俳優・遠藤雄弥、自分の言葉が原因で仕事ゼロになった20代半ば。家賃も払えないどん底を救った1本の映画
未来からやって来たロボット“テトラ”とともに、異星人から地球を守るために立ち上がった少年少女4人のひと夏の冒険を描く映画『ジュブナイル』(山崎貴監督)で主人公の少年時代を演じて注目を集めた遠藤雄弥さん。
その後、連続テレビ小説『ちゅらさん』(NHK)、映画『ドリフト』(神野太監督)など多くのドラマ・映画・舞台に出演。そして2008年、大人気コミックが原作の映画『シャカリキ!』(大野伸介監督)に主演することに。
◆オーディションで10人一列に並んで裸に?
2001年にはオーディションで連続テレビ小説『ちゅらさん』に出演することに。
「『ジュブナイル』の次に大きな反響があった作品は『ちゅらさん』なんですけど、当時はまだ14歳ぐらいだったので沖縄に行けるという喜びがすごく大きかったです(笑)。子どもでしたからね。でも、自分が想像していた以上に覚えていてくださる方が多くて。いまだに、『ちゅらさんの和也君』と言われることがあります。
『ジュブナイル』もいまだに見たと言ってくださる業界のスタッフさんだったり役者が結構いて、『ジュブナイルを見て僕は俳優になりました』とか、『ジュブナイルを見て映画に携わる仕事についたんです』っておっしゃってくださる監督や技術スタッフの方もいるので、あの映画に出させていただけて本当によかったと思います」
2008年には映画『シャカリキ!』で映画初主演。この作品は、自転車に青春を懸ける若者たちの姿を描いた人気漫画を映画化したもの。
自転車で坂を上がることに闘志を燃やす高校生・テルが廃部寸前の自転車部に入り、チームプレーを無視した個人プレーでレース失格になったり自転車部を廃部に追い込んでしまったりもするが、それでも諦めないテルの姿を見て部員たちも再びレースに挑むことに…というストーリー。遠藤さんはオーディションで主人公・テル役に。
「オーディションのときに10人くらいいたんですけど、監督が『体つきを見たい』とおっしゃったのでみんなで脱いで(笑)。裸の男が10人並んでいるわけですから不思議な画ですよね」
-主人公のテル役に決まったと聞いたときにはいかがでした?-
「映画化の話を聞かされる少し前から『ピストバイク』という競輪用の自転車にハマっていたので運命を感じていたんです。だから、テルに決まったと聞いたときは『やっぱり運命だったんだ』って(笑)。
でも、『シャカリキ!』はやっぱりもう1回やりたいという思いがありますね。当時の僕なりには一生懸命やってはいたんですけど、もう少し考えてというか。本当にまっすぐやるしかないという選択肢しかなかったのでテルというキャラクターには合っていたかもしれないですけど、もうちょっと視野を広くしなきゃいけなかったんじゃないかなと。
主演ですし、もうちょっと責任感をもって『シャカリキ!』という作品に向き合えていたらまた違っていたのかなと思います。『たられば』になっちゃうんですけど、若かったなぁって(笑)。今の僕は当時の21歳の自分を見られないですね」
-ひたむきで、とにかく誰にも負けないという熱いエネルギーを感じました-
「そうですね。そういう意味では役に合っていたのかもしれないですけど。当時はもちろん全力でやっているし、いい映画になったと言えるんですけど、もうちょっとやりようはあったんじゃないかなと。
でも、すごく楽しかったです。あの作品を通してロードレーサーと出会って。当時、ちょうど自転車が好きで乗っていた時期だったので、すごくいいタイミングであんな大役というか作品をやらせていただいたなと思います。僕としてはすごく豊かな時間を提供していただいて、かけがえのない時間でした」
-原作の漫画がかなり人気のある作品ですが、プレッシャーはありました?-
「そうですね。自転車好きの方は必ず通る作品だということは知っていましたし、当時、共演者の鈴木(裕樹)君や中村(優一)君と『シャカリキ!』を読んで、本当に胸を打たれたんです。
自転車の大変さとか心理戦だとか、体力的なところの感動というか…カタルシスがすごく凝縮された本当にすばらしい原作で、プレッシャーというよりちゃんとテルという人間を体現しなきゃいけないと当時はすごく思っていました。
だから、なるべくディテールも似せようと思って。安易ですけど眉毛を伸ばして髪の毛を切ってということも当時の自分なりには一生懸命やった記憶はあります。自転車の練習も3か月以上やりました。先生に『自転車とは?』というところから教わって徐々にコースや公道を走るようになったんですけど、楽しくて仕方なかったです」
-普通の自転車と違うのでかなり難しそうですよね-
「はい。結構大変でした。やっぱりある程度乗れないと倒れる芝居もケガをしてしまいますし、あれはほとんど吹き替えなしでやっていたんです。
下り坂を並走している芝居のシーンは、メーターに70キロとか80キロ表示されているのを見た記憶があるんですよ。そのスピードで前を走っている人たちと縦列して走るんですけど、それは本当に前の人を信頼してやらないとできないんですよね。本当に信頼感で成り立っているチームプレーだなと思いました。
ほぼ吹き替えはなかったのでケガをしてもおかしくないようなシーンはたくさんあったんですけど、よくケガがなかったなあと思って(笑)。若かったしメンタルもみんな気持ちが前に行ってるし、攻めの姿勢というのが逆によかったのかもしれないですね」
-坂を見ると自転車で駆け上がりたくなるというユニークな性格で-
「そうですよね。修善寺にあの壁みたいな坂があって、あそこで実際に練習したり撮影もしたんですけどきつかったです。常にチョコレートなどを食べてエネルギーを補給していました。ずっと走りっぱなしだったりするので。やっぱりすごいですよ、ロードレーサーの方は」
-試合の途中でエースに後輪を渡して自転車を担いで走るシーンもありましたが、緊迫感があってすごかったですね-
「ありがとうございます。自転車を担いで坂を走って上るというシーンは実際原作にもあるんですけど、本当に『シャカリキ!』という言葉が合うストーリーの映画でした。
あの映画で自転車がそれまで以上に好きになって、いまだにロードレーサーではないんですけど競輪のピストという自転車には乗っていたりするので。『シャカリキ!』という作品を通して自転車は自分にとってすごく近いものになりました」
◆松田優作さん主演映画を見てどん底から脱出
『シャカリキ』で映画初主演をはたした遠藤さんはその後も多くの映画・ドラマ・舞台に出演。2006年にはドラマ『ロケットボーイズ』(テレビ東京系)に主演するなど多忙な日々を送っていたが、俳優を辞めようと思ったこともあったという。
「25歳ぐらいのときに一度本当に辞めようかと思いました。『シャカリキ!』もそうですけど、やっぱり20代前半にテレビドラマもたくさんやらせていただいていろいろな人たちと出会って、とてもいい時間を過ごさせていただいたんです。
でも、あるとき自分の芝居に対して『このままだと自分はダメだ』と思ったんですよね。それまでも幾度となく『このままじゃダメなんじゃないか』と思うことはあったんですけど、明らかに物理的にもメンタル的にも、このままでは多分迷惑をかけてしまうなと自分自身思ったんです。別に何か失敗をやらかしたということではないんですけど。
でも、そのときは事務所のスタッフに『僕が精神的にも技術的にもまだまだだと思うから、ちょっと自分と向き合いたい』ということを正直に言えずに、『俺はやっぱり映画俳優だから映画しかやりたくない』って言ってしまったんですよね。
そうしたら、それまで事務所は手塩にかけて僕のことをすごく面倒見てくれていて、仕事も本当に豊かな場所を提供してくださっていたにも関わらずそんなことを言っちゃったもんだから、『お前は何を言ってるんだ?』みたいなことになるわけですよ。
僕の中では、これ以上テレビドラマをやったりとかおんぶに抱っこでやっていたらどこかで崩れてしまうという不安があったんですけど、『このスタイルで続けていくことが怖い』ということを事務所のスタッフにも正直に言えなくて…。
それで、『映画しかやりたくない』なんてカッコつけた言い方しちゃったんです。そうしたら『わかった。じゃあやってみろ』って言われて、もう一切仕事が来なくなったんですよ。
当時ひとり暮らしをしていたんですけど、家賃が払えなくなってしまって。何も仕事がなく、そこではじめて気づくんですよね。自分は何からも別に求められていなかった。全部事務所にやってもらっていたんだということに気づいてショックを受けるんですけど、とにかく『自分にできることは何だ?』って。
毎日休みなんですよ。アルバイトも16歳のときにちょっとやっていましたけど、社会に出てからやったこともない。全部やってもらっていたわけですから。それで、自分にできることは何か考えて、好きだった映画を毎日2本以上は見るようにしようと決めて、見たらノートに全部感想を書こうと。
これが絶対何かにつながると信じてやっていたんですけど、やっぱり限界が来るんですよ。それが2011年。まさに東日本大震災のときで、やっぱり辞めようかなって思ってきちゃうんですよね。にっちもさっちもいかなくなって首も回らなくなってきちゃうので。
そんなときに信頼している友人に、松田優作さんが主演した『野獣死すべし』(村川透監督)を勧められて。見たら本当に感動して、『こんな俳優とこんな映画が日本にあるんだったら、まだ僕は頑張らないとダメだ』ってその映画に救われたというか。『もう1回やろう』と思いました。
それまでは『本当にやめようかな』『地元の厚木に引っ込もうかな』と思っていたんですけど、もう1回復帰しようと思って自分なりに映画監督のワークショップに行ってみたり、またイチからオーディションを受けてということをやっていた時間がありました」
-その間は事務所のマネジャーさんとは?-
「今は退社していないんですけれども、当時の男性マネジャーとの時間がすごく濃くて。友だちみたいな感じで僕の家に来てすごい励ましてくれるんですよね。『雄弥、大丈夫だ。まず誰とやりたいの?監督をリストアップして。俺が売り込みに行くから』って。
彼としては多分せいぜい10人ぐらいかなと思っていたと思うんですけど、僕のリストには50人ぐらい書いてあったから、『えっ?こんなにいるの?』みたいな感じで(笑)。でも、片っ端から当たってくれて。だから本当に当時マネジャーだった彼には感謝しているし、彼が支えてくれなかったら本当に辞めていたと思います。
『これでワークショップに行って来い』って言って自分の給料から僕にお金を貸してくれたり、オーディションの対策も一緒に考えてくれて。それで、『セリフが一言しかない役だけど、この監督とやりたいんだったらやるよな?』と言うから『もちろんやります』というようなこともあったりして。
それまで月9の4番手とかやらせてもらっていたときとは全然内容が違うんですけれども、それとはまた別の充実感もあったんですよね。豊かさも。イチから鍛えなおそうという思いもあったので、そういう意味でそのときの縁というのは本当にあってよかった、救われたというのはあります」
-そういうこともあって今につながっているのだと思いますが?-
「そうですね。今だから振り返れるんですけど当時は死に物狂いでしたからね。でも、自分にとって必要な時間だったのだと思います」
自分自身と向き合い、俳優の仕事をあらためてスタートさせることにした遠藤さんは、自ら営業に回ったこともあったという。
次回後編では、自らの手でオーディションにこぎつけた映画『クローズEXPLODE(エクスプロード)』(豊田利晃監督)の舞台裏、実在の小野田寛郎さんの青年期を演じ、津田寛治さんとW主演をつとめた映画『ONODA 一万夜を越えて』(アルチュール・アラリ監督)の撮影エピソードなどを紹介。(津島令子)
※映画『ONODA 一万夜を越えて』
2021年10月8日(金)より全国公開
配給:エレファントハウス
監督:アルチュール・アラリ
出演:遠藤雄弥 津田寛治 仲野大賀 松浦祐也 千葉哲也 カトウシンスケ 井之脇海 足立智充 吉岡睦雄 伊島空 森岡龍 諏訪敦彦 嶋田久作 イッセー尾形
1945年の終戦を知らされないまま約30年間、フィリピン・ルバング島で秘密戦の任務を遂行し続けた実在の人物・小野田寛郎さん。壮絶で孤独な日々と戦ったひとりの男の人間ドラマ。