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ヤクルト伝説のバッテリー、五十嵐亮太&古田敦也が語る“あの頃”。3年前の戦力外通告、古田が送ったメール

2020年、23年間のプロ生活に終止符を打った東京ヤクルトスワローズ・五十嵐亮太

引退直後、かつてバッテリーを組んだ古田敦也との対談が実現。

1月10日(日)の『GET SPORTS』では、五十嵐の現役生活に迫るとともに、今だから話せる古田との知られざるエピソードを紹介した。

◆1球で終わった引退試合「惜しまれながら辞めるのも悪くない」

2020年10月25日、神宮球場。そのときは8回表にやってきた。

ファンの大声援を受け、ヤクルトの4番手としてマウンドにあがった五十嵐亮太、41歳。これが現役最後のマウンドだ。

かつての盟友・古田敦也も見守るなか、五十嵐は見事サードゴロに抑え、わずか1球で現役最後の投球を終えた。

それから2週間後、古田との対談でそのときの思いを語る。

古田:「お疲れさまでした。肩や肘がボロボロになって辞める人も多いですけど、そのあたりはどうですか?」

五十嵐:「実際投げられますし、ピンピンしているとは言い切れないですけれど(笑)、まだいけるんじゃないかなという感じはありますね」

古田:「僕も引退試合観に行ったんですけど、たった1球で終わっちゃってファンもがっかりしたような感じでしたね」

五十嵐:「ちょっと『えー』ってなって、それもうれしかったです。惜しまれながら辞めるのも悪くないかなと思っていて」

古田:「最後の記念球を見事にスタンドに投げましたね。よかったですね」

五十嵐:「ありがとうございます。古田さんが好きなポイントでしょ?」

古田:「そうそうそう(笑)」

五十嵐:「古田さんの嫌いなポイント、好きなポイント。なんかわかるんですよ。ことあるごとに『これ、古田さんだったらどっち選択するんだろうな?』って考えたりしていましたから」

古田:「投げ入れた理由は?」

五十嵐:「来てくれたファンの方に『ありがとう』という気持ちが強かったですね」

◆「古田さんがゴールキーパーって言われていた」

1997年にドラフト2位でヤクルトに入団した五十嵐は、2年目に中継ぎとしてプロ初登板。その試合でマスクを被っていたのが古田だった。

古田:「最初はどんなことに苦労したんですか?」

五十嵐:「コントロールですよ。古田さんがゴールキーパーって言われていたから、僕ショックでしたよ、あの頃(笑)

当時、古田は五十嵐の乱れたボールに飛びついたり、後ろに逸らさぬよう必死に体で止めたりしていた姿から、ゴールキーパーと言われていたという。

五十嵐:「あの頃、本当にすみません。ショートバウンドを投げて古田さんにバンって当たったときに、痛そうな顔しないでボールを返すのを見て『あ、これはちゃんと投げなきゃいけないな』と思いましたよ

古田:「結構痛いよね(笑)」

五十嵐:「痛いと思いますよ。でも顔色一つ変えずにクールに返すんですよ。それが僕は怖かったですね、逆に」

それでも、中継ぎとして成長していった五十嵐は、プロ3年目、チーム最多の56試合に登板。投手陣を支え、古田とともに最優秀バッテリー賞を受賞した。

五十嵐:「ありがとうございます。あれは完全に古田さんのおかげですよ」

古田:「いやいや、そんなことない」

五十嵐:「表彰式で取材があったんですよ。でも質問に全然答えられなくて、その場で古田さんに怒られました(笑)。『ちゃんと答えなさい』って」

古田:「俺の怒り方、大きく“盛って”ない?」

五十嵐:「全然大きくない!なんなら1.5倍くらいありますよ!」

古田:「そんなに厳しかった?」

五十嵐:「全然優しくないっすよ(笑)」

◆自慢のストレート「球場がどよめいていました」

古田に育てられながら、若くしてチームのセットアッパーとなった五十嵐。そんな彼が、プロの世界に入ってからこだわってきたのが「ストレート」だ。

プロ7年目の2004年には、当時日本球界最速タイの158キロをマークした。

古田:「あのころはストレート一本でも行けるぞくらいの勢いでした?」

五十嵐:「今でこそ160キロを投げるピッチャーはいますけど、当時150キロ以上投げるピッチャーがそんなにいなかったので、150キロ投げただけで球場がどよめいていました。速い球を投げるピッチャーの割合が少なかったので、そこは狙いどころではあったのかなとは思いますね

古田:「いい球だったと思いますよ。僕も受けたけど、ストレートのスピンが効いているピッチャーってなかなかいない。ビューンって縦回転できているのは、同じ150キロでも打てない」

五十嵐:「ありがとうございます」

古田:「自慢のストレートでしょ? 体そんなに大きくないけど」

五十嵐:「自慢なのかな、そうですね(笑)」

自慢のストレートを武器にヤクルトを支えた五十嵐は、2009年に通算500試合登板を達成するなど活躍。同年にはFA権を行使して、メジャーリーグにも挑戦した。

◆投球スタイルの改革。そして“老い”との戦い

海を渡ってもストレートで真っ向勝負した五十嵐だったが、メジャーの強打者たちに打ち返されることも。わずか3年で日本球界に戻り、ソフトバンクに入団。すると、これまでとは違う姿を見せた。

五十嵐:「野球のスタイルというのもだいぶ変わってきていたので、それに対応するために球種をチョイスしてやってきた。意外とカーブが当たりましたね。そのカーブで多分3、4年はもったかな

古田:「ナックルカーブ?」

五十嵐:「はい、ナックルカーブ」

通常のカーブよりもスピードが速く、鋭く曲がることから、打者の空振りを取りやすいといわれるナックルカーブ。このボールを投げるようになったことが五十嵐の投球を大きく変えた。

古田:「メジャーで覚えてきたの?」

五十嵐:「メジャーで覚えましたね。チームメイトにも投げている選手がいたので、彼らに聞きながらやりました。アメリカにいるときは実はそこまで精度が高くなかったんですが、ソフトバンクの1年目に決め球がなかったので、二軍に落ちたときにナックルカーブをもう一回やり直そうと。それが1か月くらいでうまくはまって、そこから一軍に上がってつづけられたという感じです」

ナックルカーブというあらたなスタイルを手に入れた五十嵐は、ふたたび輝きだした。ソフトバンクに6年在籍し、4度の日本一に貢献。

しかし2018年、プロ生活20年を超え、戦力外通告を受ける。現役続行を希望するなか、39歳の五十嵐に手を差し伸べたのは古巣ヤクルトだった。

実はこのとき、古田からある言葉がかけられたという。

五十嵐:「年齢も年齢で、思うように体が動かないことももちろんある。そのときに古田さんからメールで『老いとの戦いも悪くないよ、そこから先自分のやることやってがんばって』って言われたときに、『そうか』と。もちろん対戦相手と戦わなければいけないけど、老いとの戦いも楽しみながらやりなさいという言葉をもらったとき、なんか頑張れましたね

古田:「人生という意味では年をとっていくわけだから、どうやって抗っていくかはすごく大切なことなので」

「老いとの戦いを楽しめるように」――。40歳で臨んだシーズンも、その投球は決して色褪せることなく、45試合に登板しチームを支えた。

そして2020年、23年間の現役生活に別れを告げた。

◆「楽しいことばかりじゃなかったことが楽しかった」

古田:「どうですか、野球人生楽しかったですか?」

五十嵐:「楽しかったですよ。楽しいことばかりじゃなかったことが楽しかったですね」

古田:「最後にサイドスローとかで投げていたらしいじゃないですか」

五十嵐:「やりましたよ。完全な悪あがきです。投げているところを見たら笑いますよ(笑)」

古田:「いやいやいや、見たかったわ(笑)」

五十嵐:「絶対見せない。でもね、最後の最後まで野球の技術に関してこれでもかっていうぐらいやったのに、どれが正しいって言い切れるところまでできなかったのが、野球の奥深さ、野球の魅力を感じられたと思いますね

プロ23年で積み上げたのは、歴代トップとなる日米通算906登板。自らのボールを信じ、球史に名を残した鉄腕・五十嵐亮太。最後には、古田と久々のキャッチボールでインタビューを終えた。

五十嵐:「ありがとうございます」

古田:「楽しかったよ」

番組情報:『GET SPORTS
毎週日曜日夜25時25分より放送中、テレビ朝日系(※一部地域を除く)