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ジャルジャル・後藤、“鎖骨骨折”からお笑いコンビ誕生へ。初対面時の福徳は「吉田栄作さんみたいな高校生」

高校のラグビー部で出会った福徳秀介さんとお笑いコンビ“ジャルジャル”を結成し、2003年にデビューした後藤淳平さん。

『BGO上方笑演芸大賞』第1回(2005年)新人賞をはじめ、数々の賞を受賞し、『爆笑レッドシアター』(フジテレビ系)、『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)、『アメトーーク!』(テレビ朝日系)など人気テレビ番組に多数出演。

2010年にはジャルジャル主演映画『ヒーローショー』(井筒和幸監督)が話題に。俳優としても活躍の場を広げ、三谷幸喜監督作『記憶にございません!』(2019年)にも出演。8月14日(金)には初の単独主演映画『ロックンロール・ストリップ』の公開が控えている後藤淳平さんにインタビュー。

◆高校生活で一番大きな出来事は相方、福徳秀介さんとの出会い

大阪で生まれ育った後藤さんは、小さいときは内気でおとなしい、人見知りの子どもだったという。

「早生まれというのもあって、周りの子たちよりもちっちゃかったし、運動もできなかったので、積極的にクラスの中心になるようなタイプではなかったですね」

-スポーツをやるようになったのは?-

「小4のときにクラスで仲がよかった友だちが何人か卓球部に入ったので、一緒に入ったという感じだったんですけど、そこでも一番下手で(笑)。

でも、みんなそんな感じで卓球部に入っているので、途中でやめていったんですけど、僕だけやめずに続けて、結局中3まで続けました」

-かなりいい成績を残されたそうですね-

「そうですね。やっぱり長いこと続けたぶん上手(うま)くなったというのもあると思うんですけど、卓球は当時、没頭しました。

中学で大阪府の吹田市の選抜に入って、団体では吹田市の1位になったりして。でも、大阪府のレベルになると全然勝てないという感じでした。

子どものときは『卓球選手になりたい』って言ってましたけど、やっぱり上には上があるという壁、なんぼ練習しても超えられへんのちゃうかみたいな強い相手に会ったときに現実を知るというか…」

-はじめての挫折ですか-

「挫折というか、これはちょっと厳しいなと。そんな落ち込んだわけじゃないですけど、これはすごい世界やなと思ったのは覚えていますね」

-それはいつ頃のことですか?-

「中3ぐらいやったと思います。小4から中3まで7年、卓球を続けてきていたので、高校でもやろうかなとは思っていたんですけど、高校の卓球部があまり強豪校じゃなかったんですよね。

それで、卓球を続けるのか、思い切って違うスポーツをするのかということで、フラットな目線で部活紹介を見たときにラグビー部がちょうどよさそうやったんで、ちょっとラグビーをやってみようかなって思い切って」

-球技ではありますけど、全然違いますね-

「そうですね(笑)。テレビでスポーツを見るのが結構好きで、そのなかでもラグビーは、ルールがあまりわからないながらもおもしろいなぁと思って見ていたので。

それでラグビー部自体もバリバリ強豪じゃなくて、そんなにごっつい人ばかりじゃなかったんですよ。普通のからだの選手とかも多かったから、ここやったらできるんちゃうかなと思って」

-実際に入ってみてどうでした?-

「楽しかったです。まずそこで福徳に出会ったというのが、1番大きな出来事ですけど、ラグビーは見ておもろい、それで、やったらさらにおもろいんです。

練習はめちゃくちゃしんどいんですけど、そのぶん結束力というか、終わってからもずっと関係は続きますし。

それにラグビーをやっていたというのは珍しいから、全然知らない人同士でもラグビー経験者やったら、すぐそれで仲よくなれたりとか、そういうよさはありますね」

-福徳さんとはじめて会ったときはどんな感じでした?-

「福徳は元サッカー部で、1年生の頃からこんがり日に焼けていましたね(笑)。1年生は全身真っ白の練習着を着せられるんですよ。それで胸のところに名前を書かなきゃだめなんです。

福徳ははじめて会ったとき、胸のところの名前を指でなぞりながら、『俺、福徳、よろしく!』って言って握手を求めてきて(笑)。『なんか吉田栄作さんみたいな高校生やな』って思いました。それがはじめての印象ですね」

※後藤淳平(ジャルジャル)プロフィル
1984年3月20日生まれ。大阪府吹田市出身。高校時代、ラグビー部で出会った福徳秀介さんとお笑いコンビ“ジャルジャル”を結成し、2003年にデビュー。『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)では4度、『キングオブコント』(TBS系)では3度決勝に進出。『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)、『アメトーーク!』(テレビ朝日系)など人気テレビ番組に多数出演。2018年には、ショートコント動画を毎日公開するWeb企画『JARU JARU TOWER』をスタート、2019年大晦日には8時間半のライブを行うなど、新たなチャレンジを続けている。

◆仲良くなったきっかけは鎖骨骨折

高校時代、ラグビー部の練習でともに汗を流してきた後藤さんと福徳さんだが、親しくなったきっかけは、夏合宿のある出来事だったという。

「練習中に福徳が鎖骨を折ったんですけど、そのときに顧問の先生に言われて僕が病院に付き添って行ったんです。

そこで診察を待っている間にふたりでしゃべったりして、仲よくなったというのはありますね」

-鎖骨骨折だとかなり痛かったと思いますが-

「でも、そのときには診察前やから、鎖骨が折れているということがわからなかったんですよ。えらい痛がってるなあとは思いましたけど。

それで、『喉が渇いた、水をもらってきてほしい』って言われたから、病院のなかを結構ウロウロして、水道のところを見たんですけどコップがないんです。

人見知りやから、看護師さんとかに『水をください』って言えなくて、適当にウロウロしてから戻って『ごめん、なかったわ』って福徳に言って。

福徳はそののちに脱水症状になるんですけど(笑)。僕は福徳がそんなにのどが渇いているって知らなくて。

練習中にケガしてそのまま病院に行ったから、福徳は何も飲んでなかったんですよね。僕はガブガブ水を飲んでいたので、そこまで喉渇いてたんやって気づかなくて(笑)。

診察受けて脱水症状になっているからちゃんと水分を摂ってくださいって言われて、それでレントゲンを撮ったら鎖骨も折れているという、踏んだり蹴ったりの状態でしたね」

-それで点滴や治療して合宿所に戻るまでずっとおふたりで?-

「そうです。はじめてふたりで長くしゃべったのは、それかもしれないですね。1年生の部員が多かったので、あまりふたりでじっくりしゃべるということは、それまでなかったので」

-それをきっかけにおふたりで過ごすことも多くなったのですか-

「多くなりましたね。福徳とは笑いのツボが一緒だったんですよね。クラスは一度も一緒になったことがないんですけど、お互いクラスに友だちがいるタイプではなかったので、休み時間には会って、勝手にクラスメイトにあだ名をつけたりとかしていました。

ほんとにシンプルなあだ名なんですけど、『顔の長いやつ』とか、『デコ前に出ているやつ』とか(笑)。特徴をとらえてあだ名をつける、そういう感性が合いました。それでふたりでゲラゲラ笑ったりとか。とにかく気が合いました。

休み時間は保健室に行ってふたりで遊んで、チャイムが鳴ったらそれぞれの教室に帰る、それで休み時間になったらまた保健室に集まってという毎日でした」

-そのときにはまだおふたりでお笑いコンビを組むということは考えてなかったのですか?-

「その頃は全然考えてなかったです。ちょうど携帯電話が普及しはじめていて、学校に持ってきてはダメだったんですけど、みんなこっそり持って来ていて、授業中にメールを送り合って笑かしあうみたいなことをしていました。

それで、休み時間に『さっきのおもろかったなあ』みたいな話をしながら、それが派生していって台本というか、漫才みたいな台本を渡して、それを読み合うみたいなことになって。それからネタをやるということをだんだん意識しだしたという感じです」

-お友だちの前で披露されたりすることは?-

「いやできなかったですね。そういうタイプじゃなかったので、めっちゃ練習はしたんですけど、誰にも見せないという感じで。

保健室ではただただ遊んでいただけで、漫才の練習は部活が終わった後で、グラウンドの端っこでしていたんですけど、同じ部活の同級生が、『何やってるの?』とか、『見せてや』とか、一回も言ってこなかったというのがほんまに不思議ですね。ノータッチというか(笑)。

それで、高2の終わりぐらいに『お笑い芸人になれたら何かおもろそうやなあ』っていう話になって、吉本のNSC(1982年に吉本興業が新人タレントを育成する目的で創立した養成所)に行こうかってなりました」

◆大学に行くことを条件にNSCへ

後藤さんと福徳さんは大学へは進まずにNSCに行くつもりだったが、附属高校で大学に入れるため、双方のご両親の強い勧めもあって大学に行きながらNSCに通うことになったという。

「NSCの話はふたりの間でなんとなく出ていたんですけど、福徳が『よし、行こうか』って言ってきて、『よっしゃ、行こう』ということになったんです。

それで、集団面接みたいなのがあるんですけど、その直前くらいに福徳が、『やっぱ、やめるわ』って言い出して。こっちはもうスイッチが入っているから、『いや、大丈夫や』って逆に誘い直して面接に行きました」

-それで受かって-

「だいたい受かるんですけど(笑)。それで大学に行きながらNSCに1年間通ったんですけど、NSCの授業を最優先にしていたので、大学1年のときには単位を落としまくって大変でした(笑)。

1年生のときになんぼ単位を取れるか、稼ぎどきなのに、それを落としまくったので、そのシワ寄せが最後まで来ましたね、僕は。

ギリギリ4年間で、卒業しましたけど、ホンマにギリギリでした。4年生の後期はマックス履修のマックス全取りせな卒業できへんという、ほんまの崖っぷちの状況で、なんとか卒業したという感じでした」

-ちゃんと4年間で卒業されたのですね-

「4年生の最後はもうほんまにがむしゃらでした。留年したら、そのぶんの学費は自腹という約束を親としていたので、4年で卒業するために本当に色んな手を使いました(笑)。

テストが全然できへんかったんで、その授業は別の大学から来ている先生だったから、その大学まで先生に会いに行って、『この単位を落としたら留年になるので、もう1回テストを受けさせてもらえませんか』って何回かお願いしに行って、その大学の地べたでテストを受けさせてもらって。

2回同じ問題をやらせてもらったので、2回目やったら100点取らなダメなんですけど、65点しか取れなくてギリギリ可(笑)。それで卒業しました」

-先生は後藤さんの熱意に負けたのでしょうね-

「そうだと思います。父親に相談したら、『先生も人間やから、昔やったら酒の一升瓶でも持って行って、単位くださいって言ったらもらえたもんや。あきらめたらあかん。とりあえず行ってみなさい』って言われて、それで行ったんですよ。行って良かったです、本当に」

◆過酷な新人時代、自暴自棄になったことも…

NSCを卒業してからは、若手が出る劇場に出演するため、月に1度行われるオーディションにチャレンジする日々だったという。オーディションに受かってもすぐに出演できるわけではなく、受かった者同士、20数組で決勝戦が行われる。そして上位2組が劇場のレギュラーメンバーと入れ替え制だったという。

「入れ替え制で負けたらもう1回、最初からスタートなんです。僕らはその入れ替え制に行けたのも1回だけで、一発目は受かるけど、決勝で残れないというのが、何年も続いていましたね」

-ものすごく過酷ですね-

「いやあ、本当に一生この生活なんちゃうかって思うぐらい、先が見えなかったです」

-そうやってしのぎをけずってきた方たちが出てきているのですね-

「競争率で言ったら多分えげつないと思いますね。当時僕らの年は、NSC生だけで700人いたんですけど、それが毎年どんどん増えていくので、オーディションのメンバーもどんどん増えていくなかで大変でしたね、勝ち残るというのは」

-もうやめようという話をされたこともあるのですか?-

「やめちゃおうかというより、自分にプレッシャーをかけるという意味でも、『今年中にこの入れ替え制に行かれへんかったら、ちょっと考えないかんなあ』と言ったことはあります。

ふたりで相談しながら、もうひとり増やしてトリオにするかとか、いろんなことを考えましたよ、その間は。本当に絶望なんですよ、落ちたら。

1か月間、何もなくなるので、本当に自暴自棄になるというか。コンビニの前でヤンキーがたむろしていたら、普段そんなことせんのに、わざと近寄って、絡まれたらええわぐらいの気持ちになって、わざと近寄ったりとか(笑)。普段は避けて通るようなところにも行ったり…」

-そういう精神状態になるんですね-

「なりますね。オーディションはネタを全部見てもらえるわけじゃないんですよね。持ち時間は2分なんですけど、のど自慢形式なので、出てきて30秒ぐらいで音を鳴らされて落とされることもあるんです。

全部ネタをやらせてもらえる人は本当に数組で、そこから受かるのも数組でみたいな、そんな状況だったので。なかなか大変でしたね。多分、一番大変だったと思います。

結局僕らは勝ち残れてないんですけど、大学4年生ぐらいのときに劇場のシステムが変わって、決勝に残ったことがある芸人が全員、社員さんの前でネタを見せて、そのネタを見た上で劇場のメンバーを再編するということになったんです。

ネタはめっちゃおもろいけど全然受からんという人もいて、そこを救済するみたいなニュアンスも多分あったと思うんです。

まさに僕らはそこで、拾っていただいたという感じ。ネタ見せで劇場メンバーにバーンって入れてもらったんですよ。それがきっかけですね」

-自信はありました?-

「ありました。『ヨッシャー!これやったらいける』ってなりましたね。受かったときには『やっとこの生活から抜けられる。やっと劇場に定期的に出られるメンバーになれた』って本当にうれしかったです」

劇場のレギュラーメンバーになった“ジャルジャル”は若手芸人を発掘するテレビ番組などにも出演するようになり、活躍の場を広げていく。次回はジャルジャル主演映画『ヒーローショー』の撮影裏話、2019年大晦日に行った8時間半ライブなども紹介。(津島令子)

スタイリスト:中村陽子
ヘアメイク:伊荻ユミ
衣装提供:CAVE (TEL 06-6543-0320)

(C)木下半太・小学館/タッチアップエンターテインメント

映画『ロックンロール・ストリップ』
2020年8月14日(金)よりテアトル新宿ほか全国順次公開
配給:有限会社ベストブレーン
監督・脚本:木下半太
出演:後藤淳平(ジャルジャル) 徳永えり 智順 三戸なつめ 坂口涼太郎 品川祐 ほか
大阪のストリップ劇場を舞台に、映画監督を夢見る劇団座長(後藤淳平)が売れない劇団員とともに、奇跡のパフォーマンスを繰り広げる痛快エンターテインメント。

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