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篠井英介「あり得ない。無理無理」と言われ…9年かけて辿り着いた念願のヒロイン役

1987年、大衆的な歌舞伎の復権を目指す“ネオかぶき”男性のみで上演する劇団「花組芝居」の旗揚げに参加し、看板女方として広くその名を知られるようになった篠井英介さん。

小劇場ブームでさまざまな小劇団が誕生し、注目を集めていたが、1990年、篠井さんは劇団「花組芝居」を退団することに。

大学時代

◆劇団とバイトに明け暮れる日々だったが、退団することに…

1980年代は野田秀樹さん率いる「夢の遊眠社」、鴻上尚史さん率いる「第三舞台」、渡辺えり(当時はえり子)さん率いる「劇団3〇〇(3重丸)」など、「第三世代」と称される小劇場ブーム。第三世代についで篠井さんが所属する「花組芝居」は第四世代。なかでも、俳優は男性のみ、演目は歌舞伎だけにとどまらず、翻訳物、現代物など、多岐にわたる作品を他団体とはまったくことなるカラーを打ち出して上演する「花組芝居」は、異色で目立っていた。

-「花組芝居」の篠井英介さんとして有名でしたね-

「あの頃は小劇場ブームだったので、華やかだったんですよね。小劇場がずいぶん賑わっていて、あちこち盛り上がっていたので。そういう意味では花組もとても盛り上がりました。

やっぱり毛色が変わっていて目立っていたので、楽しかったですね」

-「花組芝居」に在籍されていたのは3年ぐらいですか-

「そうです。『花組芝居』という名前になってからは3年弱だったんですけど、母体となった『加納幸和事務所』ですでに3年ぐらいやっていたので、6年ぐらいメンバーのみんなとやっていましたからね。自分としては、十分やったなという感じだったんです」

-退団されることにした理由は何だったのでしょう?-

「とても注目されて、僕もわりとマスコミに取り上げていただいたんですけど、結局成立していないんですね、生計としては。

劇団とバイト、劇団とバイトという毎日で。若いし、楽しいんですけど、『履歴書とかパスポートの職業欄に俳優とは書けない』と思ったんです。俳優で食べていないから。

『世のなかに出たときに、役者さんとしてやっていけるのかな。できれば女方として、職業として生計を立てられるのかな』って思って。そろそろ挑戦しないといけないと思ったんですね。

劇団は楽しいし、ずっとやっていこうと思えば、バイトをやりながら劇団でやっていけるけど、1回劇団を辞めて世に問うというんですか。

自分が職業俳優として世のなかに求められるのかどうかを試してみないといかんと思ったんですね。そういうところはわりと男らしいというか、一本気なところもあって(笑)。わりとそういうのは決断する方なので」

-劇団を辞めるときはスムーズに?-

「はい。加納(幸和)君に『1度劇団の外に出てみて、やっていけるかどうか試したいんだよね』と伝えました。そうしたら、『じゃぁ、うちでお世話しようかしら』って言ってくれた事務所があったのでお願いすることに」

-それで映像のお仕事もされることになったわけですか?-

「はい。当然、映像では女性の役はありませんから、男性の役なんですけど、映像のお仕事も少しずつ増えてきて、とりあえずアルバイトもやめられました。

それで、『役者のお仕事で何とかやっていけるかな』みたいな感じになって。演劇のお仕事も3本のうち1本は女性の役をいただけるようになったんですね。

あと、その所属事務所のおかげで、自分の女方シリーズみたいなものも舞台化してもらったりもしたので、今振り返ると、『自分のやりたかった女の役を結構やることができて、とても幸せな人生だったなあ』と思います」

2001年『欲望という名の電車』(C)谷古宇正彦

2001年『欲望という名の電車』(C)谷古宇正彦

◆念願の『欲望という名の電車』のブランチ役を演じるまでには…

中学生のときに金沢の劇場で、杉村春子さんの舞台『欲望という名の電車』を見て、女方になりたいと思ったという篠井さんにとって、ブランチは念願の役。「いつかブランチ役を演じたい」とずっと思っていたという。

「テレビで劇場中継もされたので、それをカセットテープに録音して、ずっと聞いていました。今もそのカセットテープを持っています。

セリフの言い回しもすてきでね。よく演劇部の仲間に声色で聞かせたりしていました。名調子で気持ちが良いからマネしたくなるんですよね(笑)」

-その念願の『欲望という名の電車』のブランチ役もされました-

「はい。3回やりました。他にも『サド公爵夫人』や『サロメ』、『天守物語』など、どれも大きなヒロインです。そんな大きなヒロインをやれてきたというのは、とても恵まれた幸せなことだったと思います」

-ブランチ役をやられるまではかなりの紆余曲折があったそうですね-

「大変でした。時代が違っていたんですよね。30年ぐらい前のことですからね。

当時、著作権者に『リアリズムという意味で、男性が女性の役を演じるのはあり得ない。無理無理』って言われて…。でも、最初は『極東の日本のどこかで、期間限定で2週間ぐらいやるのならどうぞ』って、1回許可がおりたんです。

それで、お稽古がはじまっていたんですけど、あるとき、『どうもブランチというヒロインを男がやるらしい』ってことが向こう(アメリカの著作権所有者サイド)にわかって、『じゃあダメだ』って急に言って来たんです。

もうすでにチケットも売っていたんですけど、急に『やめろ!』と言われたので大騒ぎになって。朝日、毎日、読売…新聞3紙に、文化摩擦という意味で記事が載りました。

こちらの文化はそういうものを認める文化だけれども、本国ではダメだと言われたって。

上演許可がおりないという問題が、新聞の社会面に載ったぐらい騒ぎになったんですよ。

でも、もうしょうがない。ここでガタガタして裁判なんかしたとしても、1年先2年先になってしまう。もう目の前に初日はきているし、切符は売っているので。

それで、演出家さんが、『僕が何か別のものを書くから、別の作品をこのメンバーで集まってやりましょう』って言って、別の作品をやったんです」

-お客さんの反応は?-

「『欲望という名の電車』じゃなきゃ見たくないという人は払い戻ししましたけど、『せっかくチケットを買ったから、ほかの作品でもいいですよ。予定通り見に行くわ』っておっしゃってくださる方にはそれを見ていただきましたけど、大変悔しい思いをしました」

-それから実際にブランチをやれるまでにはどのぐらいかかったんですか?-

「9年かかりました。悔しかったし、『欲望という名の電車』をやるのが夢だったので、著作権について交渉してくれる日本のエージェントさんに『どうですかね?』って、 年に1回くらい連絡をして。

そうしたら、あるとき、事務所のデスクさんが、『英介さん、外国で欲望という名の電車じゃないけれど、アメリカで同じテネシー・ウィリアムズの作品の女性の役を男性がやっているという記事を見つけました!ほら、やっていますよ、男の人が。テネシー・ウィリアムズの作品を』って言ってくれて。

それで、その記事をもって、著作権のエージェントのところに行って交渉してもらったら、ある意味前例ができたわけですから大丈夫ということになったんです」

-最初に企画されてから9年もかかったのですね-

「かかりました。その9年の間にだんだん演劇の、そういう『ジェンダー』というものの捉え方とかが変わってきたということですよね」

◆今でも一番やりたい役はブランチ

2001年、篠井さんはついに念願のブランチ役を演じることに。そして、2003年、2007年の合計3回ブランチ役を演じ、2007年に相手役のスタンリーを演じたのは、北村有起哉さん。杉村春子さんがブランチを演じたときにスタンリーを演じていた北村和夫さんの長男だということも話題に。

-はじめてのブランチ役ができることになったときは?-

「うれしかったです。それをやりたくてずっとやっていたようなものだったので、とてもうれしかったです。初日の上演後には演出家と抱き合って泣いていました。演出家の方も同じ9年前の方だったので、やっぱりともに苦労したというところがありましたから」

-篠井さんと演出家の方、そしてテネシー・ウィリアムズの他の作品を男性がやったと記事を見つけてきてくださった事務所の方、皆さんの熱い思いで実現したんですね-

「そうですね。やっぱり演出家と手を携えてよかったという気持ちになれたことは、一番大きいですね」

-実際にブランチを演じてみた感じはいかがでした?-

「やっぱり僕にとってはいい役ですね。やりがいのある役です。変な話、今でも1番やりたいのは『欲望という名の電車』なんですよね、いつも言うんですけど」

-ぜひやっていただきたいです-

「いや、ただもう体力的になかなか厳しいと自分で思っているので、ちょっと難しいですけど(笑)。

あと、今また権利がややこしくなっていて、2年位前にもう1回だけやりたいと思ったんですけど、何かちょっと取りにくくなっているみたいです。年代によって権利者が変わっていくんですよね。

女優さんがやるんだったらすぐ取れるんですよ、空いていれば。この前は大竹しのぶさんがやったんですけど、今、また日本でどこも権利をもっていなければ、女の人がやる分にはお金さえ払えばすぐ取れるんです。でも、男がやるということになると難しい。

-今の時代でもそうなんですか?ぜひやっていただきたいのですが-

「あれをやりこなす体力・気力があるかどうかはちょっと定かではないですけど(笑)。

杉村春子さんは70歳になってもやっていたので、本当はこんな弱音を吐いちゃいけないんですけど、やっぱり、ちゃんとやれなかったら嫌じゃないですか。

途中でアップアップして、電池切れみたいになっちゃったりするのはいやじゃないですか。だから、ちょっと自信がないところも正直言ってあるのと、あと、周りの人を巻き込まなきゃいけないんですね。

それってとってもエネルギーがいる。このヒロインとかこの作品に思いがあるかっていう、その強いエネルギーで何十人もの人様を巻き込んで、それで舞台が実現するんですよ。

だから、僕にエネルギーがあるか無いかはすごく大事なんです。『おまかせします』というノリじゃできない。

プロジェクトがあって、一役者としてピックアップされて自分の役をやるというのとはちょっと違っていて、主役をやるというのには、やはり強い強い吸引力が必要なことはずっとやってきたのでわかっているんです。

その吸引力が今あるかどうかなんですよね。エネルギーが湧くかどうか自分のなかに。

だからそれこそ、ある意味自主公演的な気持ちにならないとできない。

自分のセリフや自分の演技もさることながら、この日のお弁当の数を頭のなかに数えて、どこの業者に何時に来させるかということも考えられるようじゃないとできないんですよね。

『あそこの小道具を作っている子が今日は具合が悪いと言っていたから早く上がってもらわなきゃ』とかって、思うような気持ちももっているぐらいエネルギーが広がっていないと、それはできないことなんです。

自分のことだけ考えていればいいっていうようなことでは、やっぱりできないことは分かっているので、それにはものすごい力がいりますよね」

-2007年の『欲望という名の電車』ではスタンリー役が北村有起哉さんでした-

「そうですね。北村和夫さんの当たり役だったスタンリーを息子さんの有起哉君が挑戦してくださって、とても幸せでした。

舞台のときにお声をかけたら、『いつかやるかと思っていた』って言っていました。お父さんの当たり役ですからね。やっぱり『欲望という名の電車』は良いですよね」

大変なことは重々わかっているが、ぜひ、『欲望という名の電車』をやってほしいと願っている人は多く、私もその一人。次回後編では憎らしい悪役で話題になったドラマ『下町ロケット』(TBS系)、映画『Fukushima 50』などの撮影裏話を紹介。(津島令子)