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釈由美子、次々と大役を務めるも30代で壁に。タイミングの残酷さ感じ「もっと早い段階で結婚してれば…」

2001年、初主演映画『修羅雪姫』(佐藤信介監督)で鮮烈なスクリーンデビューを飾った釈由美子さん。

アクション監督を務めた香港が誇るスター、ドニー・イェンの指導の下、ハードなアクションに体当たりで挑戦し、アイドルのイメージを一新。アクションができる女優として映画『ゴジラ×メカゴジラ』(手塚昌明監督)、映画『KIRI-「職業・殺し屋。」外伝-』、ドラマ『スカイハイ』(テレビ朝日系)、『7人の女弁護士』シリーズ(テレビ朝日系)など多くの映画・ドラマに主演することに。

◆クランクイン前に自衛隊で特訓、全身筋肉痛に

2002年に公開された映画『ゴジラ×メカゴジラ』では、“機龍(メカゴジラ)”に乗り込んでゴジラと戦う特生自衛隊(対特殊生物自衛隊)の家城茜役で主演。あらためてそれまでのゴジラ映画を見て、日本の代表作だと思ったという。

「ゴジラ作品に自分も出演させていただけることはすごく光栄なことだと思いました。それにクライマックスでは“機龍”に乗り込んでゴジラと戦うというシチュエーションだったので、『私もゴジラ映画の歴史に名前を残すことができるんだ』とワクワクしました(笑)」

-特生自衛隊の隊員という設定でしたが、撮影前に訓練はされたのですか?-

「はい。クランクインの前に自衛隊に体験入隊して、匍匐(ほふく)前進や降下訓練もしたので全身筋肉痛になっちゃって、ゴジラよりも歩き方がおかしくなりました(笑)。でも、その訓練のおかげで、“機龍”に乗り込むときにワイヤーで吊るされるんですけど、全然怖くなかったです」

-撮影はいかがでした?-

「撮影が夏場で、機龍隊のスーツを着込んでヘルメットも付けていたので暑くてつらかったです。“機龍”のメンテナンスブースのセットはけっこう上下左右に自在に動くので、しまいには平衡感覚を失ってしまって。体力的にも精神的にもかなり追い込まれていました。

やっぱり東宝さんの代表作なので、精力をあげて作られている現場に入って、本当に大がかりなロケだったので自分が気負いすぎていて、何度も倒れるというご迷惑をおかけしてしまいました。

そのときの照明部さんのチーフの方に『釈は豪速球というか、真っ向勝負で投げすぎる。肩を壊すからたまには変化球を投げるとか、カーブとか、そういうのを身につけろ』と言われたのをすごくよく覚えています。でも完成した映画を見て、『やっぱり日本の代表作だな』と思いました。おばあちゃんになっても孫に自慢できるすごい作品だなと(笑)」

◆『水戸黄門』のように決めゼリフと決めポーズで

2003年にはドラマ『スカイハイ』に主演。釈さんが演じたのは、自殺、または殺害され、不遇の死を遂げた現世の魂が最初に行き着く「怨みの門」の門番・イズコ。

「怨みの門」にやってきた魂は、「死を受け入れて天国に旅立つ」「死を受け入れずに霊となって現世をさまよう」「現世の人間を一人呪い殺して地獄へ行く」…3つの選択肢からいずれかを決意することに。その死者の最期の嘆きを見届ける役目を担っているのが門番のイズコ。そして『スカイハイ 劇場版』ではイズコがなぜ門番になったのか、その悲しい過去も明らかに。

「今振り返ると、意義のある作品に携わらせていただいたなというのがあって。死生観を問うとか、テーマはすごく重いじゃないですか。それこそ復讐劇だったりするんですけど、そのニュートラルな場所にいて、亡くなった方の選択に添って『お逝きなさい』というメッセンジャー的な役割をさせてもらえたのはすごく大きかったなあと思います。

でも、あの頃が一番心を『無』にしていたかもしれないです。多分、自分というものを捨ててというか、消してイズコを憑依(ひょうい)させてという感じだったので、本当の自分がどこにあるのかがわからなくなっていました。

一番仕事が忙しくて、『釈ちゃん』と言ってもらえていた時代が20代で一番黄金期だったとすれば、人生の中で一番苦しかった時期だったなあとは思います。だからもったいなかったというか、今ぐらいいろんなことがわかって、もう一度あの頃に戻れるとしたら、違ったアプローチができたかなというか、悔やまれることはあります」

-「怨みの門」の門番という特異なキャラクターでした-

「はい。原作がすごくよくて、私自身も原作のファンだったのでイズコにあまり色をつけちゃいけないと。無味無臭でいようと思っていました。『恨みの門』に来る死者の人たちは自分の感情がいっぱいあるけれども、本当にフラットでいなくちゃいけないというのは常にずっと思っていました」

-「お逝きなさい」という決めゼリフとポーズも話題になりました-

「そうですね。自分の決めポーズとか決めゼリフがあるのは、水戸黄門の印籠(いんろう)を出すみたいな感じじゃないですか(笑)。見ているお客さんが、『あっ、来た!』というふうに思ってもらえるので、そういうものをもっているというのはすごく恵まれているなあと思いました」

-主演ドラマ『7人の女弁護士』シリーズの決めポーズもイズコと似ていましたね-

「そうなんです。イズコのようにやってくれと言われて『逃げる場所はありませんよ』というときに『スカイハイ』の『お逝きなさい』と同じポーズですけど、親指を立てるか寝かせるかの違いで(笑)」

-親指を立てるか寝かせるかという型の違いはご自身のアイデアですか?-

「はい。ちょっと飽きてくるのでアレンジを加えてみようかなと(笑)。第2シリーズではまたちょっと変わりましたけどね。『残された答えはひとつです』に」

-弁護士の役は演じられていていかがでした?-

「すごく正義感にあふれている弁護士で自分には合っているなと思いましたし、周りの6人の弁護士役の共演者の皆さんにすごく助けていただいたので、女子校に戻ったようなノリでとても楽しかったです」

◆結婚か仕事の岐路に

次々とドラマや映画の大役をこなしながらも自分の中身が伴っていないという大きな不安を抱えていたという釈さん。そんな焦りから「食べない、寝ない、もっとハードなトレーニングをしなければ」と自分を追い込んでしまっていたという。

「パニック障害でお薬は飲んでいたんですけど、ムリをしすぎて結局体調を崩してしまい、精神的にも不安定になってしまいました」

-かなり無茶なダイエットをされたようですが、それはどのくらいの期間続いたのですか?-

「20代の前半から後半ぐらいにかけてです。生理が止まったりとかしましたからね」

-その状態から脱するきっかけは何だったのですか?-

「このままじゃいけないなあと思って。ひとつの転機が30代に入ったことですかね。一時期は仕事を辞めようかと思ったこともありましたから」

-次々と仕事が来ている状態で、辞めるというのはなかなか難しいのでは?-

「そうですね。自分の意思だけではなく、その当時の事務所が個人事務所みたいなもので次が育っていなかったから、私が辞めたらみんなどうしちゃうんだろうとか…。あとはうちの両親を養ったりもしていたし、自分の肩にいろんなものを背負っていたので、『私が頑張らないと!休む時間がない』みたいな感じでムリをし過ぎていたんだと思います。

20代の頃というのは受け身で待っていて、いただいたお仕事にどうこたえていくかだったと思うんですけど、この業界はやりたいという気持ちがあってもやっぱりお仕事をいただかないと何もできないじゃないですか。

その壁にぶつかったのが30代。ずっと勢いだけでやって来たんですけど、日本の芸能界はとくに移り変わりが激しいから、若さという旬がなくなって次の若い子たちにバトンタッチをして自分の居場所がなくなったんだというのを自分で身をもって感じたのが30代でした。

このままフェードアウトしていくんだなあって自分でも感じました。そこから次のキャリアを伸ばせる人というのはちゃんと努力もしているし、実力もあって周囲に対してもすごく人望があってという信頼されている人。

そういう人は残っていくけど、自分がここで止まるということは自分はそれまでの器だったというか、努力が足りなかったなあとか、もともと才能がなかったんだというので自分の責任。誰のせいでもないというふうに思っていました」

-非常にクールですね-

「そうですね。だから『仕事がなくなるから何でもください』とかそういうのでもなく、あるがままを受け入れようと思っていました。芸能界の仕事がなくなったとしても生きていくために何か違う仕事をするしかないなと。

でも、そのときにタイミングが悪かったのが、結婚、出産というのと仕事が急になくなったタイミングが一緒になったので、『もっと早い段階で結婚していれば、仕事がなくなっても幸せを手に入れられたのになあ』って。

私は20代のときに、当時お付き合いしていた方と何度か結婚のチャンスがあったんですけど、そのときはまだ抱えているものが大きすぎて自分の判断で仕事を辞めることができなくて…。でも、実際仕事がなくなって『結婚するならそろそろかな』と思ったときにはもうそういう人がいなくて、めぐり合わせ、タイミングって残酷だなあと思いました。そこからの30代は結構しんどかったですね」

◆約半年間の休業で女優魂に火が

女優業を続けるか約半年間休業して考えたという釈さんだったが、はじめて一度仕事から離れてみたことで自分は演じることが好きだということを実感し、女優魂に火がついたと話す。

2010年には初舞台『男子はだまってなさいよ!第7回公演天才バカボン』にバカボンのママ役で出演。さらに2013年の秋から『実践!にっぽん百名山』(NHK)でMCをつとめるなど幅広いジャンルで活躍することに。ところが、2013年の新年早々、テレビ番組の収録中に全治2か月の大ケガを負ってレスキュー隊に救助されることに。

「テレビ番組で整備されていない野山を走るバックカントリースキーにはじめて挑戦していたんですけど、転倒してしまって。診療所の先生に左足関節外果骨折と左ひざのじん帯損傷で全治2か月と言われました。あのときはとても怖かったですけど、私がケガをしてしまったことで番組ロケを撮り終えることができなかったことが本当に申し訳なかったです」

-責任感の強い釈さんらしいですが、骨折した2日後にはドラマの撮影に参加されていたそうですね-

「はい。そのときも使命感で、松葉杖というかギプスをした状態でドラマに出るわけにはいかないと思って、自己判断でギプスを外してドラマの収録に臨んでいたら足が3倍くらいに腫れちゃって、ドクターストップがかかってしまいました(笑)」

無茶をしたものの順調に回復し、ケガから1か月後には映画の舞台あいさつで登壇、映画『相棒-劇場版III-巨大密室!特命係 絶海の孤島へ』(和泉聖治監督)をはじめ、ドラマや映画の撮影に参加。そして『実践!にっぽん百名山』(NHK)でMCにも挑戦することに。

次回後編では、番組出演がきっかけで実現した今は亡き父との登山、結婚、子育て、海外初進出映画『ロックダウン・ホテル/死・霊・感・染』の撮影裏話などを紹介。(津島令子)

ヘアメイク:田中宏昌
スタイリスト:安永陽子

©︎2020 THE HORRORS OF HALL PRODUCTIONS INC

※映画「ロックダウン・ホテル/死・霊・感・染」公開中
配給:TOCANA
監督:フランチェスコ・ジャンニーニ
出演:カロライナ・バルトチャク 釈由美子 マーク・ギブソン ベイリー・タイ
コロナ禍の世界を予言した映画として話題のパンデミック・ホラー。あるホテルの一室ではじまった謎の殺人ウィルスによる感染爆発。やがてホテルの廊下は感染者たちで埋め尽くされて…。

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