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小倉一郎、4度目の結婚相手は40年前の“婚約者”。突然のメールで再会、数日後に同居開始

「小心者をやらせたら右に出る者はいない」と称され、市川崑監督や深作欣二監督をはじめ、名だたる監督たちとタッグを組み、今年芸能生活60周年を迎えた小倉一郎さん。

『それぞれの秋』(TBS系)、『俺たちの朝』(日本テレビ系)など、後々まで語り継がれるドラマの出演作も多い。

多趣味であることでも知られ、蒼蛙(そうあ)という俳号を持ち、『ひるまえほっと』(NHK)では「ひるまえ俳句茶房」コーナーを担当。作詞作曲も手がけ、エレキギター、篆刻(てんこく=書画などに使うハンコを作ること)などマルチな才能を発揮している。

『小倉一郎のゆるりとたのしむ俳句入門』(日本実業出版社)

◆舞台出演がきっかけで俳句の世界へ

2020年1月には、はじめて書いたユーモアたっぷりの俳句入門書『小倉一郎のゆるりとたのしむ俳句入門』(日本実業出版社)を出版。「蒼蛙(そうあ)」は、脚本家の早坂暁さんが付けてくれた俳号だという。

-俳句をはじめられたきっかけは?-

「20数年前にお正月公演のとき、楽屋が一部屋しかなくてカーテンで仕切った奥が女性の楽屋で、女優さんの明るい笑い声が聞こえてきていたんですね。

そのときに詠んだ『初芝居 女樂屋の 笑ひ聲』というのが僕の最初の句なんですけど、楽屋で笑っていた女優の松岡みどりさんに見せたら、『あら、いい句じゃない』ってほめていただいて。そこからですね。

僕はほめられると、すぐ木に登る性質ですからね(笑)。『豚もおだてりゃ木に登る』というたとえ通りです。

それで、松岡さんが所属していた結社(俳句の同好会)に連れて行っていただいたり、『俳句歳時記』や松尾芭蕉、正岡子規、高浜虚子…先人の句集にも親しむようになりました。

-俳句作りはスムーズに?-

「いいえ、最初は目に映った情景や、心で感じたことを気ままに句にしていたんですけど、悪戦苦闘の日々でした(笑)。

俳句は奥が深くて新たな発見があるからやめられないんですね。

俳句の材料は身の回りにたくさん転がっています。俳句を知れば知るほど、日記のようなものでいいのだと思うようになりました。

日々の暮らしのなかから浮かんできた、聞こえてきた、見つけた言葉を紡いで一句にする。これは本当に、一生の楽しみになるものだと思っています」

◆40年前に結婚を約束した女性と再々再婚

私生活では2017年、40年前に最初に結婚を約束した一般女性と4度目の結婚をして話題に。

-最初のご結婚は22歳、早かったですね-

「そうですね。彼女が18歳で僕が22歳。中古ですけど所沢に家を買って、母と二人で暮らしていたところに嫁さんに来てもらって3人で暮らしはじめたんです。

でも、彼女は若いし、やっぱり年寄りと暮らすのが嫌だったんですね。そのときに限って、僕は京都で撮影だったんですけど、帰ってきたら彼女がいなくて、実家に帰っていたんです。

まだ撮影があったので、僕は京都に行かなくちゃいけなくて、そんなことを繰り返していたら、京都にいる間に『離婚しました』って発表されて、『えーっ?』って(笑)」

-離婚したことをマスコミの報道で知ったということですか?-

「そうなんです。それで、記者の方がいきなり家に来て、玄関を開けたらダーッと上がってきて座って、『さあ、しゃべれ』って言うんですけど、『ちょっと待ってください。しゃべれって言ったって』って(笑)。

それで、全部の週刊誌に記事が出きった後で彼女に会いに行って、ちゃんと話をすることになったんですけど、行ってみると雑誌の記者を呼んでいたんですよ。

とにかく2人で話をさせてくれということで話をしたら、『どうしてもお母さんと暮らすのは嫌だ』と言うので、『じゃあ別れましょう』ということになって離婚することに。

子どももいませんでしたし、慰謝料もなく円満離婚でしたけど、結婚して2か月くらいで離婚でしたから、『芸能界で最短離婚』だと書かれてしまって(笑)。

それをまた抜く記録を誰かが作ってくれたみたいですけど、当時は『早すぎる離婚』ということで話題になってしまいました。不思議なことに彼女とは、離婚してから一度も会ってないですね」

2度目の結婚は、1977年。4人の子どもをもうけるも、1999年に妻の政治家活動のため、すれ違い生活が原因で離婚するが、離婚後も政治活動を応援した。3度目は2006年、元アイドルの女性と結婚するが、3年間の別居生活後、2015年に離婚したという。

そして、3度目の離婚から1年後、2016年にかつての恋人・まきさんから突然メールが届き、再会することに。40年前に交際していた2人は結婚の約束もしていたが、小倉さんの浮気が原因で別れてしまったという。

「『私のことを覚えていますか?』というメールが突然来て、約40年ぶりに再会しました。僕は3度目の離婚をして独身だったし、まきちゃんも30年近く連れ添ったご主人と離婚していたんですよね。

それで、まきちゃんが、『40年前の責任とってさ、一郎ちゃん、私のことを引き取ってよ』と言うので、数日後には彼女がお母さんと暮らすマンションに引っ越していましたね(笑)」

2017年、小倉さんとまきさんは結婚。2人で『徹子の部屋』(テレビ朝日系)にも出演し、「一郎ちゃん」「まきちゃん」と呼び合う微笑ましい仲のよさが話題に。

◆愛妻がくも膜下出血に

料理上手で明るい性格のまきさんと4度目の結婚をして幸せな日々を送っていた小倉さんだったが、2019年3月、まきさんに異変が。

「まきちゃんの92歳になるお母さんと3人で暮らしているんですけど、お母さんのトイレの世話をしていたまきちゃんが、ダーッと居間に来てソファーに突っ伏して『頭が痛い』って言うんですよ。

それで、これは救急車だなと思ったんですけど、『休めば治るから』って。ちょうどそのとき、お母さんが『まき』って呼ぶからお母さんのところに行って、トイレからお母さんの部屋に寝かせに行って戻って来て、また『痛い』って頭を押さえていたんです。

まきちゃんは普段あまり痛いって言わないんですよ。だから『病院に行こう』って言っても『寝てれば治るから』って言って行こうとしなくて」

-病院に行かれたのは、頭痛を訴えてからどのくらい経ってですか?-

「翌日の朝、僕が車を運転して、以前僕がCTを撮ってもらったことがある脳神経外科に連れて行ったんですけど、『よく歩いてきたね』って言われました。

頭のなかで瘤(りゅう)が破裂していたんですね。それですぐに新横浜にある大きな病院を紹介してくれて。

それが午前中で、すぐに紹介してもらった病院に行ったら、手術は午後7時くらいになるって言われたんですね。

彼女はそのまま色々な検査に連れていかれて、僕は待合室で待てって言われて。そうしたら3時に手術室に入れることになったんですけど、それから6時間。9時に『終わりました』って。

もう真っ赤な顔でパンパンになっていて、目が開いちゃっていて変になっているんですよ。

しゃべれないし、眠っている状態だから、その日は家に帰りました。

次の日に病院に行くと、彼女のお姉さんが来て『私のことがわかる?』『私の名前がわかる?』って聞くんだけど、何も答えないもんだからお姉さんが泣き出しちゃって。

これはまずいなあと思って『僕のことがわかる?田村正和です』って言ったら『それはない』って(笑)。でも、それで安心したんです。『しゃべれる』って知ってホッとしました」

-先生からはどんなことを言われていたのですか?-

「左脳大動脈瘤破裂(くも膜下出血)で、5ミリほどの瘤が破裂していたそうです。そのまま出血が続けば死に至るという深刻な状態でしたけど、かろうじて破れたところが閉じていたと聞きました。

手術は成功したんですけど、『脳梗塞を起こす可能性が大です』って。それと、『後遺症が残るかもしれない』って。だからこれは寝たきりになってしまうかもしれないとか、色々考えました」

-先日の『徹子の部屋』ではまきさんがお元気そうでホッとしました-

「そうですね。だいぶ元気になりました。出血が左脳側だったので、右半身に後遺症が出るかもしれないと言われていたんですね。実際、右手の握力が弱くなってしまいましたけど。

あと、物の名前なんかが出にくくなったり、感覚や味覚がまだ戻っていません。料理が得意で、何でも上手に作っていたんですけど、今はまだ同時にいろんなことができないので。

でも、半年ぐらいと言われていた入院生活は3か月で退院できましたし、今も通院とリハビリは続いていますが、徐々に普段の生活が戻りつつあります」

-まきさんのお母様は?-

まきちゃんが入院している間は、家のすぐ近くにある病院の施設に預かっていただいていたんですけど、退院してからはまた3人で暮らしています。92歳の母も元気です。

まきちゃんはパートにも行きはじめましたし、スポーツジムにも行くようになりました。病院やジム、パート先などには、僕がいるときには車で送り迎え、アッシー君していますよ(笑)」

奥様が倒れてからしばらくは俳句を作る気持ちになれず、仕事をこなしながら、病院と義母の施設に通う毎日だったが、回復するにつれて俳句が戻ってきたという。

『クゥタビレモーケ』(日本フォネオリレコード)
「フォネオリゾーン」(左から三ツ木清隆、江藤潤、仲雅美、小倉一郎)デビュー曲。

◆踊って歌える平均年齢68歳のユニットを結成

今年で芸能生活60周年を迎えた小倉さん。2019年8月には、仲雅美さん、江藤潤さん、三ツ木清隆さんと「フォネオリゾーン」を結成し、CD『クゥタビレモーケ』もリリース。宇宙からやってきた平均年齢68歳の新ユニットが地球デビューするという奇想天外なコンセプトで、派手なコスチュームに身を包み、歌って踊るグループを目指しているのだとか。

「『どうせなら歌だけでなく、踊りもやろうよ』って僕が言っちゃったの。あとで後悔したんですけどね。『言わなきゃよかった』って(笑)。難しくてね。

それの稽古がはじまる頃に、まきちゃんが病気になったので、病院と『フォネオリゾーン』のリハーサル、まきちゃんのお母さんの施設、テレビの仕事とか色々あって…。

それで、僕は踊りが全然ダメなんですよね。振付の先生は『キャンディーズ』や『羞恥心』の振り付けをされていた三浦亨さんなんですけど、『もういい加減に覚えなさいよ』って叱られて(笑)」

-ユニットを組むことになったきっかけは?-

「仲雅美さんとは木下(恵介)先生の『冬の雲』というドラマで共演して、これもすごく視聴率がよかったんです。

『俺たちの朝』みたいに、当初は13話のはずが33話になったのかな? それで偶然、何十年ぶりかで再会して、小さなライブハウスで『雅美と一郎』というトークショーをやることになって。

それでゲストを呼んで、昔のドラマのエピソードを話そうということになって、そのゲストに江藤潤さんとか三ツ木清隆さんも来てくれたんです。

そうしたら仲さんのマネジャーさんが、『4人で歌を歌ったりできないかしら?』って言いだしたわけ。

それで、僕が『踊っちゃったりなんかして。ジジイのジャニーズいいじゃん』って話をしたら、みんなノッて来ちゃったんですよ(笑)。

おまけに仲さんのマネジャーさんが宇宙人という設定にしちゃったもんだから、みんな変な髪型にして。

2019年の3月から稽古をして、8月にCDをリリースしてライブもやりました。

昔から見てくれていたファンの方たちが来てくださって、昔ながらの紙テープまで投げて下さって(笑)。まきちゃんも見に来てくれました」

まきさんは小倉さんの別れた妻や子どもたちとも仲がよく、頻繁に連絡を取り合っているという。3番目の奥様だった方と小倉さんとまきさんの3人が会っている様子はテレビで放送されたこともあり、女性2人に“総口撃”された小倉さんがタジタジになる場面も。

「前の奥さんと会うなんて、普通は嫌がると思うんですけど、まきちゃんは『会いたい』って言うんですよね(笑)。

2番目の奥さんとの間に子どもが4人いるんですけど、子どもたちともまきちゃんは仲よくしていて、子どもたちが病院にも来てくれました。

離婚した妻たちも僕にとっては家族同然。両親も兄姉も早くに亡くしていますから、家族がワイワイしている家庭が欲しかったんですよね。今は孫も5人いますし、じいちゃんとして頑張っていますよ(笑)」

スマホに入っているお孫さんの写真を見ながら話してくれた小倉さん。ご家族の話になると、優しそうな表情がよりいっそう優しくなる。芸能生活60周年を迎え、公私ともに多忙な日々が続く。(津島令子)

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