャーリーガー。7番福留(孝介)、8番城島(健司)、9番岩村(明憲)」

原監督は、第1ラウンドの中国との初戦スターティングメンバーで、1番にイチローを置く一方で、他のメジャーリーガー3人を下位打線に並べた。

原:「なぜそうしたかと言うと、このメジャーリーガー3人をクリーンアップに打たせるのはいいかもしれない。ただ、その打順では世界一は獲れないんじゃないかなと。このチームで世界に勝つためには、やっぱり“スピード”だと思いました

栗山:「スピード」

原:「スピードは絶対にこのチームが世界一だと思いました。それと献身性、チームプレーというものを重視できる。だから最初の4番バッターは稲葉篤紀でした」

栗山:「そっか…」

原:「1番イチロー、2番中島。中島は足が速かったから。稲葉は右打ちやエンドランがとても上手だった。それでスピードという点では、このメンバーなら絶対に世界一だなと思いました」

栗山:「日本の野球らしさですよね。スピードや献身性、これは大事にすべき?」

原:「他のチームにはまったくないことですから。たとえばパワーや、すごいボールを投げる相手に勝っていかなきゃいけないから、そのためにはやっぱりチームプレー、献身性であり、スピードである。これは絶対世界ではナンバーワン。だから、それを重視して戦っていこうと皆の前でも話しました」

パワーでは劣っても、日本独自の武器がある。揺るぎない信念と戦略が勝利を呼び込んでいった。

栗山:「日本が世界一になるんだという実感は、戦いながらあるんですか?」

原:「もちろん世界一を連覇するということが目標だけれども、やっぱり1試合1試合でしたよ。僕が一番覚えているのは東京ドームでの初戦。18時プレーボールだったんですけど、初めて17時58分ぐらいに胃が痛くなったんです。で、胃薬を飲みに行きました」

栗山:「相当、そういうものなんですか?」

原:「初めて。いまだかつて胃薬を試合前に飲んだのは最初で最後。最後かどうかはわからないけど(笑)。その辺の独特のものは僕が説明するよりも体感されてください」

◆不振のイチローを使い続けた理由

計り知れない重圧をはねのけて世界一に上り詰めた原監督に対し、栗山監督にはどうしても聞いておきたいことがあった。

栗山:「自分が選手を信じることと、我慢することのタイミングってあると思うんですけど…。たとえば、2009年のWBCでイチローが全然打てなくて、どう判断しました?」

韓国との決勝戦。この試合でイチローは決勝タイムリーを含む4安打。連覇の立役者となった。

しかし準決勝までの打率はわずか2割1分台。とくに第2ラウンド以降は、12打席連続ノーヒットを記録するなど、極度の不振に陥っていた。

実は2009年のシーズンは、4年連続となるリーグ最多安打をマークし、3割5分を超える打率を残した年。シーズン開幕直前のWBCで、なぜスランプに陥ったのか。

その原因は、大会前の強化試合におけるイチローの打順にあったと原監督は振り返る。

原:「僕がイチローを違う環境に置いたのがいけなかったのかなと思って。普段メジャーで1番のイチローを3番で起用しようとしたんですね。それで途中イチローに『独り言を話すから、独り言で答えてくれないか』と言って。

2人きりになって『イチローは3番より1番バッターが好きだ』と僕はポツリと言ったわけ。そしたら彼が『いやいやいや、監督…』ってやるから、『独り言を言えばいいんだよ』って。そしたら『はい!』って言った。

それで次の試合からイチローを1番に戻して、今度は青木宣親を3番にした。(その後)あまりイチローは打たなかったけど、最後のおいしいところは持っていったというところですね」

打順を変えても、すぐには結果として表れなかった。それでも、原の中にはブレない確かなものがあった。

栗山:「イチローを外すまでのことは…」

原:「その考えはまったくなかった。誰よりグラウンドに早く来て、誰より(仲間に)声をかけ、誰よりチームを引っ張る。イチローの必死さというのかな。彼の野球に対するスタンスなんでしょうね。

だから、イチローをベンチへ引っ込めることはこのチームを否定することだと思いました」

WBCを制した原野球の一端に触れた栗山。

名将の言葉と哲学を胸に刻み、14年ぶりの世界一への戦いが始まる。

番組情報:『GET SPORTS
毎週日曜 深夜1:25より放送中、テレビ朝日系(※一部地域を除く)