原田大二郎、高倉健さん&森繁久彌さんとの共演で感じた変化「人との出会いが僕を育ててくれている」
主演映画『裸の十九才』(新藤兼人監督)をはじめ、ドラマ『Gメン’75』(TBS系)、映画『蒲田行進曲』(深作欣二監督)など多くの映画、ドラマに出演してきた原田大二郎さん。
『裸の十九才』でエランドール新人賞を受賞し、人気ドラマ『Gメン’75』で広くその名を知られることになり、ひと月に段ボール3箱分ものファンレターが届くようになったという。私生活では結婚、そして長男も誕生し、順風満帆かと思われたが、超多忙を極めるなか、数々の問題と直面することに…。
◆原田大二郎を作ってくれたのはカミさん
原田さんが奥さまである英文学者で東洋学園大学元学長・名誉教授の規梭子(きさこ)さんと出会ったのは、明治大学の英語サークルで、規梭子さんが主役で原田さんはその相手役。猛稽古の成果があり、コンテストでは明治大学が優勝。規梭子さんは最優秀俳優賞に輝く。そんな規梭子さんに原田さんは最初から好意を寄せていたが、なかなか相手にしてもらえなかったという。
「口説くのは、役者になるより大変だった。『原田君は私の好みのタイプじゃない』とか言われてね(笑)。
英語劇の稽古で6か月間、普段の生活をずっと見ているじゃないですか。それで、この男だけは絶対にイヤだと思ったんだろうね」
-何がイヤだったのでしょう?-
「いい加減だからね、俺は。何をやらせてもいい加減だから。だいたい『それでいいや。いいんじゃない?』なんて言っているからね(笑)。
彼女はコツコツコツコツ研鑽していくタイプだから、自分とは違う世界にいる人だと思ったんだろうね。大変でしたよ、口説くのは…。
毎日手紙を書いて、彼女の時間割を調べて同じ授業を受けてという毎日でしたから(笑)」
-奥さまより先にご家族に気に入られたそうですね-
「そうそう。女房のお母さんとお姉さんが僕を気にいってくれて、家に上げてくれたんですよね。だから今の僕があるのは、今は亡き彼女たち2人のおかげです」
-すごい一途ですよね、奥様と絶対に一緒になると心に決めて実行されて-
「僕は今でも思い込みが激しくて、とんでもない失敗をするということがありますよ。こうだと決めて3日ぐらい経ってから『えっ? そういうことだったの』って(笑)。
思い込んでこうじゃないのと思ってやっていたことが違うとかね。お芝居でもあるかな」
-奥さまに思いが通じてご結婚されて-
「そうですね。それは僕がこの人を捕まえられないようだったら、役者になれないだろうと思っていたからね。
僕はとにかく思い込みがすごいんですよ。カミさんはすごい意地っ張りで、きかん気で、負けず嫌いで、どんなことがあっても目的に向かって突っ走るみたいなところが見えてきたからね。
この人の子どもが欲しいと思った。この意地っ張りの血を将来の僕の子どもに取り込もうと決心したんだよね。
僕は子どものときからずっと、あまり高い壁は越えないみたいなやり方で生きていたからね(笑)。この人のこういうものをもった息子が欲しいなあと思って。
それで『結婚を前提に付き合ってください』って言ったら、『私のタイプじゃない』ってけんもほろろ(笑)」
-お付き合いするまでに、どれぐらいかかったんですか-
「3年かかりました。でも、僕を『一途の男』にしてくれたのは彼女だね。これは僕にはあまりなかったと思う、一途っていうのは。今は結構芝居に対しては一途ですよ。それは彼女が目覚めさせてくれたんだなあと思う」
-実際に何十年も俳優生活を続けていらっしゃるわけですものね-
「うん。飽きないですね。芝居をやっている間は飯を食わなくたっていいし、疲れたと思うこともない。芝居をみんなと一緒にやっている間は機嫌よくしていられるからね。
役者に適しているように彼女が作り上げてくれたんだと思う。原田大二郎を作ったのはカミさんですよ。彼女がいなかったら僕は今、こうして役者はやっていられなかったと思う」
◆人気テレビドラマ出演も過酷な現場に「降りたい…」
1974年、長男・虎太郎くんが誕生。2305gの小さな赤ちゃんで、検査の結果、腸の病気を患っていることがわかり、治療の日々がはじまったという。
「虎太郎は腸の病気や肺炎や便秘…高熱でグッタリとして、しょっちゅう病院に行っていました。夜中もね。僕は撮影で留守にすることも多かったので、カミさんは本当に大変だったと思う。
息子が生まれて半年くらいして『Gメン’75』に出演することになったんだけど、毎日毎日とにかく走らされてばかりで、足の付け根の腱鞘炎(けんしょうえん)になっちゃって、これはもう足が腐るんじゃないかっていうぐらいひどい状態だったんですよ。
『Gメン’75』のおかげで顔が知られるようになって、ファンレターも毎月段ボールで2~3箱くるようになったんだけど、もうムリだと思って『降りたい』って言ったんです。ノイローゼだったんですよね。
そうしたらプロデューサーに、『大二郎、お前の殉職編を作るから、それを作る間ちょっと遊んでいてくれ』って言われて。
それで、別にその人がお金を出したわけじゃないんだけど、自費で北海道に行って摩周湖を見ていたら、パーッと霧が晴れてきたんですよ。
その霧が晴れて、湖面がキラキラキラキラッと輝いた瞬間に、『さっきまで俺、ノイローゼだった』って、自分でわかったんです。一概には言えないけど、僕の場合はそうでしたね。
それで、そのとき女房が一緒に行っていたから、女房に『さっきまで俺ノイローゼだったよ』って言ったら、『そうよ』って言われて(笑)」
-奥さまは全部わかってらしたんですね-
「そう。女房には全部わかっていたんだよね。僕がすごい被害妄想になっていたから、いろんなことが全部。『俺を神様が変なふうにしようとして、こういうことになっている』って思い込んじゃっていたからね。
その経験があるから、それからはそういうのがまったくないです。自分を追い立てるみたいなものがまったくない。何とかなるだろうって」
◆高倉健さんと会った瞬間、オーラを見た
新藤兼人監督をはじめ、深作欣二監督、佐藤純彌監督…さまざまな監督たちと仕事をしてきた原田さんだが、ダメ出しをされることはほとんどなかったという。
「意外と映画監督からはダメ出しをくわないんですよ、僕は。それはそれでいいんだろうと思っていたんだけど、最近になって考えてみると、見捨てられていたんだなっていう感じはあるよね(笑)。
つまり、自分が今若い子たちの演技を見たりしているから。自分の手のひらに乗るやつというのは、ちゃんとダメ出しをして伸ばしてやりたいというのがあるわけですよ。
でも、自分の手のひらに乗らない奴には、もう勝手にやらせろという感じになるんですよね。だから、僕はずっとそういうふうに扱われて生きてきたんだと思う」
-監督が意図するお芝居をしてくれた場合も言わないのでは?-
「そうだね。監督から見ると、まあ間違ってはいないし、自分の欲しいところから離れるわけじゃないから、原田はそのままやらせておこうという、そんなふうだったんだろうね。
でも、もう一つ僕が伸びるためには必要だったものがあるんですよ。時代をあらわしているというね。
時代をあらわすと同時に、引っ張っていかなきゃいけないというもの。それは高倉健さんとか、裕ちゃん(石原裕次郎)を見ても、皆さんそうなんですよ。映画のトップに立っている人たちというのは、時代を引っ張っていくんだよね」
-高倉健さんとは『野性の証明』(佐藤純彌監督)で共演されていましたね-
「『野性の証明』もすごい作品でした。僕は健さんの自衛隊の後輩で、自衛隊を辞めた健さんをずっと監視しているという役でね。
運転席から小銃を出して撃つというシーンは、僕が監督に『純彌さん、小銃をここに隠していて撃つというのはどうでしょう』って言ったら『おお、それやろう』って言って。
だいたいああいうシーンは、僕からアイデアが出ているものがいくつかあるんですよ」
-それで原田さんはすごい殺され方をして-
「健さんにね。僕は、これまで2人の俳優さんからオーラを見せてもらったんですよ。一人は浅丘ルリ子さん、もう一人は高倉健さん。
健さんとは『野性の証明』ではじめて会ったんだけど、金沢の遊郭で早朝、健さんが現場に出て来たら、真っ赤なオーラが天まで上がっていたんですよ。
それで健さんがフッと僕を見て、『高倉です。よろしく!』って言ったときに、僕の世界がバーッと開けたね。やっぱり違うんだよ。カッコいい。
森繁(久彌)さんと最初に会ったときもすごかった。森繁さんはそのとき60歳。説得力のある目でね、『大二郎、笑え』、『大二郎、笑うな』って自在に目で語ってくる。達人っているんだって。
それまで僕は自分が相当いい役者だと思っていたのよ。だけど、森繁さんに会って、『あー、上がいるんだ』って思った。
それで、その晩帰ってテレビを見たら、それまで僕がバカにしていた役者がみんな僕より上手に見えるんだよ。『あれっ? この人こんなにいい芝居をしていたんだ』って。
だから、人との出会いというのがものすごく自分に影響しているというか、僕を育ててくれているよね」
-『蒲田行進曲』で銀ちゃん(風間杜夫)のライバル役の橘を演じた原田さんも話題になりました。-
※映画『蒲田行進曲』
撮影所を舞台に、破天荒な花形スター・倉岡銀四郎(風間杜夫)と彼を慕う大部屋俳優・ヤス(平田満)の不思議な友情、2人の間で揺れ動く女優・小夏(松坂慶子)の姿を描く。原田さんは銀四郎のライバル俳優・橘役で出演。
「深作さんが『蒲田行進曲』で僕を使ってくれたんだけど、ぶっ飛んだ台本なので、僕は相当やらなきゃいけないなと思って、用意して行ったんですよ。
そして撮影。『用意、スタート』ってはじまって、僕は相当とばした芝居をやったんだけど、『カット!大二郎、そんなもんじゃないだろう』って言われて、『えーっ!? もっとやっていいんですか?』って聞いたら、『やっていいかって、お前、何もやってねえじゃねえか』って(笑)。
『はい、それじゃあやります』ってやったんだけど、また『カット! 大二郎、そんなもんじゃないだろう』って(笑)。10回ぐらいやりなおさせられた。
しかも、その間、段々テンション上げていってるんだよ、僕のほうは。すごい上げていってるんだけど、それでもOKが出ないんだよね。
それで、10回ぐらいやって、出来上がったのがあれなんですよ。やっぱり役者って、いじめられて伸びるんだよね(笑)。
いじめられていろんなことを考えて、そこから這い上がったときにはじめて1歩伸びていくんだよ。深作さんは『蒲田行進曲』のときだけは僕にそうだった。
深作さんは『Gメン’75』に1本来てくれたのかな。それで一緒にやっていて、『蒲田行進曲』に使ってくれたんだけど、Gメンのときにはあれこれ言わない、とにかくどんどんどんどんやらせるだけだったんです。
『蒲田行進曲』は深作さん、相当気に入っていたんだと思う。だから、こだわったんだろうね。10回くらいやりなおさせられた。そこで教わったのは、役者ってストッパーがないんだということ。
ストッパーがない演技をやって見せて、それでそのあとで監督にブレーキをかけさせてあげるような仕事なんだって。
一番イケるところを出さなきゃいけない。そこまで出せたら、それをブレーキかける監督ってほとんどいないですよ」
幅広い役柄を演じてきた原田さん。さらに俳優としてだけでなく、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)では幸福配達人として出演し、バラエティ番組でも活躍。次回後編では刺激を受けた先輩俳優たち、映画『めぐみへの誓い』の撮影エピソードなどを紹介。(津島令子)
※映画『めぐみへの誓い』
2021年2月19日(金)より池袋シネマ・ロサ、AL☆VEシアター(秋田市)ほか全国順次公開
配給:アティカス
監督・脚本:野伏翔
出演:菜月、原田大二郎 石村とも子 大鶴義丹 小松政夫 仁支川峰子 坂上梨々愛 安座間美優 小林麗菜
13歳のときにいきなり北朝鮮の工作員に拉致されて家族と引き離され、それまでまったく知らなかった国で懸命に生きる横田めぐみさん。愛娘の救出運動に邁進(まいしん)し続けるご両親。2人の幼子を残したまま連れ去られた田口八重子さん。許されざる事件と運命に立ち向かう姿を描く。