女優・片岡礼子、脳出血で倒れ“命の危機”を経験。彼女を救った夫の判断と、意識の変化
“映画界のミューズ”として名だたる監督たちが出演を熱望する片岡礼子さん。
大学在学中に篠山紀信さん撮影の「週刊朝日」の表紙モデルをつとめたのがきっかけで、芸能事務所に身を預け、発声練習、日本舞踊、ダンスなどさまざまなレッスンを受けながら女優を目指すことになったという。
◆映画『二十才の微熱』で女優デビュー
大学3年生の夏休み、愛媛にある実家に帰省中だった片岡さんに映画のオーディションを受けないかという連絡が入る。それがデビュー作『二十才の微熱』(橋口亮輔監督)のオーディションだったという。
「橋口さんが、『まったく演技経験がなくてもいいです。一緒にやっていきましょう、学んでやっていきましょう』という風にやってこられた監督さんなので、オーディションを受けることにしたんですけど、伊予弁が抜けなくて、直前まで社長さんに『やっぱりしゃべると訛ってるよ』って言われてました(笑)。
こういうところからトレーニングなんだろうなぁと思って。それからは田舎に帰っても頑張って標準語を使うようにしたりして。無理なんですけどね(笑)。
お祭りとかに行った瞬間からもう無理なんですけど、そういう意識はもつようになりました。でも、そのオーディションも一度落ちてしまうんですけど」
-『二十才の微熱』ですか?-
「はい。最初は実年齢より2、3歳若い高校生のあつみちゃんの役を受けさせていただいたんですけど、まったく経験がなく落ちてしまいました。
『ああ、そうか。でもいい経験できたなあ』って。すごくセリフがすてきだったので、少しでも関わりたいと思っていました。
そうしたら、もう一度オーディションを受けるチャンスが来まして、頼子の役で受けさせていただきました。
決まったと聞いたときには本当に、もう覚えていないぐらい感動しました。どうやって聞いたのか覚えてないです」
映画『二十才の微熱』は、ゲイバーで男たちに身体を売っている主人公の大学生・樹(袴田吉彦)を中心に、彼のことが好きな男子高校生や二人の女の子たち、4人の若者たちを描いた青春ストーリー。片岡さんは、樹に想いを寄せる先輩・頼子役。実は、頼子の父親が樹を買春したことがあるという設定。
-何も知らずに実家に招待された樹が、食卓で吐いてしまいますね-
「そうです。ありましたね。お父さん役は石田太郎さん。本当に長回しの撮影で、『二十才の微熱』が私にとって最初の現場だったのは大きかったです。
しっかりリハーサルも長い間、やらせていただいたんですけど、それが条件ではじまっているオーディションだったりしたので。
あれが本当にすべての学びみたいな感じでした。監督は、それまで学んで撮影をたくさんしてきた経験のなかで、自分が思ったセリフを言ってもらうために相手がだんだん変化してくるのを待ってくださる監督だったんです。
撮影が終わってから公開まで1年ぐらいあったんですけど、クリーニング屋さんとか、いろんなところでアルバイトしながら、『本当に映画の撮影に関わらせてもらったんだよなぁ』って、それが結構生きる励みだったりしました。
『1回目というのが自分に訪れたんだ』って思って。『あの映画だったから、自分はとてもいいスタートができた。だから絶対に公開しますように』って、本当にそのことばかり考えていました」
『二十才の微熱』は1993年9月4日に公開され、そのあと片岡さんは、映画『虹の橋』(松山善三監督)、『愛の新世界』(高橋伴明監督)に出演する。
◆野良猫みたいな女を演じるために野宿?
1995年に公開された映画『KAMIKAZE TAXI』(原田眞人監督)で片岡さんは、第17回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞を受賞。“映画界のミューズ”として注目を集めることに。
『KAMIKAZE TAXI』は、恋人・レンコ(中上ちか)を無残に殺され、組に反旗を翻した若いチンピラ・達男(高橋和也)と、逃亡をともにするペルー育ちの日系人・寒竹(役所広司)の交流を描いたもの。片岡さんはレンコに拾われるが、SM趣味の悪徳政治家によって重傷を負ってしまうタマ役を演じている。
-片岡さんは顔面も血まみれで、すごいことになっていましたね-
「そうでした。殴られて蹴られてね(笑)。あれはほんとにすごい現場でした。でもおもしろかったです。
皆さんに、『映画祭でとても感銘を受けた者です。いつ見ても色あせない映画だと思います』とかって言われて、『なんでそんなことがわかるんですか?』とか思って聞いていました(笑)。
自分のなかで現場の記憶がうろ覚えになっているところを確かめたかったので、もう一度見たいと思っていたときに、DVDが発売されたんですよ。
なのですぐに買って見たんですけど、やっぱりすごい。あのとき、映画祭でいろんな方に、ずっと色あせないと言われ、その後も大勢の方に言っていただいたんですけど、そのときわかりました。
私も、他人事のように見てしまいました。タマのことも。あのハチャメチャな自分が同一人物だと思えなくて…。感慨深いです。
あのとき、あの場で、あのみんなとじゃないとできないということは素晴らしいことなんだなぁって」
-撮影でとくに印象に残っていることはありますか-
「全部です。最初、自分が役を全然掴めた気がしなかったんですけど、皆さんはすごいお芝居をされていて。
役所(広司)さんなんてあらわれただけで、もう私が吹き飛んでしまうんですよ。高橋(和也)さんが、役所さんと真っ向から対峙(たいじ)している姿をみてすごいなあって思っていました。
役所さんには、オーディションのときにはじめてお会いしたんですけど、フッとあらわれたときには、もう本当に寒竹一将さんそのものだったんです。
現場でお会いして、やっぱりすさまじい気迫であの寒竹という役を演じられていたので圧倒されました。
本当にすごい方とお会いできただけで、その日ももちろん親に自慢しましたけど、それだけでいいというぐらいでした」
-タマの役作りはどのように?-
「ハチャメチャな役なので、ハチャメチャに生きてないとダメなんじゃないかって、色々と未熟な私は、多分一番やってはいけないアプローチの方法をしていたと思います。
『ハチャメチャでいないと、あの役にピッタリとか思われないだろうなあ。せっかく監督に決めていただいたのだから』って、本当にいろんなことに挑戦しましたね」
-深夜まで遊びに行ったりとか?-
『あの役は、オーディションに受かって監督から『捨て猫みたいな女』と言われたので、結構一人で過ごすようにしたりして。
『さねよしいさ子さんが、おしゃべりするときのイメージかな』って言われて、そのビデオもいただいていたので、それを見たりして。
話し方や雰囲気、生い立ち、タマと名乗っているけど、多分本当の名前はそうではなくて…というのを自分なりに想像して色々考えました。
最終的に、新宿とかああいう所で拾われて、カラダを売る仕事をするわけですが、タマは仕事と思ってない。
『やっと見つけた自分の居場所で、レンコだけが頼りで懐(なつ)くって、どれぐらい寂しい人?どれぐらい人を信じてないのか?信じているのか?』って、四六時中考えちゃ、家に帰りそびれて。今考えたら絶対にしてはいけないんですけどね。
野宿とまではいかないですけど、街を目的もなく徘徊(はいかい)したり、そういう方法でタマの生活を味わうっていうことをするしか、自分には勉強することができなかった。わからなくて。
そういうたびに橋口監督に『どうしたらいいですか』って聞いていたんですけど、『それは違うだろう?今の監督とやっていくことだ』って言われて。
やっぱり心がずっと、最初に橋口監督と演じた現場を求めていたりとかして、そういう葛藤もあったり…。
あとは演技学校の本を読んでみたりとか…。今思えば、のたうち回っていましたね。
正解なんてないということも知っていたのですが、ありとあらゆることをやって、それが自分のカラダを通して、原田眞人監督に『そう、それ』っていうところにいけたらなあって。
無我夢中という言葉しか残ってないぐらい。
いやあ、よく泣きましたよ。『これ以上、何をやったらいいかわからない』とか言って泣きました。当時のあの現場にいた人は、みんな知っています(笑)。
現場ではみんな、『監督の言っていることわかる?』っていう感じの視線だったと思います。そんな状況も知っていた橋口監督が、最終的に何十年経っても言ってくださるのは、『お前、根性あったよね』って。
『あれだけ言われて、本当に逃げなかったことだけは認める』みたいなことは、10年後くらいかな。『ハッシュ!』のあたりで『根性あるなあっていうのは覚えているよ』って。
『もちろん下手なのは今も変わらないけどね』って言われて、胃がグッと痛かったです(笑)。『ですよね?いいです。それで。そのとおりです』って。一生勉強ですよ、一生」
映画『ハッシュ!』は一組のゲイカップル、勝裕(田辺誠一)&直也(高橋和也)と孤独な女性(片岡礼子)が、新しい家族の形をめぐって繰り広げる騒動を描いたもの。片岡さんは、愛のないセックスを繰り返し日々を送っていたが、ゲイであることを知った上で、勝裕の子を妊娠したいと相談を持ち掛ける歯科技工士・朝子役。
-『ハッシュ!』のやさぐれた感じが印象的でした-
「そうですね。やさぐれという言葉が、もうあだ名のようになって『やさぐれ礼子、飲んでるか?』とか、色々な人に言っていただいて(笑)。幸せな称号をいただきました。
撮影の1年くらい前に声をかけていただいて、それからはケガをしちゃいけないとか、何かあって自分が撮影現場にいけなくなることがあってはいけないと思って、遊べなくなりましたし、そこに照準を合わせてました。暗いのかな?私は(笑)」
-仕事に本当に体当たりで挑む、その役を生きているという感じがします-
「それしかないんですよ。本当に自分が悩んで道にぶつかったときに、いく道場のような場所も見つけたり、いろいろなことをしていますけど、手探りでという時代が長かったですからね。
やっぱり一期一会で、その監督が作りたいものということに集中することが1番大きいので、それは役が大きいほどやりがいはあります。
でも、小さい役だからといって気持ちがかわるわけではないし、それはあってはいけないこと。
デビューの頃、社長に『一行とか、ほとんどセリフがないという役の人ほど、1番台本を読まなくちゃいけないんだよ』って言われたんです。
最近、ありがたくおいしいことに、すごく大事なところにポンと出る役でたびたびオファーをいただけるんですけど、これが自分にとって本当に難しくて。
私みたいな本当にへたくそなタイプは、なにかひっかき傷を残そうとすると、求められていた演技と違うことをやってしまったりして、監督が『え?!』っていうことで終わることも1度や2度じゃなく。
それはあっちゃいけないんですけど、悔し涙をのむこともあるんですね。そういうときにその一言を思い出して『ああ、多分読むことも足りなかったし、その時間も足りなかった』って」
◆結婚、出産…舞台の稽古中に脳出血で一時は命の危険も
“映画界のミューズ”として注目されはじめた1998年、片岡さんは結婚し、翌年、はじめての出産を経験する。
-突然結婚されたのには驚きました。そして、出産も-
「そうでしたか。驚いていただいて、楽しんでいただけて光栄です(笑)」
-そして『ハッシュ!』で数々の主演女優賞を受賞されたときに病気に-
「そうですね。私の内情というか、日常を知っている人からは、『どうして、どんなに波瀾万丈なの?』ってよく言われます。そんなつもりは毛頭ないですが」
-ご出産されてからかなりハードな生活だったとか-
「出産してからは、日中は家事をこなして家族が寝静まった夜中にセリフを覚えるという生活でした。
別にそうしろと言われたわけではないですけど、好きな仕事をやらせてもらっているんだから、家事や子育てはきちんとやらないといけないと思って、睡眠時間を削ってセリフを覚えていました」
-家事を少し手を抜いてとかいうことは?-
「今は超手抜きありますよ。でも当時はそれをしたら終わると思っていたので、『融通がきかないですね』って言われて怒られることもあったぐらい。それは自分が決めたらこうするみたいなところはありましたね。
それで自分が生きづらいって思ったり、病気になったことや自分の頑固さで人に迷惑をかけたりして、その度に大きく落ち込むわけですよ」
-発症したときは、舞台の稽古中だったそうですね-
「はい。2002年1月5日の舞台稽古のときにひどい吐き気と頭痛、意識ももうろうとしていたので、稽古場で横になっていたんですが、ろれつも回っていなかったみたいです。
それで、これはおかしいと思ったみたいで、スタッフさんが病院に連れて行ってくれて、脳出血(脳動静脈奇形血管出血)だということがわかったんです。
生まれつき動脈と静脈の一部が絡み合っている状態で、壁が薄く破れやすいので、出血を起こしやすいのだと言われました。
-一時は生命の危険もあったと聞きました-
「はい。病院に早く行ったから助かったって。あのまま家に帰っていたら助からなかっただろうって言われました」
-助かって本当によかったですね。ご主人は片岡さんの療養のためにお仕事を辞めて、四国のご実家に帰ることにされたそうですね-
「はい。その判断のおかげで私は治ったところがあります。手術を受けて退院してからも、やっぱり、舞台を降板してみんなに迷惑をかけたので申し訳ないという自責の念と焦燥感でいっぱいで、思うように動くことができないのに、気持ちばかり焦っていたんです。
それで、主人がこのままではダメだと、一度東京を離れたほうがいいと言って、主人の実家である四国の離島に帰ることになりました。
みんな温かく迎えてくれて、本当にうれしかったです。ホッとしました。人生でいちばん充実した日々を過ごせたのかもしれません。
島では草むしりとか、農作業を手伝っていたのですが、農作業で普段使わない筋肉を使ったこともリハビリには効果的だったみたいで、徐々にからだも回復していきました。
いろんなことをすべての人から教わりながら、肩の力を抜かないと、前のようにやりたい映画から自分がドロップアウトしないといけない、人生からもおりてしまわなければいけないかもしれないと思ったら、寝ないで頑張ることが偉いみたいな、そういう意識は自分のなかからなくなって、『やっぱり睡眠をとって、健康な人がかっこいい』って思うようになりました」
その2年後、島で療養生活中だった片岡さんは、2004年に映画『帰郷』(萩生田宏治監督)でスクリーンに復帰することに。次回後編では『帰郷』で復帰するまでの道のり、公開中の映画『タイトル、拒絶』の撮影エピソードなどを紹介。(津島令子)
※映画『タイトル、拒絶』
新宿シネマカリテ、シネクイント、アップリンク吉祥寺ほかにて全国順次公開中(12月4日より池袋シネマ・ロサにて公開)
配給:アークエンタテインメント
監督・脚本:山田佳奈
出演:伊藤沙莉 恒松祐里 佐津川愛美 片岡礼子 でんでん
それぞれ事情を抱えながらもたくましく生きるセックスワーカーの女たちを描く。
デリヘル嬢になろうとしたものの自分には無理だと悟ったカノウ(伊藤沙莉)は、事務所でデリヘル嬢たちの世話係をすることになるが…。