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熊切あさ美、“崖っぷち”時代は東京から離れてキャバクラでアルバイトも。“ナンバー1”も経験「小さなお店だったんです」

1998年、18歳のときにアイドルグループ・チェキッ娘の初期メンバーとして芸能界デビューした熊切あさ美さん。

チェキッ娘の内部ユニット・METAMOのメンバーの一人にも選ばれるが、1999年にチェキッ娘が解散、2002年にMETAMOも解散すると仕事が激減。同年、『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)で、「崖っぷちアイドル」として注目を集め、グラビアモデル、バラエティタレントとして引っ張りだこに。

2015年、世間を騒がす恋愛騒動で心ないバッシングも浴びたが、映画『悪い女はよく稼ぐ』(原隆仁監督)、映画『影に抱かれて眠れ』(和泉聖治監督)など念願だった女優としても活動。2022年11月18日(金)には、ヒロイン役を務めた映画『愚か者のブルース』(横山雄二監督)が公開される熊切あさ美さんにインタビュー。

 

◆チェキッ娘時代、2年後に2人残れば成功グループと言われて

東京都で生まれた熊切さんは、父親が転勤族で小さい頃から引っ越しが多く、4歳の頃には名古屋でモダンバレエを習いはじめたという。

「近くに住んでいたお姉さんがバレエをやっていて、発表会を見に行ったときにやりたいって言いました。クラシックのほうは先生が男性だったんですよ。まだ4歳で子どもだったから、レオタードを着ている男性に抵抗があったみたいで、女の先生のほうのモダンバレエにしました。

親はすぐにやめるだろうと思っていたらしいんですけど、ピアノとバレエだけは、仕事をやりはじめてからもずっと続けていて、引っ越してもその先生の親友の教室を紹介してもらって行っていました」

-芸能界へと思ったのはいつ頃からだったのですか-

「中学校のときに、女優さんになりたいって思うようになりました。転勤族だと小学校もいろいろ変わるので、ドラマの中の幼馴染(なじ)みが羨ましかったりしていたんですよ。疑似的な体験ができるのもいいなあって思って。

女優さんになったらそういうのも体験できるかもしれないと思って女優さんになりたかったのと、踊ることが大好きだったので、あわよくばそういう役もきたらいいなあって思ったんですよね。

ちょうど友だちがオーディションを受けると言ったので、何かしら受けなきゃと思っていろんなオーディションを受けていたら受かったのが、チェキッ娘だったんです」

-アイドルグループとしての活動はいかがでした?-

「最初は6人だったんですけど、徐々に増えていって19人になって。アイドルという考えは私の人生計画になかったんですけどね」

-思春期の女の子たちが、19人もとなると、いろいろ大変だったのでは?-

「そうですね。チェキッ娘自体は、半年間のプロジェクトということだったんですね。最後にコンサートをやらせてあげたいからということで1年に伸びたんですけど、1年以上だったら、私は無理でした。女の子同士は、楽しかったですけどイヤな面も見たりとかしていろいろあったので」

-その中でまたユニット・METAMOができて、チェキッ娘を解散した後もグループで活動することになりましたが-

「正直、『グループを卒業したのにまたグループなんだ』って。アイドルというのをやらせてもらったのはすごく楽しかったんですけど、歌のテイストがどんどん変わってパンク系みたいな感じの歌を歌わされたりとかするうちに、グループを抜けて早くひとりでやりたいなと思うようになりました。

でも、チェキッ娘のときに、『19人いて2年後に2人残っていれば、それはもう成功のグループだからね』って言われていて。

当時のマネジャーさんに、『前に出ないと名前すら覚えてもらえませんよ』って言われたので、前に出ようと必死でやっていましたけど、最前線で活躍されている方は、振られたときにはしゃべるけど、がっついてガヤみたいなことはしていなかったって思うようになりました。

だから『何でもかんでも行け』とか『3割打ってこい。打席に立たずに終わるな』ってマネジャーさんに言われて育ったんですけど、やたらとがっついてもダメだったんだって気づきました」

※熊切あさ美プロフィル
1980年6月9日生まれ。東京都出身。アイドルグループ・チェキッ娘のメンバーとしてデビュー。2002年、「崖っぷちアイドル」として注目を集め、『ラジかるッ』(日本テレビ系)、『有吉反省会』(日本テレビ系)、『スカイハイ』(テレビ朝日系)、『倶楽部クマキリ』(静岡第一テレビ)、『ほろ酔い!クマキリ』(ラジオ大阪)、『じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~』(テレビ東京系)準レギュラー、舞台『志村魂』、映画『悪い女はよく稼ぐ』など多くのテレビ、映画、舞台、ラジオに出演。写真集、イメージビデオも多数。東スポ競馬アンバサダーなど幅広い分野で活躍。2022年11月18日(金)に映画『愚か者のブルース』が公開。12月14日(水)~18日(日)は舞台『龍馬が翔ぶ』(俳優座劇場)に出演。

 

◆芸能界に踏みとどまるため「崖っぷちアイドル」で体を張って

1999年にチェキッ娘が解散し、2002年にMETAMOも解散すると仕事が激減したという。そんなときに『踊る!さんま御殿!!』に出演することに。

「『踊る!さんま御殿!!』では、最初に『何をやっている子?』って振られたんですけど、私は“タレント”というほどテレビに出ていないし、“グラビアアイドル”も有名な人がいっぱいいるので、それも胸を張って言えなかったんですね。

だから『崖っぷちアイドル』って言えば、人生の迷子だし、見ている方も気分悪くしないかもって思って言ったんです」

-「崖っぷちアイドル」という言葉がよく思いつきましたね-

「ですよね。当時の事務所の人に『崖っぷち』って言われたことがあり、崖っぷちだったらいいんじゃないかと思って言ったら、さんまさんがおもしろくいじってくださって。そのおかげでそこから仕事につながりました」

-「崖っぷちアイドル」として一躍有名になりました-

「そうなんですよね。ありがたかったです。当時は体を張って…というアイドルがあまりいなかったので、結構いろんな経験をさせてもらいました」

-バンジージャンプとか、クワガタムシに鼻を挟まれたり…大変なこともいっぱいあったのでは?-

「大変なこともありましたけど、今となればよかったなって思っています。でも、1回目はできるけど、2回目を求められても怖さを知っちゃっているから、できないんですよ。

芸能界に踏みとどまるためには、どんな仕事でもやる『崖っぷちアイドル』でやっちゃってる以上、断っちゃいけないんだというのがあって、それは大変でした。

でも、ある番組で蛭子(能収)さんの代わりにバンジージャンプを飛んだことがあるんですけど、蛭子さんがそれをずっと覚えていてくださって、今でも会うと、『あのときはありがとう』って言ってくれるので、やってきてよかったなあって思います」

-バンジーを飛んだときはどうでした?-

「怖くて2時間くらい飛べなかったんですよ。それで、スタッフさんに『もう、いいや』って言われたときに『やばい。崖っぷちアイドルで、もういいやって言われたら、本当にもういらないってなっちゃう』って思って飛び降りました。もう二度とできないです。怖すぎて。

やったときはスタッフさんも、私が本当にイヤがっていたのがわかっていたから、『ごめんね、こんなことをさせて』みたいな感じでした。でも、だからこそ、そのときに一緒だった芸人さんとか、スタッフさんとは今でも仲良くさせていただいていると思うんですけど」

-クワガタムシに鼻を挟まれるというのもありましたね-

「はい。やりました。あれはADさんが間違えて一回り大きいクワガタを発注しちゃったんですよね(笑)。それも挟む位置が違っていて、クワガタNGでやり直しになっちゃって(笑)」

-かなり痛かったでしょう?-

「めっちゃ痛かったです。めっちゃ痛いのをもう1回やるってなったら、本当にクワガタがすごい怖かったんですけど、『崖っぷちアイドルなんだから、これはやらなきゃいけない』って思ってやりました」

-一生懸命いろんなことをやりすぎて体調を崩したこともあったとか-

「そうなんです。やりすぎてどうしたらいいのかわからなくなったこともありましたけど、今思うと何でもやっておいてよかったのかなあって思います」

-本当にいろんなことやってきていますよね-

「そうですね。今ではもうテレビではできないようなこともたくさんありました。

その当時の番組では、血が出るくらいではケガじゃないという感じだったので、しょっちゅう血が出ていましたね。まさか今の時代のように、いろんなことができなくなる時代がくるとは思ってもいませんでしたし。

あとは、私がいろいろあったときに、週刊誌で有名になった人というイメージを持っていた人も多かったみたいなんですけど、バンジーとかクワガタとか体を張ってやっていたことを知っている芸人さんたちは優しくしてくれたので、やっていてよかったなあって思いました」

 

◆トーク技術のためアルバイトでキャバクラ嬢に

バラエティ番組などへの出演も続く中、トークのスキルをもっとあげたいと思った熊切さんは、キャバクラで働くという驚きの行動に。

「昔は、『バラエティはキャバクラ出の子が強い』って言われていたんですよ。トーク力があるって。私はチェキッ娘でデビューして、ほとんどアルバイトもしたことがなかったので、ムダにはならないだろうなと思って。

世間を見たことがないし、トークの力がつくのかもしれないと思って、キャバクラで働いてみることにしました」

-当時の事務所には?-

「話していませんでした。ナイショでやっていたので、あとでバレて怒られました(笑)」

-顔でバレると思いませんでした?-

「それほどじゃないと思っていたのと、東京じゃないし大丈夫だと思っていたんですよ。まず仕事で急に呼ばれても通える距離でと考えて、いろいろ調べて仙台にしました。もし、お客さんに言われたら『双子です』って言えばいいやって(笑)。ネットとかも今ほどじゃなかったから、わからないだろうと思って」

-やっぱり言われたでしょう?-

「言われました。それに酔っ払っちゃうと自分のことを『あさ美』って言っちゃうことがあって(笑)。何とかごまかしたんですけど、『妹』って言ったのか『姉』って言ったのか、『双子』って言ったのか、だんだんわからなくなっちゃって。統一しておけばよかったなあって(笑)」

-それでも1カ月ぐらいは勤務してナンバー1に?-

「はい。でも、小さなお店だったんです。バレたくないというのがあったので、店頭に写真を飾らなくていいお店を調べて選びました。友だちと一緒に2カ所飛び込みで行って、社長さんにだけ面接のときに本当のことを話しました。バレたときのフォローをしてもらおうと思って」

-その1カ月の間にテレビなどの仕事もされていたわけですよね-

「はい。私は仕事が入れば前日に東京に帰ればいいという崖っぷちでやっていたんですけど、東京に来たときに、マネジャーさんに『その荷物何? 仕事に来るときの荷物じゃないよね』って気づかれて。

『実はアルバイトをしています』って言ったら『二重契約になるから戻ってらっしゃい』って言われました。私は二重契約になるということを知らなかったんですよね。悪いことをしている気がなかったので」

-社会勉強とトーク力をつけるつもりで?-

「それと、あとはお給料(笑)。生活費にしたかったので、社会勉強とお給料ですね。私はすごい考え込む性格で、仕事がないときは家にいて人に会わなくなっちゃうタイプなので、このままだとおかしくなってしまうなら外に出なきゃと思ったのもきっかけです」

-キャバクラでの経験は現在何か活かされていますか?-

「わからないです(笑)。キャバクラの仕事が終わった後、友だちとご飯を食べに行って、朝方のカラスを初めて見たとか、そういう記憶が強くて…。

水商売の役もあったりするので、実際にやっておいたのはよかったなあと思います。外の世界を見たことがなかったので、そういう意味でもよかったのかもしれないなと思います」

何ごとにも一生懸命でチャレンジ精神が旺盛な熊切さん。プロ雀士の資格やランニングアドバイザーの資格、ダイバーの資格も取得するなどさまざまなチャレンジを続けていく。

さらにバラエティ番組やグラビア写真集に加え、『歌舞伎町はいすくーる』(軽部進一監督)や『悪い女はよく稼ぐ』など映画にも出演。念願の女優としても活動することに。次回は撮影エピソードなども紹介。(津島令子)

© 2022 by Yokonandes Film

※映画『愚か者のブルース』
2022年11月18日(金)より池袋シネマ・ロサほか全国順次公開
配給:アークエンタテインメント
監督:横山雄二
出演:加藤雅也 熊切あさ美 横山雄二 佐々木心音 小原春香 筒井真理子

広島発、実際のストリップ劇場第一劇場を舞台にした3部作の第二弾。30年前、伝説の映画を監督したが、今や過去の人となっている男・大根(加藤雅也)。大根はピンサロ嬢として働くタマコ(熊切あさ美)のヒモとなり空虚な生活を送っている。ある日、タマコの昔の男が現われ、大根とタマコは大根の大学時代の後輩が館長を務める広島のストリップ劇場に逃げ込むことに…。

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