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「足元に、母が小さくうつぶせになって…」石巻の“震災語り部”が英語を使って伝えたい想い

テニスの現役を退いてから、“応援”することを生きがいにしている松岡修造。

現在は2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックに向けて頑張る人たちを、「松岡修造の2020みんなできる宣言」と題して全国各地を駆け巡って応援している。

今回、修造が訪れたのは宮城県の石巻市南浜地区。東日本大震災の津波と火災により、400名もの人々が犠牲になった地区だ。

そこで修造を待っていたのは、髙橋匡美(きょうみ)さん。震災の教訓や経験を人々に語り継ぐ“震災語り部”として活動している

©テレビ朝日

普段は日本語で語り部として活動する髙橋さんだが、東京オリンピック開催中は、世界からくる人々に向けて、仙台駅や仙台空港などで「英語の語り部ボランティア」も行う予定だ。

髙橋さん:「石巻で『英語で語り部をやる人はいませんか?』と聞かれたときに『ハイ!』と手をあげちゃって」
修造:「ちょっと待ってください!英語できるんですか?」
髙橋さん:「できません!高校を卒業して以来、やっていないんですけど『ハイ!』と手をあげてしまって」

2年半前に始めた英語の勉強。家中の壁に英文を貼りだし、ネイティブの人の録音を聞きながら発音するなど、猛特訓を重ねた。

今回はそんな英語を使った語りを、修造の前で披露してもらった。

◆震災語り部が語る、壮絶な体験

高橋さん:「あなたのふるさとはどこですか?最後にその場所を訪れたのはいつですか? お家を出るときに『いってきます』と言いましたか?『いってらっしゃい』と言われましたか?」

英語で静かに語り始めた高橋さん。スライドショーには、高橋さんの両親の写真が写る。

高橋さん:「これは私の両親です。実家の玄関前で撮影しました。小学校のときに担任の先生に『お母さんって美人だよね』と言われましたが、『だけど匡美はお父さん似だよな』と言われてがっかりしました。

家に帰ってそのことを告げると、母は『父親似の娘は幸せになれるんだよ』と優しく教えてくれました」©テレビ朝日

震災当時、石巻からおよそ30キロ離れた塩釜市にいた髙橋さん。実家にたどり着けたのは震災から3日後のことだった。

高橋さん:「足元に、私の母が小さくうつぶせになって倒れていました。人って死ぬとあんなに小さくなるんですね。お茶目で明るくて美人で自慢の私の大好きな母が、まるでぼろ雑巾のようになってそこに倒れていたのです。

『おかあさん!おかあさん!』でもどんなに抱きついても、どんなに頬ずりしても、どんなにさすっても、母は冷たくて、冷たくて、冷たくて…」

さらに、実家に父の姿はなく、対面できたのは震災から二週間後、遺体安置所だった。

高橋さんはショックのあまり自宅に引きこもり、自ら命を絶つことも考えたという。ようやく心が前に進み始めたのは2014年。知人にすすめられ始めた、語りの活動がきっかけだった。

高橋さん:「あんなに死を望んできたのに今、私はこうして生きています。そして皆さんの前でお話をしています。でも残念なことに、ここにいるみんな、一緒に明日を迎えられるという保証はどこにもないのだということを、この震災で叩きつけられました。

でもだからこそ、明日じゃなく今この一瞬一瞬を、みっともなくてもカッコ悪くてもかまわない、這いつくばっても生きていかなければと自分に言い聞かせています。明日じゃなくて『今』をともに生きていきましょう」

話を聞き終えた修造は、高橋さんへ静かに声をかける。「匡美さんが英語で話されているのを、お母さんはどう感じてらっしゃると思いますか?」

髙橋さんは答える。「きっと、いつかまた母に会えるとしたら、引きこもりになっているときから『よくここまで頑張ったね』と褒めてもらえるんじゃないかと思います」

髙橋匡美さんのできる宣言は「世界に伝えたい!あしたは奇跡!今を生きていきましょう!」。明るく声を上げた彼女に、修造は「生きていこう!」とエールを送った。

©テレビ朝日

※番組情報:『TOKYO応援宣言
毎週日曜あさ『サンデーLIVE!!』(午前5:50~)内で放送、「松岡修造の2020みんなできる宣言」も好評放送中、テレビ朝日系

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