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夏樹陽子、トップモデルから女優へ。ハードだったデビュー作の撮影「私はゴミだ!ゴミだ、ゴミだ!」

ファッションモデルとして多くのCMに出演し、1977年に映画『空手バカ一代』(山口和彦監督)で女優デビューした夏樹陽子さん。

華やかな美貌と抜群のプロポーションで注目を集め、映画『新・女囚さそり 特殊房X』(小平裕監督)、『吉宗評判記 暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)、『ザ・ハングマン』(テレビ朝日系)、連続テレビ小説『マッサン』(NHK)など映画、テレビに多数出演。歌手、ジュエリーデザイナーとしても活躍。

国際C級ライセンスを所持し、レース出場経験ももつ芸能界屈指の車好きとして知られ、2021年9月にはじめたYouTubeチャンネル「ようこそ!陽子TIME」で愛車フェラーリF355を紹介して話題に。2022年、女優生活45周年を迎えた夏樹陽子さんにインタビュー。

愛車フェラーリF355

◆モデルにスカウトされるまではコンプレックスのかたまり

三重県で生まれた夏樹さんは、父親の仕事の都合で転勤が多く、だいたい3年ごとに引っ越していたという。

「感受性が鋭かったので、わりと友だちは少なかったですね。夏はプールに行ったりして結構活発だったんですけど、みんなと『ワーッ』ということができないタイプだったので、ひとりで本を読んでいたり、ピアノを弾いたりしていました」

-お父様の転勤がかなり多かったそうですね-

「そうなんです。小学校も三つ変わりました。小学校6年生まで大阪にいて、6年生の3学期でまた三重県に引っ越して、中学校の3年生の2学期で今度は愛知県犬山市へ」

-新しい学校にはなじめました?-

「あまりすぐにはなじめなかったけど、だいたいひとりか二人親切な子がいてくれて助かりましたね」

-端正な美貌でプロポーションもいいので目立ったでしょうね-

「子どもですから自分ではあまりわからないけど、中学のときにはなじめなかった。田舎のほうだったので、いじめっぽいのがありました。そんなにひどくはないけどイヤミを言われたりね。ちょっと普通と違うからということで、顔立ちのことや体型のこと、首が長いことを言われたりして親を恨んだりしたこともありました。

でも、18歳のときに東京に出てきてモデルにスカウトされたことで、それは悪いことではなくて良いことだったんだって、やっとそこでわかったんですね。それまでは本当にコンプレックスのかたまりだったから」

夏樹さんは高校卒業後、東京の杉野女子短期大学被服科に進学する。

「音楽が好きだったので本当は音大に行きたかったんですけど、やっぱり家の事情とかあるじゃないですか。それと勉強が好きじゃなかったんですよ(笑)。ピアノを弾いたり歌を歌ったりすることは好きだったんですけどね。

音大じゃなくてもピアノは続けられるので短大に行きました。刺繍や編み物をしたり、絵を描いたりすることが好きだったから短大に入って、好きな文学系とか音楽、生物などを選んで。被服科は布を扱うので、化学は絶対に選ばないといけなかったんですよ。イヤだなあとおもったけどしょうがないので、それは選びましたけどね。

それでエレクトーン部に入って、みんなとエレクトーンを弾いていました。目黒駅のビルの1階がちょっとした広場みたいになっていて、そこにエレクトーンがあったんですけど、そこに学生が順繰りに弾きに行っていました」

-18歳でスカウトされたときはどんな風に?-

「目黒の通称ドレメ通りと言ったんですけど、10メートル置きくらいにスカウトマンが並んでいるんですよ。そこで女性に『ただでモデルになるレッスンだけでも受けませんか?』と声をかけられたので、『ただでセンスの良くなるレッスンを受けられるんだったらいいなあ』と思って(笑)。

ただそれだけのことで入ったんですけど、週に1回、2、3時間のレッスンを3カ月間、メイクとかウォーキングとか、いろんなことを教わりました。

大映の女優さんで浜田百合子さんという方がいらっしゃって、その方が先生で演技の勉強もあったんですけど、そのときに浜田さんから『あなたの勘がいいわね』ってほめられたんですよね。それで、『そうか。勘がいいのかな』って思っていて、のちに結局女優になることになったんですけど」

-そのときには女優さんにとか、芸能界で仕事をしようとは?-

「モデルはやろうと思っていました。ただ、3カ月間レッスンに行っていましたけど、その途中でワインのオーディションがあって行ったら、いきなり『グラスを持ってみて』って言われてグラスを持ったんです。そうしたら『君は爪がないね』って言われて。

私はピアノをしているから爪を短くしていたんですよね。今ならつけ爪でもなんでもいくらでもできるんですけど、あの時代はそこまではなかったんじゃないかな。

それでモデルさんというのは、人間的にどうとかはまったく関係なく、外見で選ばれて、落ちたり受かったりするんだということにものすごくショックを受けて、それから3日間くらい熱を出して寝込んだんですよ。爪がないということで落ちたことがすごくショックで。

性格が悪いとかいうことで落ちたならしょうがないけど、普通なのに。普通にいい子だったとは思うんだけど、そんなことは関係なく落とされるということがショックでした」

-モデル活動をされることについてご家族は?-

「そのときはすでに子どもさんにピアノを教えていたんですけど、父がピアノの生徒さんに絶対に迷惑をかけないでやれるのであれば、やったらいいんじゃないかって。最初は反対したんですけどね」

-最初にスカウトされた事務所に入られたのですか-

「はい。そこに5年間いました。今でもある事務所ですけど、同じやるならトップになるまでやってやろうと思って、結構細かいことを自分で考えて、初めてのところには手書きの名刺を作って渡していました。

昔はフィルムの写真、ベタ焼きというのをくれたんです。その写真を切り抜いて手書きの名刺に貼って、それを『はじめまして』って配っていたんですよ。そのときには本名で。

そうしたら皆さんが『手書きの名刺?手作りだね。写真が貼ってある。これは捨てられないよな』って皆さんおっしゃって、それでわりと第一印象が良くて、それから仕事があったら、必ず『写真ができあがったら送ってくださいね』って言って、送っていただいたら必ずお礼状を書いて出していたんですね。

そうしたら『あの子は熱心ないい子だね』っていうことでまた声をかけていただけたし、仕事も一生懸命でした。あの頃は、衣装は自前が多かったんですよね。靴も『白と黒と、もしあったらベージュを持ってきてくださいね』って言われたのを私はだいたい10足ぐらい持って行くんですよ。パンプスだけじゃなくてサンダルとか、色も赤とか茶系とかも持って行くので、荷物がいつもものすごい量だったんですけど、その荷物を持って通ったんです。

それで、そういうときに限って、『まさか赤い靴なんて持ってないよね?』って言われたりするので、『ありますよ』って言って出すと『おー、すごいね』って(笑)。だから熱心だということで、必ずリピートがくるわけですよ、仕事が。

そうやって一個一個、自分で仕事を勝ち取っていったというか、取っていったんですね。あとオーディションのときのイメージと違う感じが必要な場合もあるので、いろいろな資料写真を全部ファイルにしてアルバムに貼って持って行って『見てください』って見せると、皆さん『おーっ!』っていう感じで、だいたいオーディションに受かったんですよね。

その頃は、そういうことをやっている人は1人もいなかったんです。だから、結構こまめな努力をやっていましたね」

-マネジャーさんがやる以上のことをご自分でやっていたのですね-

「そうですね。誰に教わった訳でもないんですけど、そこで印象を残すにはどうしたらいいかというのは、18、9歳の頃から考えていたし、手紙は子どもの頃から母が必ず書かせたんですよね。

お菓子などを送っていただいたら、『礼状を書きなさい』と言って便箋と封筒を置いて、書くまで遊びにいかせてもらえなかったんです。そういう習慣がついていたので、自然とそうできたんですよね」

※夏樹陽子プロフィル
10月24日生まれ。三重県出身。1977年、映画『空手バカ一代』で女優デビュー。同年、『新・女囚さそり 特殊房X』で映画初主演。映画『トラック野郎・度胸一番星』(鈴木則文監督)、『大恋愛~僕を忘れる君と』(TBS系)、『恋する母たち』(TBS系)、『山女日記』(NHK BSプレミアム)、『緊急取調室』(テレビ朝日系)、舞台『双頭の鷲』、ミュージカル『アニー』など数多くの映画、テレビ、舞台に出演。歌手としても活躍。『夏樹陽子 キレイの秘密』(世界文化社)など著書も出版。ジュエリーデザインも手がけ、自身のブランド「ルシオラ」をもつなど幅広い分野で才能を発揮している。

 

◆トップモデルになったものの年功序列の壁が

端正な美貌と抜群のプロポーションに加え、本人のたゆまぬ努力で夏樹さんは事務所でトップランクのモデルに。

「だいたい私は最初のコマーシャルというのが多いんです。レディーボーデン、丸井、PARCO(パルコ)、ハウスプリン、ライオン油脂、丸大ハムとか。

パルコもできたてのときに、私と池波志乃さんと二人だったんですけど、パルコのコマーシャルってものすごくカッコ良かったんです。日本画がベースで、『日本画かな?』って思ったら湯気がブワーッと動いているんですよね。

それで、檜で作ったお風呂のヘリに池波さんが座って、私は浸かっていて、二人が日本画のような映像ですごく評判になったし、ツイていたんですね。そういう新しいものがやれたので」

-学校とピアノの先生、そしてモデル活動も-

「そうです。ピアノは土日だけ、18歳から23歳くらいまで5年間やりました。ピアノの先生をやりたいという夢はそれで一応叶ったので、次にいきましょうということで次はモデルでトップになること。

3年目には1番の稼ぎ頭になっていて、もうトップになっていました。ところが、何で女優になったかというと、モデルの仕事がどんなに忙しくなっても事務所のパンフレットの1番トップに掲載されたのは1回だけ。年功序列みたいな感じなので、いつもトップには載せてもらえないんですよ。

『私は一生懸命仕事をして、一番売れているはずなのに何でトップじゃないのかなあ』って思って。古くからいる人がいるからいくら頑張ってもトップには載せてもらえないんだと思ったら、冷めちゃったのね。

あとモデルというのは、商品が主役で、自分はいつまでたっても主役になれないし、大勢いたりすると『はい、そこのモデル』という感じで名前を呼んでもらえないんです。

そんなことがものすごく悔しいというか、いつまで経っても私は脇役でしかないので、やっぱり私を見て欲しいと思って。だからカメラの前でポーズをしていても、お洋服を見せているんだけども段々自分が出ちゃうんですよね。

それで『これは私、モデルではなくて女優に向いているんじゃないかなあ』と思うようになって、演技のレッスンのときに浜田百合子さんに『あなた向いているわね』って言われたこともあったなあと。

私はコマーシャルの仕事が多かったんですけど、コマーシャルは15秒でも30秒でも演じるわけですよね。それが評判良かったので、コマーシャルの仕事がすごく増えたんです。だからやっぱり私は女優のほうが向いているなあって。

モデルだったら目尻にシワができたりしたら、もう仕事が来ないだろうけど、女優だったらおばあさんになったらおばあさんの役もくるだろうし、一生やれるなあと思いました。

それに女優だったら、これで一個夢は達成したから次というのではなくて、永遠に死ぬまでやれるから女優になりたいと思ったんです」

 

◆女優デビュー作で、殴られ蹴られ吊るされて…

女優になることを決意した夏樹さんは、コマーシャルで一緒に仕事をした方に相談して東映でデビューすることに。

デビュー作は、極真空手の大山倍達さんの半生を描くシリーズ第3弾の『空手バカ一代』。夏樹さんは、多額の借金を返すために沖縄で試合をすることになった大山(千葉真一)が出会う娼婦・麗子を演じた。

-かなりハードなシーンがたくさんありましたね-

「それはもう本当に。弟と二人で生きていかなきゃいけないということで、売春するわけですが、リンチされるシーンやゴミの山に捨てられるシーンがあって大変でした。

車からゴミの山に落とされるシーンが一番印象に残っています。リンチされた後だから、血だらけで車から転げ落とされるんです。もちろん転げ落ちるところは代役(スタントマン)の人がやってくれましたけど、ゴミの山に転がるところからは私なんですよね。

転がったら顔の前にハエがブンブン飛んでいるようなゴミの山で『えーっ!ゴミだ。私はトップモデルだったのに、どうしてこんなことをしているんだろう?どうしたらここを乗り越えられるだろう?』って思って。

沖縄ロケだったんですけど、見物の人がいっぱいいて、『あの女の子はゴミの山に捨てられてかわいそうに。まだ若い女優さんなのに、何ていう人だろうね?』って言っている声が聞こえるわけですよ。

だから私も羞恥心がすごかったんですけど、どうしたら乗り越えられるかと考えたら、ゴミに溶け込めばいいんだと思って、『私はゴミだ!ゴミだ、ゴミだ!』って言い聞かせていたら、だんだんゴミに溶け込めてまったく何も感情がなくなったんですよね。

それで、そのときに『ゴミになれた。これで女優としてやっていけるかな』って思ったのと、吊るされてリンチされるシーンがあって、それは次の映画の『新・女囚さそり 特殊房X』でもあったんですけど、ものすごく痛かったんです。

自分の体重が手首にかかるからものすごく痛くて、涙が自然と出てきたんですよ。その涙を自分で分析してみたんですね(笑)。これは『何で私はこんなバカバカしいことをやっているんだろう』という涙ではなくて痛くて出た涙だから、『これも私は女優としてやっていけるわ』って、この2本でだいたい決まりましたね、心は」

-殴られて蹴飛ばされて吊るされて…ビックリしました-

「親は嘆いていましたよね。最初の『空手バカ一代』も上映が決まってから『実は映画でデビューするんだけど』って親に打ち明けたんですよ。

でも、観せられないですよ。あんなゴミの山に捨てられてドロドロになっている姿なんて。『モデルできれいなお洋服を着てニッコリ笑って写真を撮っていれば良かったのに、何で今さらそんな』って思いますよね」

-おからだは大丈夫でした?-

「アザと傷だらけで大変でした。吊るされた後は痛くて、3日間くらい起きられないんですよ。母が『どうしたの?』って言ったから『ちょっと転んで』って嘘をついていました。『空手バカ一代』のことはまだ言ってなかったので。よくやったなあって思いますよ(笑)」

-ご自身でご覧になったときはいかがでした?-

「最初に『ラッシュ』というのがあって、撮った映像を1回観るんですよね。それで千葉(真一)さんに『いいよ、うまくやっているよ。すごいよ』って言ってもらったときにはうれしくて、涙がポロポロ出ました」

夏樹さんは『空手バカ一代』での体当たりの演技と美貌が注目を集め、すぐに主演映画『新・女囚さそり 特殊房X』、『トラック野郎・度胸一番星』と話題作に次々と出演。さらに翌年には『吉宗評判記 暴れん坊将軍』に御庭番・おその役でレギュラー出演することに。次回はその撮影裏話&エピソードなども紹介。(津島令子)

※『夏樹陽子 キレイの秘密』
著者:夏樹陽子
発行:世界文化社
女性が美しくあるためのメソッド、ポイントを「beauty美しくなるために」「health健康元気が一番!」「mind心豊かに」の三部構成で、やさしく丁寧に解説。

※女優・夏樹陽子公式YouTubeチャンネル「ようこそ!陽子TIME」
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