俳優・三ツ木清隆、32年前に茨城県つくば市に移住「のせられたんですよ。本郷功次郎さんに(笑)」
14歳のときに『光速エスパー』(日本テレビ系)の主人公に抜てきされ、俳優・歌手として活躍してきた三ツ木清隆さん。
19歳のときに体調を崩して1年余り休養することになったものの復帰をはたし、主演ドラマ『白獅子仮面』(日本テレビ系)や主演映画『さえてるやつら』など多くのドラマ・映画に出演。順調にキャリアアップを重ねてきたが、30代に入ったとき体調に変化が。
レギュラードラマ3本に加え、『秋冬』が全日本有線放送大賞新人賞を受賞したことで歌手としても多忙を極め、睡眠は移動時間のみ。身も心も疲れはて、精神的に追い詰められ入院することになってしまったという。
◆レギュラー番組はすべて降板、事務所の契約も解除
レギュラー番組はすべて降板し、事務所の契約も解除となった三ツ木さん。一時はもう芸能界の仕事はムリだろうと思っていたというが、1年余り経ったとき復帰の話が。
「1年ぐらい経ってだいぶ治ってきたときに『いい旅・夢気分』(テレビ東京系)のディレクターの方から電話がかかってきて、『旅番組なんてやる?』って言われたんですけど、旅番組なんてやったことがないですからね。
『どんな感じですか?』って聞いたら、『5泊6日ぐらいでぶらぶら旅してフラフラ歩いてくれていればいい。セリフも何もない。台本もないから好き勝手においしいものを食べてくれればいい』って言うんですよ(笑)。それはいいなあと思ってやらせてもらうことにしました。それで最初は北海道だったんです。
森の中で木漏れ日を浴びながら大地を踏みしめて歩いているうちに、『何かいいなあ。すごいきれいだなあ』って久々に自然の中に入っていく自分があって、だんだん自分を取り戻していったんですけど、出来上がりもわりとよかったみたいで、何回も使ってくれたんです。『いい旅・夢気分』もずっと続いて、『土曜スペシャル』(テレビ東京)という番組も並行して入ってきて、10年ぐらいやらせていただきました。
それでだんだん元気になっていったと思うんですよね。そうこうしているうちに、『三ツ木さん、芝居はやらないんですか?』という話になって、京都で『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)とか『八丁堀捕物ばなし』(フジテレビ系)とかやるようになって」
-『暴れん坊将軍』の御庭番・倉地左源太役は結構長かったですね-
「そうですね。月曜日から土曜日までずっと撮影をやって、土曜日の夜に『終わったから東京に帰っていいよ』って言われても、最終の新幹線で東京に帰って来てまた日曜日の夜に京都に戻らなくちゃいけないので疲れるだけなんですよね。1週間のうち日曜日しか休みがなかったので京都にアパートを借りて東京には帰らなくなって、それで最初の結婚に失敗しました」
1996年、三ツ木さんは保育士だったまさ子さんと再婚。芸能界とはまったく関係ない職業だったが、頼み込んでマネジメント業務をしてもらうことになったという。
「誰もいなかったので『頼むからやってくれよ』ってお願いして、『いやだ』というのを本当に騙してすかして何とかやってもらっています(笑)。結婚して25年になりますけど」
◆共演者の勧めでつくばに“移住”
1989年より茨城県つくば市に“移住”したという三ツ木さん。ドラマ『特捜最前線』(テレビ朝日系)で共演した本郷功次郎さんの勧めだったという。
「『特捜最前線』は10年間続いたドラマで、僕は後半の2年間レギュラーだったんです。二谷英明さん、藤岡弘、さん、本郷功次郎さんをはじめそうそうたるメンバーで、もう出来上がっているところにポンと新人刑事役で参加することになったので、かなり苦労しました。
とにかくよく走らされましたし、殴り合いのシーンも多くて厳しかったです。僕もそれまで結構主役やドラマのレギュラーもやっていましたけど、そんなのはまったく通用しませんでした。そういう意味では僕の俳優人生で大きな転機となった作品でもあります」
-『特捜最前線』で共演された本郷功次郎さんに勧められてつくばに移住されたとか-
「そうです。『いいとこがあるんだよ。俺が買おうと思ったんだけど、オーストラリアに土地を買ったのでお前に譲るよ』って言われて買ったんです。『電車がすぐ来るからな』って騙されて(笑)。それから17年来なかったですからね。今は『つくばエクスプレス(TX)』がありますから東京まで45分ですごく便利になりましたけど、これができるまで大変だったんですよ。車で通うのが。
箱崎が渋滞になっちゃうので時間が読めないんです。だから朝9時集合ってなったら4時ぐらいにつくばを出るんですよ。そうするとものすごく早く着いちゃって、9時集合なのに7時ぐらいに着いちゃうんですけどちょっと遅く出るともう間に合わないので、早く着いて車の中で寝ていました。
しばらくは東京に部屋を借りて二重生活をしたりして、独身のときには事務所兼住まいにひとつ借りて住んでいたんですけど、再婚してからは住まいと事務所を別にして」
-つくばに本宅、東京に事務所と住居、3か所も維持するのも大変ですよね-
「そう、大変です。二重生活って本当に効率が悪いので、TXができたのを機にやめて完全につくばに軸足をおいて生活するようになりました」
-それにしても32年前によく引っ越されましたね-
「のせられたんですよ。本郷功次郎さんに(笑)。買ったあとで会ったときに、『本郷さん、電車も来ないし、どうなっているんですか』って言ったら『悪い、悪い』ってそれで終わりですからね(笑)。
それまでは世田谷区の深沢に住んでいたんですよ。便利で最高だったんですけど、ただ狭いですからね。つくばに見に行ったら450坪あって広かったんですよ。それで目が眩んだんですね(笑)」
-でも、ずっと住み続けているわけですものね-
「そうです。住んでいるうちにやっぱり住めば都だったんです。だんだん住みよくなっちゃって、今はもう東京には戻りたくないです」
◆遠藤実さんの遺作シングルをリリース
俳優・リポーター・歌手・司会者として幅広いジャンルで活動してきた三ツ木さんは、2010年、作曲家・遠藤実さんの遺作シングル『季節の中で』をリリースする。
「僕が司会をしていた素人のど自慢番組で遠藤先生が審査委員長をされていて、その番組が1年半ぐらい続いたんです。それでご自宅に呼んでくださったり、とても可愛がってくださって。僕のことを『ミッキー』って呼んでいたんですけど、あるとき『ミッキーにピッタリの曲があるんだよ』とおっしゃったので、『ぜひいただきたいです』と言ってレッスンに行くことになったんです。
だけど、みんなに『遠藤先生は普段は優しいけど、レッスンになると鬼になるから怖いよ』って脅されたから、ビビッちゃってなかなか行けなかったんですね(笑)。そうしているうちにとうとう呼び出しの電話があって行きましたよ、新宿の事務所に。そこでレッスンを受けることになって、それが『季節の中で』というとてもすてきな曲でした。
簡単なダメ出しだけでレコーディングしようという話になったんですけど、そのとき僕は地方のライブ公演がずっと入っていて2週間ぐらい地方回りだったんですね。そうしたら先生から『いつ帰って来るんだ? 早くレコーディングするぞ』って電話がかかって来たので、『先生、もう少し待ってください。終わったらすぐに帰りますから』って言ったんですけど、それから間もなく先生が倒れたという電話が来て…。
地方のライブ回りの合間に慌てて戻って先生の病室に行ったらそれまで意識がなかったみたいなんですけど、『ミッキー。感情込めて歌うんだぞ』っておっしゃったんですよ。『先生はレコーディングのことを考えていてくださったんだなあ』って」
地方でのライブ公演が終わりしだい戻ると告げて病室を後にした三ツ木さんだったが、それから間もなく遠藤さんはこの世を去ることに。三ツ木さんはライブ公演がすべて終わってからそのことを知らされたという。遠藤さんが亡くなって1年半後、三ツ木さんは『季節の中で』をレコーディングする。
「遠藤先生が亡くなられたので発売が立ち消えになっていたんですけど、遺作となった曲なのでレコーディングすることになりました。『季節の中で』は作詞も遠藤先生だったんですけど、先生がよくコンビを組んでいた作詞家・いではく先生が遠藤先生のことを一番よくわかっていたのでプロデュースしてくださって、いろいろと指示を出してくださいました。思い出深い一曲です」
※「フォネオリゾーン」
三ツ木清隆 江藤潤 仲雅美 小倉一郎
デビューシングル『クゥタビレモーケ』発売中
◆平均年齢67歳の新人ユニットを結成
2019年には、小倉一郎さん、仲雅美さん、江藤潤さんと新ユニット「フォネオリゾーン」を結成。赤や青の派手なコスチュームに身を包み歌って踊る姿が話題に。きっかけは三ツ木さんの芸能生活50周年記念コンサートに小倉さんが訪れたことだったという。
「小倉ちゃんがつくばまで見に来てくれたんですよ。それで、『せっかく来てくれたんだけど、スポンサーの人とかにお付き合いをしなきゃいけないのでお構いできないよ』と言ったら『いい、大丈夫』ってちょっとお話しして帰っちゃったので、悪いことしたなあと思っていたんですよ。
そうしたら電話がかかってきて、『今、仲さんとトークライブをやっているから、今度ゲストで出てくれないかな』って言われたので『いいよ』って行ったんです。
1回目はお話だけ、2回目は『歌も歌ってもらえますか』と言われたので、1、2曲歌ったんですね。それで、『今度潤ちゃんも呼んでやりますから』というので、そこではじめて4人が一緒にやるようになって、それから3人になったり2人になったり…ってやっているうちに4人で何かやろうということになったんですよ。
同世代の人たちが結構見に来てくれていたので『俺たちの世代を知っている人って結構いるよな?』ってなって、これはおもしろいことができるかもしれないというので『フォネオリゾーン』につながったんです」
-ネーミングもすごいですよね。宇宙からやってきたという設定も-
「衣装も髪型もね(笑)。デビュー曲も『クゥタビレモーケ』ですから。どうせそれで終わるだろうっていうことで、期待も何もしないではじめたんですけど。いや、実は期待していたんですよ(笑)。期待していたら、2020年の2月を最後にコロナの非常事態になっちゃってイベントも全然できなくなりました」
-いろいろとイベントも準備されていたそうですね-
「そうなんです。みんな楽しみにしていたんです。芝居の舞台はありますけど、歌でステージをやって直接お客さんと会って客席に降りていって握手をしたりということはあまり芝居ではできないので、みんなうれしかったんでしょうね。
楽しみながらやっていたんです。みんなやりたいんですよ、あれが(笑)。それではじめたので結構はしゃいでいたんです。『もしかすると紅白に出られるんじゃない?』なんてバカなことを言ったりしてね(笑)。『言うな』って言ったのに、誰かが『目標は紅白です』って言っちゃって(笑)。それがちょうどコロナ禍と重なっちゃって、途端に元気がなくなっちゃいましたけど」
※『リモートクイズQQQのQ』
YouTube『日本フォネオリレコード』のチャンネル
出演:三ツ木清隆 仲雅美
「僕と雅美さんは2人でYouTubeをやったり、一郎ちゃんはドラマやNHKで俳句の番組をやっているし、潤ちゃんはラジオや芝居をやったりなんかしてそれぞれが活動はしているんですけど、こういう時期なので4人一緒にはできないんですよね。
『フォネオリゾーン』でイベントをやるという話も来たんですけど、緊急事態宣言があけるのかこの先どうなるかがまだわからない状態なのにイベントをやるというのはまずいのではないかとなって。何かあったら大変ですしね。もしクラスターになったりしたら大変だし、やっぱりできないですよね。今はやりたくても。
だから今後はワクチンも含めて様子を見ながらですね。それで僕の個人的なコンサートもそうですけど、それができるようになれば『フォネオリゾーン』のコンサートもできるようになるだろうし、そうすれば旅番組もできるようになると思うので、感染しないように気をつけてその日を待ちます」
ストレッチとウォーキングを欠かさず、健康には気をつけているという三ツ木さん。スリムな体型で若々しい。現在平均年齢69歳となった「フォネオリゾーン」のステージも待ち遠しい。(津島令子)