一軒の居酒屋が見つめるオリンピックの記憶。57年前の金メダル獲得の夜に見た“忘れられない光景”
テニスの現役を退いてから「応援すること」を生きがいにしている松岡修造が、東京オリンピック・パラリンピックや未来に向けてがんばる人たちを応援する「できる宣言」。
今回紹介するのは、山梨県・甲府市の商店街にある一軒の居酒屋。
“オリンピック通り”と呼ばれる通りを入っていくと、『与作』が流れる昔ながらの居酒屋があった。
迎えてくれたのは、居酒屋「くさ笛」の女将・樋口東洋子さん(80歳)。
修造:「すごいところですね。オリンピックなんですか、ここは?」
樋口さん:「オリンピックなんです。燃えてます、ずっと何十年も燃えてます」
オリンピック通りは、1964年東京オリンピックにあやかって誕生。東洋子さんは通りのはじまりとともに店を開き、当時の様子を知る唯一の人物として2度目の東京オリンピックを楽しみに待っている。
修造:「(この店で)何人の人と会って来たんですか?」
樋口さん:「何人の人に惚れられたかわかんない」
修造:「オリンピックの女神みたいなもの?」
樋口さん:「そうだね(笑)」
看板娘で、相当な人気があったという東洋子さん。オリンピックを楽しみにする原点は、57年前の忘れられない光景だった。
◆夢中になったオリンピックの魅力
それは、「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボール日本代表が東京オリンピックで金メダルを獲得したあとのこと。
修造:「お店はどんな感じだったんですか?」
樋口さん:「すごい!考えられない!だって喧嘩だもん。ウチに入れなくて」
キャプテンの河西昌枝選手が山梨県出身ということもあり、店内は盛り上がりたい客たちで大にぎわい。店に入れなかった客の間で喧嘩が起こるほどの熱気だったという。
人々を熱狂させるオリンピックに、東洋子さんも夢中になった。
しかし、オリンピック景気に沸き最盛期は50店以上あった通りも時代とともに店が減り、一時は東洋子さんの店しか開いていない状態に。それでもオリンピック通りの灯を絶やさず守ってきた。
すると2013年、東洋子さん悲願のオリンピックが再びやってくることに。
修造:「東京オリンピックの開催が決定したとき、どう思いました?」
樋口さん:「あのときのワクワク…『また私の時代が来た!』って思ったんですよ」
残念ながらコロナ禍で大会は延期になったが、東洋子さんは意気消沈するかと思いきや、この逆境をむしろ前向きにとらえている。
樋口さん:「オリンピックで仕事に区切りをつけようと思っていたんです。でもオリンピックないんだもん。やめないでつづけますよ」
修造:「何を言ってるんですか?」
樋口:「やめる計画がダメになっちゃったから、2021年は開催してみんなと一緒に楽しんで、また次のオリンピック目指します!」
元気女将、東洋子さんのできる宣言は「ワクワク元気になる!次も次も、次のオリンピックも!」。修造は「東洋子魂は金メダル!」と讃えた。
※番組情報:『TOKYO応援宣言』
毎週日曜あさ『サンデーLIVE!!』(午前5:50~)内で放送、「松岡修造の2020みんなできる宣言」も好評放送中、テレビ朝日系