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布施博、1年間休まず働いたバブル時代。話題作や“ギャラ1億円”のCMにも出演「そりゃあ調子に乗りますよ(笑)」

倉本聰さんが脚本を手がけたドラマ『昨日、悲別で』(日本テレビ系)で注目を集め、『ライスカレー』(フジテレビ系)、『抱きしめたい!』(フジテレビ系)、土曜ワイド劇場『同居人カップルの殺人推理旅行』シリーズ(テレビ朝日系)、『味いちもんめ』シリーズ(テレビ朝日系)など数多くのドラマに出演してきた布施博さん。

1980年代後半から1990年代前半のバブルの時代に作られたトレンディドラマ出演も多いが、「トレンディ俳優」と称されるのはイヤだったという。

 

◆倉本聰さんとの出会いが起点に

『昨日、悲別で』の演技のオーディションで組まされた相手に「芝居もできないのかよ」と言われ、頭に来てトイレでケンカになった布施さん。そのことが倉本さんの耳に入り、合格したというのだから人生はわからない。

「倉本先生の『お前は俺の役者という許容範囲の中で規格外だった』というのは、褒め言葉だと思っているんですよ。当時の僕に芝居なんてわかるわけがない。

ミスタースリム(カンパニー)で『叫べ、吠えろ!』って演出しか受けたことがなかったんだから、そんな急にできるわけがないじゃないですか。だから、お芝居とかセリフとか、そういうものを超えた迫力とか説得力があったんでしょうね」

-倉本さんはすごいですね-

「そうなんです。あの人はそういうのをほじくり出すのがものすごく上手なんです。それでなんだかんだいって、それ以来、先生はことあるごとに使ってくれて。

『北の国から』とか、ローカルの札幌テレビのドラマを岩城滉一さんとやらせてもらったりとか、ことごとくお世話になっていました」

-『昨日、悲別で』の撮影はスムーズにいったのですか?-

「そんな長ゼリフがあるわけじゃないからNGを出したわけじゃないけど大変でした。ただ、『悲別』のときには、他の人のセリフも全部覚えていました。

本読みにはキャストからスタッフ全部で50人くらいいて、すごい緊張感なんですけど、本読みをやったら俺は結構ウケていたんですよ。

それで『これはやったなあ』って思っていたら、『おい駅長、君は台本を何回くらい読んできた?』って聞かれたので、自慢げに『50回くらいです』って言ったら『君は本を読んでない。本に書かれている点と丸の違いがわかるか?』って言うんですよ。そんなのわかるわけないでしょう(笑)?

それでめちゃくちゃダメ出しをされたんですよ。ただ一つだけやっていたのは、自分のセリフだけじゃなく、全員のセリフを最終話まで全部覚えて行ったんです。台本は今でも家にありますけど、ボロボロですよ。そのぐらい自分でもかける熱い思いがあったんでしょうね。

だから今、60歳を過ぎて振り返ってみると、人生の各起点で人がいますよね。高校野球を辞めて、そのあと谷村好一という先輩がいて、その先輩がミスタースリムに入って、深水龍作という人と会えた。

それで、その人に叩(たた)きのめされてやめようかなと思ったら倉本聰さんに会えた。で、倉本さんを通じて今度はまた『抱きしめたい!』を書いた松原敏春さんとか、いろんな人と出会って…人生がどんどん変わっていったんです」

-倉本さんの作品にはずっと出演されていますね-

「そうですね。『ライスカレー』(フジテレビ系)というドラマもあるんですけど、あれは『悲別』のパート2なんです。

『悲別』が終わった後、お疲れさまということで天宮良、石田えり、梨本謙次郎、俺、プロデューサー、倉本さんとか10人くらいで、生まれて初めての海外、ハワイに連れていってもらったんですけど、『飛行機代だけ出せ。あとは全部俺が持つから』って言われました。

飛行機代って当時25万円くらいだったんですよ。『そんな金ないし行かねえよ』って思ったんだけど、行ったほうがいいと言われて、なんとかお金を借りて行って。そのときに話したのが、第2作の『ライスカレー』で、あの中で出てくる野球のシーンは俺の話なんです。

いろんな事情があって、結局フジテレビがキャストを総入れ替えしてやることになって。俺は、倉本さんが『博を出せ』と言ってくれて出ることになったんですけど、『「悲別」の君は芝居じゃない。あれは君の地だよ』なんて言われましたからね。

だけど、『ライスカレー』に出たことでどんどんどんどん仕事が来るようになって、まだまだお芝居という感覚よりも、それに順応していったという感じで、なんとなくヌルっと芝居の世界に入っちゃったんですよ。それで気がついてみたら60歳を越えていたという感じです」

 

◆外資系のコマーシャルでギャラ1億円?

連続ドラマに次々と出演していた布施さんは、1年間のうち365日間撮影の日々だったという。

「時代もバブルだとか、そういう時代でしたからね。うちの社長には『お前、ちょっと仕事をセーブしないか』って言われて、『何で?』って聞いたら『飽きられる』って言われたんですよ。

お笑いの人は毎日いくつもテレビに出ているじゃない。『俺らは1日出て50何分だよ。それで飽きられるような役者だったら、もういないよ、明日。だから仕事が来たらやろう』って言って、1年365日間働いていたんですよ。

飽きるとか飽きられないということよりも、ブームというか流れというのは俳優にも必ずありますからね。

本当に仕事をしていました、遊んでいたし。仕事して遊んで、寝るのはお昼だけ。『はい昼飯です』って言われたら50分だけ寝て。若かったからできたんですけど(笑)」

-セリフも覚えなきゃいけないし、大変ですよね-

「そう。それで付き人もいないから自分で運転してでしょう? 二日酔いのときだけは危ないから運転しないけど、イヤなんですよ。危ないから運転手だけでもつけろと言われて何人か来たけど、もって3カ月なんですよ。『もういいから、ありがとう』っていう話になって」

-テレビ、映画、舞台、コマーシャル…いろいろやられていましたね-

「そうですよ。俺ビックリしちゃったんだけど、アメリカの外資系のコマーシャルで、アメリカに1週間行ったんですよ。撮影したのは1時間足らず。

パラマウントスタジオで変な飛行機の後ろに乗って、『オーマイゴッド』って、一言言っただけで、契約金が1億円。ビックリしましたよ。その頃日本で大手のCMをやっても多くて4千万くらいでしたからね。

役者としてドラマで1年365日間、休みなく目一杯働いてもだいたい僕らのランクでせいぜい5千万。それがCM何本も入ったら、そりゃあ調子に乗りますよ(笑)」

-そのときはその状態がずっと続くと思っていました?-

「ただ調子こいていただけですよ。続くとか続かないなんてことは頭の中になかったですね。楽しければどうでもいいという感じ。領収書さえあれば何でも落ちると思っていましたからね。参っちゃったよ(笑)。

そのときに今の『有限会社馬力屋』という事務所を作ったんですけど、お金を使いすぎて翌年の税金が払えなかったんですよ。それでお金を借りて税金を払ったりしていましたからね(笑)」

-お芝居に関して意識の変化は?-

「いろんな仕事をやっていくうちに、外部の人と接触するようになりました。そこには『文学座』だの『自由劇場』、『紅テント』だとかいっぱいいて、それがテレビという中でいろんなことをやり合うわけですよ。

俺は、(深水)龍作さんに言われたことだけしかやっていなかったですけど、人の真似というか、何かを盗んでいきながら、だんだん応用していくわけですよ。そうしたらだんだんだんだんお芝居が変わっていく。

そうしているうちに、20代後半だったかな? ある日、プロデューサーから『お前芝居うまくなったなあ』って言われたんですよ。

自分ではそういう自覚がなかったですけど、『ものすごく間がよくなった』とか言われるようになって、それからどんどん仕事が来るようになって、それこそ年収何億だってなって。そりゃあ調子に乗りますよね、若いし(笑)」

-話題作出演も続いて“トレンディ俳優”と称されていましたね-

「それが、皆さんがトレンディって言うけど、脚本家にしても俺ら俳優にしても、みんなトレンディって言われるのがイヤだったんですよ。俺たちは普通のドラマを作っているつもりでしたからね。

勝手に周りが『トレンディドラマ』とか『トレンディ俳優』って言って。まあ、別に気にはしないけど、そういう中でW浅野(浅野ゆう子&浅野温子)とかが出てきて、僕なんかはある意味、おこぼれにあずかって得しましたよね(笑)」

-仕事が途絶えたり、過渡期というのはありました?-

「ありましたよ。調子に乗って遊ぶ。それで写真週刊誌に捕まる。スキャンダルが出るとCMがなくなるでしょう? それでだんだんだんだんお決まりのパターンですよ。どんどんところてん方式に出てくるんですよ、次から次へと。だけど、俺はやばいから隠そうというのは別になくて、『コソコソなんてしなくても関係ねえよ、そんなもん』って言っていたんだけど、結構叩(たた)かれました。

それで40歳ぐらいのときだったかな。プロデューサーに言われましたよ。『今はもう役者はいらないんだ』って。『日本語がしゃべれて容姿端麗で道端を歩いている美人の素人が、次の日には女優、俳優になって、アカデミー賞を獲りますよ』って直に言われたんですよ。

だから、『それはないでしょう?』って。俺らは散々ゲロ吐いてやってきた叩き上げでしょう? もうそんな必要がない。結局それだけ技術が進んでいるということなんですよね。そういうこともあって、余計舞台に気持ちがいくようになりましたね。もともとがミスタースリムだから」

布施さんは、1994年に劇団「東京ロックンパラダイス」、2014年に姉妹劇団となる「東京DASH!」を旗揚げし、後進の育成と数多くの舞台を上演するように。次回後編ではその舞台裏、2022年8月2日(火)に公開される映画『乙女たちの沖縄戦~白梅学徒の記録~』についても紹介。(津島令子)

©Kムーブ

※映画『乙女たちの沖縄戦~白梅学徒の記録~』
2022年8月2日(火)~8月7日(日)東京都写真美術館ホールほか全国順次公開
配給:渋谷プロダクション

◆ドキュメンタリーパート
構成・監督:太田隆文
たった18日間の看護教育を受けただけで、沖縄戦の野戦病院に配属され、負傷兵の治療にあたった白梅学徒の10代の少女たち。現在90代の中山きくさんと武村豊さん、そして関係者たちが当時の状況を語る。

◆再現ドラマパート
監督:松村克弥
脚本:太田隆文
出演:實川結 森田朋依 實川加賀美 永井ゆみ 城之内正明 布施博ほか
ドキュメンタリーパートの証言を基にドラマ部分を制作。