加納竜、『愛と誠』で印象に残るワンシーン。本番で「本当に殴っちゃったんですよね」
1975年にアイドル歌手としてデビューし、映画『愛と誠・完結編』(1976年)の主人公・太賀誠役でイケメン俳優として注目を集めた加納竜さん。
男性化粧品のCMやドラマ『刑事犬カール』(TBS系)、『鉄道公安官』(テレビ朝日系)、『西部警察』(テレビ朝日系)、ミュージカル『レ・ミゼラブル』など、映画、テレビ、舞台、CMに多数出演。俳優活動のかたわら、大阪芸術大学短期大学部メディア・芸術学科の教授として後進の育成にも尽力。2015年には32歳年下の奥様と再婚。3歳と生後8か月の子どものパパでもある加納竜さんにインタビュー。
◆デビューのきっかけは「家族そろって歌合戦」
広島県で生まれ育ち、「広島東洋カープ」のファンだという加納さんは、もともとはアナウンサー志望。巨人戦で勝利する「広島東洋カープ」のことを伝えるのが夢だったという。
「小さい頃は、親にもほとんどしゃべらずに欲しい物を指でさすような子どもだったので、しゃべれないんじゃないかと思われるほどしゃべらない子どもだったんです」
-それはシャイ(内気)だったということですか?-
「シャイなんでしょうかね。子どもの頃の記憶はあまりないんだけど、ただ、食べたいものがあると、手でさしていたことだけは覚えているんですよ。
手でそれをさして、そのあと口に手を持ってくる。全部ジェスチャーでやっていたくらいしゃべらない子が、なんで人前に出るんだって(笑)。全然目立たないおとなしい子でしたからね」
-芸能界に入るきっかけは?-
「高3のときに『家族そろって歌合戦』(TBS系)が広島に来るということで、妹と叔父と出て、たまたま準優勝だったんですけど、そこでスカウトされて。
本当は『スター誕生』(日本テレビ系)に出たかったので、その予行演習のつもりだったんです。『スター誕生』にいきなり出て、またしゃべらなかったらまずいということで出たんですけど、そこでスカウトされてしまったので、『スター誕生』には出ませんでした」
-スカウトされてからはどのように?-
「国立市(東京)にスクールメイツの寮があったんですけど、夏に呼ばれてレッスンしろと。当時、新橋にスクールメイツの本拠地みたいなところがあったんですよね。
だから、夏休みの1か月間、国立から新橋まで毎日通ってレッスンを受けたんですけど、寮に1か月いたら10キロぐらい痩せましたね(笑)」
-レッスンが厳しくてですか?-
「いやあ、タレントの卵みたいなのがウジャウジャいっぱいいるじゃないですか(笑)。みんな日本各地から来ているわけですよ。
あいざき進也君とか太田裕美ちゃんもいて、ナベプロ(渡辺プロダクション)の渡辺晋さんとか、渡辺美佐さんの前で歌うんですけど、『俺はやっぱり歌手はダメだなあ』って(笑)。
ちょうど『キャンディーズ』がこれからデビューするというときだったんですけど、まだその頃はあまり訳がわかっていなかったですね」
1974年、高校卒業後、上京した加納さんは、翌年『エロスの海』で歌手デビューするが、当時は、西城秀樹さん、野口五郎さん、郷ひろみさんという『新御三家』が大人気で、歌ではそこまではいけないと思っていたという。
「ナベプロレッスンのすぐ後、ちあきなおみさんがやっていた事務所に変わることになるんですけど、そこからまたいろんな教育を受けて、育っていくというかね(笑)。
そのときにたまたまドラマのプロデューサーにお会いして、ドラマの仕事が増えていったんです」
-歌のほうは?-
「レコードがあまりヒットしませんでしたからね。そのときにレコードがヒットしていれば、今頃まだ歌手をやっていたかもしれないですけど(笑)」
※加納竜プロフィル
1956年3月26日生まれ。広島県出身。1975年、『エロスの海』で歌手デビュー。1976年、映画『愛と誠・完結編』の太賀誠役でブレーク。団時朗さん、草刈正雄さんに次ぐ三代目キャラクターとしてMG5(資生堂の男性化粧品)のCMに出演。ドラマ『華麗なる刑事』(フジテレビ系)、『鉄道公安官』(テレビ朝日系)、『西部警察』(テレビ朝日系)、映画『日本のいちばん長い夏』(2010年)、ミュージカル『レ・ミゼラブル』、舞台『おもろい女』などドラマ、映画、舞台に多数出演。大阪芸術大学短期大学部メディア・芸術学科の教授、ミュージカルスクール「スタジオカリブ」の校長・講師としても活動。大阪芸術大学短期大学部のHPではオープンキャンパスにおいて無料体験授業を開催している。
◆映画『愛と誠・完結編』で太賀誠が降臨!
1976年、加納さんは映画『愛と誠・完結編』で太賀誠役に抜てきされ、一躍イケメン俳優として注目を集める存在に。主演の早乙女愛さんとのデュエット曲である主題歌『愛と誠』もヒットする。
-加納さんと言えば、やはり太賀誠役が浮かびます。歌手でデビューされたことはそのあとで知りました-
「逆パターンでね。それで歌を歌っていたことを知ってもらったというのはありますよね」
-ご自身のなかでは歌手と俳優、どういう風に捉えてらしたのですか?-
「当時は結構忙しかったんですよ。歌番組も多かったし、ドラマもいっぱいあったんですよ。だから、常に台本を3冊か4冊は平気で抱えていましたので、何か考える間はなかったと思いますね。
自分がこれからどういう役者になっていこうとか考える前に、忙しくなっちゃったという感じでした。
『どういう役者を目指しているのですか?』って、当時よく聞かれましたけど、『誰でしょう?誰ですかね?』みたいなノリでしたからね(笑)」
-映画『愛と誠・完結編』のオファーがきたときはいかがでした?-
「『愛と誠』だけは、振り返ってみると、自分がこの世界でやっていく上で一番キーポイントになった作品だと思うんですよ。
自分でギアをトップに入れて、一番頑張れる作品だったんです。はじめてギアをトップに入れたなっていうね。
それまでは何も目立っているものはないし、平均的に生きてきて…という感じ。うちのおやじも公務員だし、特別な家系でもない。いたって普通なんですよ(笑)。
普通の人間がはじめてワーッと前のめりになって、はじめて目の色が変わったのは、多分そこだったと思いますね」
-『愛と誠』は、映画とテレビですでに作られていて、人気作品でしたがプレッシャーは?-
「いや、太賀誠は俺しかいないと思っていましたから。ここまで思いこめた作品はなかなかないと思うんですよ。『俺しかいないな』ってね。
最初は西城秀樹さん、次に南条弘二さんがやられていましたけど、『俺しかいない』って。何か妙な“のりうつり”があったんですよ(笑)。だから、不思議なんですけど、スイッチが入ったんでしょうね」
-学生服を着て眉間(みけん)に傷をつけて太賀誠の扮装になったご自分の姿はいかがでした?-
「太賀誠になったなという感じでした。衣装合わせのときにはもうマンガも全部読んでいて、カバンの持ち方や歩き方のイメージはありましたからね。
眉間の傷の入れ方が思っていたのとはちょっと違うなというのはあったんですけど、なかなかメイクさんに文句を言えなくてね(笑)」
◆殴り合いのシーンは本気だった?
『愛と誠』(原作:梶原一騎)は太賀誠と財閥の令嬢・早乙女愛の純愛を描いた作品。太賀誠は不良少年という設定でケンカのシーンも多い。
-かなりハードなケンカのシーンもあったので撮影は大変だったのでは?-
「結構大変でしたけど、太賀誠が僕に降臨していましたから、不死身なんですよ(笑)。
誠がのりうつっていましたから。あのときにはまだカラダも軽いし、少々のことではケガだと思わないというのもあったし」
-印象に残っているシーンは?-
「柴俊夫さんと山を転がり落ちて殴り合うシーンがあるんですけど、本当に殴っちゃったんですよね。バチーンって入っちゃった(笑)」
-本番で?-
「そう。ふたりでゴロゴロゴロゴロ転がり落ちて来て、起き上がったところで殴り合うというシーンで一発勝負みたいなものだったんだけど、一発目がきれいに入っちゃったから起き上がってこないんですよ。
『何があってもカットがかかるまでやって。あとはアップを入れたりするから』って言われていたので、胸ぐらをつかんで起こしてバチンバチンってやっていましたけど、本当にきれいに入りましたからね。その気になっちゃったんでしょうね、僕が」
-カットがかかったときは?-
「すぐに柴さんに『すみません!』って謝りました。柴さんは『オーッ』て言っていましたけど、かなり痛そうだったので、悪いことしちゃったなあって」
-あれは本当にリアルなシーンだったんですね-
「リアルでしたね。でも、そういうのってありますよね。僕は他の作品で女優さんにバチーンってやられて、気を失いかけたことがありますよ。
2時間ドラマでしたけど、結構大柄な女優さんだったんですよ。『本当にバチンてやっていいよ』って言ったら、顎に入っちゃって(笑)。
クラクラクラってきましたけど、これを2回もやられたらたまらないと思って、ちょうど手すりがあったので、何とか1回で終わるようにと必死になって、手すりにつかまってからだを支えて。カットがかかったときには『ウオーッ』て(笑)。そういうことって、よくあるんですよ」
-太賀誠をやるために何か特別訓練をされたことは?-
「特別なことはしていませんでした。あのときは殺陣に梶原一騎さんの弟さんで極真空手の大御所の真樹日佐夫さんがいらっしゃっていて、パイプをくわえながら、『おー、加納、あそこは裏拳でいけ』って言うんですよ。
だから、『わかりました』ってやるんですけど怖くてね(笑)。『誠は裏拳使うかな? 誠は空手をやっていたのか?』って思いながらやっていました」
-真樹さんは迫力がありましたものね-
「迫力ありましたよ。いるだけで怖かったですからね。殺陣師の方はもうひとりいらっしゃったんですけど、真樹さんがいらっしゃるときだけ空手になるんですよ。真樹さんがいらっしゃらないときには空手じゃない殴り合いなんですよね(笑)」
-今回30年ぶりくらいで見直してみたら、ドロドロになって殴り合った後なのに、愛のところに現れた誠は髪もサラサラでお顔もきれいでカッコ良かったですね-
「何も悟られないようにして死んでいけという形でしたからね。あの当時はきれいなのがいいという時代で。血みどろになって死んで行くというのは、もうちょっと後の時代なんですよ。
高校生ぐらいが見る映画とするならば、血とかはそんなになくて、美しいまま死んでいくというのが基本形にあったとは思います」
-『愛と誠』をやられてから注目度もそれまでとは全然違ったと思いますが、「MG5」のCMも話題になりました-
「同じ頃ですね。『MG5』のほうがちょっと早かったかな」
-団時朗さん、草刈正雄さんに続く三代目でしたが、あのCMは美形の人しかできないというイメージでした-
「当時はね。でも、僕は今まで会った芸能人で、あの頃の草刈さんを見て、『この人はすごい』と思いました。『この人には勝てないなあ』って。
『華麗なる刑事』というドラマのレギュラーでずっと一緒だったんですけど、『この人に勝つにはどうしたらいいんだろう?』って、よく草刈さんのマネをしていましたよ。
あの人はあまり口を大きく開かないので、そういうふうにしてしゃべるようにしたりしてね。よくマネをしました(笑)」
-あの頃の草刈さんと加納さん、目の保養になる美形2ショットですね-
「いやあ、ちょっと近寄りすぎましたよね。キャラが合いすぎているというのかな。だから時代とともにだんだんと、田中邦衛さんとか西田敏行さんのような味のある個性派俳優を目指したというのはありますね」
-端正なルックスの方というのは、そういう意味での苦労があるでしょうね-
「汚すのは大好きなんですよ。あまりやられたように見えないから汚すの大好きで、それではじめて、何かやられた感があったりとかね。そのなかから甦(よみがえ)るとか、そういうのが好きですね」
太賀誠役でブレークした後、加納さんのもとにはドラマ、映画のオファーが次々と舞い込むようになり、超多忙な毎日を送ることになっていく。次回は伝説のドラマ『西部警察』の撮影裏話も紹介。(津島令子)