テレ朝POST

次のエンタメを先回りするメディア
menu

古舘伊知郎、子どもの頃は無口で内気だった。喋りのスキル磨くため、毎週やっていたのは…

いま一番聞きたいあの人の言葉を心の奥底から引き出すインタビュー番組『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~』(BS朝日)。

2月15日(土)に放送される同番組には、フリーアナウンサー・古舘伊知郎が登場する。

©BS朝日

古舘は、東京都北区滝野川生まれ。家族は弁論部出身の父とお喋りな母、活発で利発な姉。一方、子どもの頃の古舘は無口のうえ引っ込み思案で、姉の後をついて回る内気な少年だった

しかし毎週土曜日、母とある対決をすることで、喋りのスキルを磨いていたという。今回はその対決についても語る。

プロレス実況でその名を広めた古舘だが、新人アナウンサー時代には、先輩から「お前の声は実況に向いていない」と言われて出鼻をくじかれたこともあった

そんな新人時代に、今回のインタビュアー宮嶋泰子と2人でモスクワ五輪の生放送、ニュース番組を担当。そのときに起きたハプニングで、宮嶋に叱られたという古舘。それ以来、宮嶋には叱られるイメージがついてしまったという。

23歳でプロレスの国際大会の実況を任された古舘は、「自分もテレビに映る!」と大張り切り。

しかし放送後に録画を見ると、自分の顔は半分切れた状態だった…。その理由も明かしつつ、人気アナウンサーに到るまでの紆余曲折を語る。

◆“古舘節”は、すべて先輩のモノマネだった

テレビ朝日を離れ、フリーになって始めたのが「トークライブ」。マイク1本で2時間喋りっぱなし。トークの構成は暗記するのではなく、流れを1枚の絵に落とし込み、イメージを記憶するという。トークのプロである古舘が、話す技術の秘密を伝授する。

スポーツ実況やバラエティーで活躍していた古舘が、初めて挑んだ報道番組が『報道ステーション』だった。

テレビ朝日アナウンサー時代から、報道には苦手意識があったため、キャスターの打診があったとき、最初は事務所を通して断ったという。それがなぜ、キャスターになることを決意し、12年間も続けられたのか。

“古舘節”と言われオンリーワンの喋り手のイメージがある古館。実は、すべて先輩のモノマネだったという。モノマネこそ、夢を実現するために必要なことだと古舘は言う。脳科学における「ミラーニューロン」の働きを、分かりやすく説明してくれた。

現在65歳。母校、立教大学で教壇に立っている。講義のテーマは、言葉、仏教、情報化社会、脳科学。常に新たな道へと歩み続ける古舘の今後の夢も聞く。

※番組情報:『ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~
2020年2月15日(土)午後6:00~午後6:55、BS朝日