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津山登志子、娘の夫を訴え“母子断絶”の危機に。清掃のアルバイトをしながら、女優活動再開

1996年、42歳のときに離婚してシングルマザーになった津山登志子さん。

女優として活動するかたわら、2冊のヘアヌード写真集、『INNOCENT-無垢な-』(1999年)と『哀-ai-津山登志子×荒木経惟』(2001年)を発表する。

◆心機一転、ヘアヌード写真集で情念の世界へ

はじめてのヘアヌード写真集『INNOCENT-無垢な-』のカメラマンが津山さんの文化学院の先輩・佐藤健さんだったため、何の不安もなく安心して撮影に臨めたという。そして、2001年には奇才・アラーキー(荒木経惟)とタッグを組んだ写真集『哀-ai-津山登志子×荒木経惟』を発表した。

「この写真集は″阿部定″を演じているんですけど、編集は寺山修司さんの弟になった(森崎)偏陸(へんりっく)さん。

偏陸さんは、高校時代に寺山修司さんが主宰する劇団「天上桟敷」に入団して、寺山さんが亡くなった後、戸籍上の弟になって、その魂の継承者としてジャンルを越えた活動を続けているんですよね。

荒木先生は『僕は撮るだけ。撮ることに集中する。あとは偏陸がやる』って。撮っていただいた写真を見てすごく驚きました。私はこの写真集に載っているような顔を自分がもっているということを知らなかったの。

『りぼん』の小さな女の子がこういう表情をする大人になったんだって感慨深かったです。やっぱり顔ってその人の人生が作るものですからね」

-まったく別人のような感じですね-

「そうでしょう?荒木先生は私のアイデアも色々入れてくれたので、母と摘んだ山茶花(さざんか)を容器に入れてもって行って使ったり、海外旅行のお土産にもらった人形を登場させたりして、とても楽しい撮影でした。

荒木先生は本当に面白いですよ。歌舞伎町とか青梅街道、老朽化して崩れかけたラブホテルとか、いろんなところで撮影しました。どこでも平気で撮っちゃうの(笑)。

今はもうすっかりリニューアルされてものすごく立派になったんですけど、『成子天神』(新宿)の狛犬に乗って撮影したら、『お前はそういうことをするからバチが当たって苦労するんだよ』って母が言いましたよ(笑)」

-写真集が出来上がったときにはいかがでした?-

「色々な発見もあってうれしかったです。2004年に奥田瑛二監督の『るにん』という映画に出させていただいたとき、打ち上げの賞品に出したんですね。そうしたら安藤和津さんがパッと見て『すごい情念だよね』って言ってくれて。

安藤さんの長女・桃ちゃんとうちの娘が保育園繋がりで昔からお付き合いがあったので、桃ちゃんと娘がまだ小さいときに手をつないでいる写真もあるんですよ。

偏陸さんの編集(レイアウト)もとてもすてきで、2008年に私は、寺山修司さんが美輪明宏さんにプレゼントした戯曲『毛皮のマリー』を舞台でやったんですけど、その演出を偏陸さんにお願いしてやっていただきました」

-2019年は『週刊大衆』(双葉社)のグラビアで3度目のヌードに-

「最後のね(笑)。最初の写真集を撮っていただいた(佐藤)健さんとの還暦ヌードの約束がはたせていなくて気になっていたので、約束がはたせてよかったです。

実は、今月23日に発売される『週刊大衆』にそのグラビアの第2弾が出るんですよ」

-お嬢さんは何かおっしゃっていました?-

「『年齢のわりにはきれいだね』って(笑)」

◆娘の“夫”を「不法滞在」で訴えて…

津山さんのひとり娘の來未(くみ)さんは、小中学校はインターナショナルスクールに通い、大学1年生のときにはニューヨークでヴォイス・トレーニングを1年、大学卒業後すぐに今度はオーストラリアで3年間過ごしたという。

「『ママ、オーストラリアに来てもいいよ』と言われて行ってみたら、ニューヨークでバーテンダーの勉強をして、オーストラリアでバーテンダーとゲームセンターで働く資格の二つを取得して頑張っていました。しっかりしているんですよね」

來未さんはオーストラリアから帰国後、2005年に「鈴木みらい」という芸名で1stミニ・アルバム『mi・ra・i』をリリース。そして2006年、『4seasons』でメジャーデビューする。

「歌が上手いので、歌手として頑張ってほしいと思っていたんですけど、あまり欲がなくて…。

娘とは離れて暮らしていたんですけど、2011年に『実家に帰りたい』と言うので、母と私は喜んで部屋を空けて待っていたんですよ。

そうしたら、そこに現れたのが、真っ赤なキャップを被ったTシャツ姿の若い外国人。それが娘と結婚するナスルルさんなんですけど、第一印象から悪かったんですよね。

突然現れて、いきなり我が家に転がり込んで来て、その日から一緒に生活をはじめることになって。

『何?この人』って思ったけど、それでも最初は冷静になろうと自分に言い聞かせていたんです。冷静になって彼が娘の相手としてふさわしいかどうか判断しようと努力もしました。

でも、彼は娘と2人の世界に入ってしまって部屋から出てこないんですよ。私とコミュニケーションを取ろうとしないの。それで、『これはダメな男だ!』って思ってしまったんですよね。

今考えれば、若いのだから2人でいたいと思うのも仕方がないし、言葉の壁もあるのだからと目を瞑れたと思うんですけど、当時はそんな余裕がなくて、どんどん追いつめられてしまって…」

-どなたかに相談されたりは?-

「色々な人に相談して、弁護士にも会いに行きました。娘は『ナスルルさんにプロポーズされた』と言って喜んでいて、『彼がひざまづいて私にくれた指輪よ』って見せてくれたんですけど、私にはオモチャにしか見えなかったんですよね。

そのときにはもう頭に来て『こんな遊び人に娘を取られてたまるものか』って、完全に冷静さを失っていたので、ナスルルさんを『不法滞在』で訴えたんです。

でも、結局、調停委員もナスルルさん側を擁護して、私がおかしいと言うことになって…。打ちのめされました。

裁判に負けたことも大きかったけど、娘も母も私をまったく相手にしなくなってしまったんです。2012年に、娘に女の子が生まれたときも、みんなでお祝いをしている楽しそうな声が聞こえてきたのに、私だけ呼んでももらえなかったんですよね。一緒に住んでいるのに。

それがものすごく悲しかったし、その当時は父の死からもまだ立ち直れていなかった。それに仕事もあまりうまくいってなかったし、詐欺に遭ってギャラがもらえなかったり…色々なことが重なってしまったんですよね」

そして津山さんは、自殺を図ってしまったという。

「私を救急車に運びこんでくれたのがナスルルさんで、そのまま一緒に病院に行き、ずっと付き添ってくれたのも彼だけでした。そのとき、優しいいい子なんだとわかりました。

私は覚えてないんですけど、自殺を図ったとき、私の部屋に孫がいたみたいなんですよね。娘が『孫の目の前でそんなことをするなんて何を考えているんだ。あんたなんていらない!』って怒って。

仕事もしていたし、私の面倒まで見られないというので、とりあえず入院ということになったんですけど、『双極性障がい』と診断されて3年間入院することになりました」

-入院生活はどのように?-

「朦朧としていて時間の間隔もありませんでした。記憶があまりないんですよね。

診察や部屋を替わるときにストレッチャーや車いすで移動するんですけど、風の冷たさやにおい、日差しなどで季節の移り変わりが何となくわかるという感じでした。

入院生活では院内の『陶芸教室』で心が癒されましたし、自分と同じ病と闘う人たちとの生活を通して少しずつよくなっていったようです。先生や看護士さんもすごくよくしてくれました。

でも、自分では3年間も入院していたという感覚がないんですよね。3年間も入院していると聞いたときはビックリしました。『そんなに長い間いるの?』って」

-娘さんたちとの関係は?-

「娘は『絶対許さない』って言っていたんですけど、ナスルルさんが『いろいろあったけど、お母さんは家族なんだよ』って言ってくれたんですよね。その言葉でわだかまりがすべて流れ去りました」

◆アルバイトをしながら芸能活動再開

(C)2020『泣く子はいねぇが』製作委員会

※映画『泣く子はいねぇが』
2020年11月20日(金)より新宿ピカデリー他全国ロードショー
配給:バンダイナムコアーツ/スターサンズ
監督・脚本・編集:佐藤快磨
仲野太賀、吉岡里帆、寛 一 郎、山中 崇、余 貴美子、柳葉敏郎
大人になりきれず、社会にも馴染めない男が、不器用ながらも、青年から大人へ、少しずつ成長する姿を″ナマハゲ″(秋田県男鹿半島で伝承される、ユネスコの無形文化遺産に登録された神様)を通して描く青春グラフィティ。

2017年、3年間の入院生活を終えて退院した津山さんはアルバイトをしながら芸能活動を再開することに。2018年、『クイズ!脳レベルSHOW』(BSフジ)で8年ぶりにテレビ出演。珍回答連発で「天然ぶり」が話題に。

「ハローワークにも行きましたけど、この年齢になると、何かの資格をもっているわけでもないので、清掃員のアルバイトしかないんですよね。

だから、今は清掃のアルバイトをしていますけど、女優の仕事のときには休ませてもらえるので助かっています」

-2019年は小倉一郎さんと仲雅美さんのショー『雅美と一郎』にも出演されて-

「小倉さんと仲さんは同世代の役者仲間ですけど、お2人がとても優しいので、出させていただいたんですけど(笑)」

-11月には映画『泣く子はいねぇが』が公開されますね-

「そうですね。あれはオーディションを受けたんです。主人公の母親のパート仲間なんですけど、秋田にはじめてロケで行きました。やっぱり現場は楽しいですね。

女優は一生続けていきたいと思っています。やっぱり自分のカラダを使って表現することが好きなんですよね。

娘とナスルルさんが『マレーシアで一緒に暮らそう』と言ってくれているので、いずれは移住しようと思っていますけど、女優は続けていきたいと思っています」

家族の絆と健康を取り戻し、目をキラキラさせて女優としての決意を語る津山さん。完全復活した今後が楽しみ。(津島令子)

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