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杉本彩、“究極の肉体美”を求めハードトレーニング。『花と蛇』の準備では「吐き気を催すぐらいの…」

©テレビ朝日

15歳のときに京都で着物のモデルとしてデビューし、エキゾチックな美貌と抜群のプロポーションでキャンペーンガールをはじめ、数々のCMや雑誌に出演して注目を集めた杉本彩さん。歌手、女優としても活躍し、ボディコンシャスな衣装で大学の学祭を席巻、「学祭の女王」と称される。

2004年には団鬼六の代表作『花と蛇」の映画の主演をつとめ、大胆なヌードを披露。縛られ吊るされる緊縛シーンが話題になり、ヘアヌード写真集や官能小説も出版。「エロスの伝道師」と称され、映画、テレビ、舞台に多数出演。

芸能界屈指の動物好きとして知られ、自ら立ち上げた公益財団法人動物環境・福祉協会Evaの理事長もつとめ、動物愛護活動にも精力的に取り組んでいる杉本彩さんにインタビュー。

©テレビ朝日

◆15歳で自立するため西陣織の着物モデルに

京都の祇園で生まれ育った杉本さんは、京都でおば様がモデルをしていたこともあり、15歳のときにモデル事務所から誘われてモデルの仕事を始めたという。

「私はその頃自立心が旺盛で、何か仕事がしたいという思いがあったんですけど、何せ15歳ぐらいだとアルバイトなんてできないじゃないですか。それで唯一自分ができるのがモデルだったので、迷わずにやることにしました」

-アパートでひとり住まいをされていたそうですね-

「父が知人にだまされて多額の借金を背負ってしまい、家庭環境が色々複雑だったという背景もあったので、16歳でアパートを借りて一人暮らしを始めていました。

あの時代の京都は西陣自体がまだまだ華やかな景気の良い時代で、毎日『西陣織会館』で1日に何回も着物ショーをやっていたんです。

ですから、毎日仕事があるという状況だったので、それをやらない手はないというか(笑)。

高校も途中で辞めて仕事をするという選択をして通信制の高校にしました」

-大人の世界で周りの環境も随分変わったと思いますが、いかがでした?-

「もともとずっと体育会系で小中学校時代はバレーボールをやっていたので、大人の人のなかに放り込まれても、ちゃんと上下関係などには対応できるというか、極端に年下ということもあって、皆さんに可愛がっていただきました」

-東京に出てらしたのはいくつのときだったのですか?-

「東京のプロダクションに所属したのは17歳のときだったのですが、東京で暮らし始めたのは20歳で、それまでは京都から通っていました。

若いということと、着物も水着も両方できるというので結構重宝していただいていて。それこそ京都にいてもテレビコマーシャルから紙媒体など結構いろんなジャンルの仕事をやらせてもらっていました」

-エキゾチックな美貌と抜群のスタイルでキャンペーンガールとして注目を集めました-

「東京で、まず最初に私が大きなデビューをしたのが、東レの水着のキャンペーンガールだったのですが、その前に一度、ある航空会社のキャンペーンガールにプロダクションが応募していたんですね。

それで最終選考まで残って、『もうほぼ決定だからやってもらわないと困る』って言われたんですけど、私はまだ東京のプロダクションに所属して契約したわけではなかったし、まだ完全に東京に行くという結論を出していないときだったので、その仕事はお断りしたんです。

そもそも本当に東京に行く気はなかったんですよ。東京に行くと芸能界の仕事をやることになるという不安もあったので断って、結局その話は流れたんですね」

-もったいないですよね-

「プロダクションにしてみればすごくショックだったと思いますけど、その後、モデルの仕事だけだったら東京でチャレンジしてみてもいいのかなと思って、正式に契約をして東京のプロダクションに所属したんです。

それで東レの水着のキャンペーンガールのオーディションに合格したのが最初の大きな仕事でした」

※杉本彩プロフィル
1968年7月19日生まれ。京都市出身。15歳で着物のモデルとしてデビュー。東レのキャンペーンガールとして注目を集め、歌手、女優、ダンサーとして活躍。映画『湘南爆走族』(1987年)、映画『花と蛇』(2004年)、『極道の妻たち 情炎』(2005年)、『花吹雪美人スリ三姉妹』(テレビ朝日系)、『ウリナリ芸能人社交ダンス部』(日本テレビ系)など、映画、テレビに多数出演。小説家、実業家という顔も持つ。「公益財団法人動物環境・福祉協会Eva」の理事長として全国規模で動物愛護活動を精力的に行っていることでも知られている。

©テレビ朝日

◆ボディコン衣装の「学祭の女王」から女優業へ華麗に転身

美貌とスタイルの良さでモデルとして注目を集めた杉本さんは、歌手、そして女優として活躍の場を広げていく。グラマラスなボディーが映えるボディコンの衣装を着用し歌うスタイルが人気を博し、学祭に引っ張りだことなり「学祭の女王」の異名を持つことになる。

「もともと歌は得意でもないし、やろうと思ったことも1度もないので本意ではなかったんです。

自活していかなければいけないというのがあったので、プロダクションに所属して、ある一定の収入ができるということは、私にはすごく必要なことでした。

それを維持するためには、自分がやりたいことだけでは成立しないということもわかっていたので、自分の要望も出しながら、プロダクションの要望にもこたえていこうと、そこはちょっと歩み寄りながら、これだったらできるかなというようなお仕事を少しずつやっていったという感じですね」

-「学祭の女王」と称され、あちこちの学園祭から引っ張りだこになりましたね-

「そうですね。自分が意図するところではなかったんですけど、やっているうちにある種面白くなってきた部分もあって(笑)。

もともと表現するとか、人を驚かせるとか、そういうことはとても好きな方だったので、『そうか、こういうやり方もあるんだなあ』とか、『こういう面白さもあるんだな』とか、やり始めると何でもとことんやるので(笑)」

-知人が学生時代に学園祭で杉本さんのステージを見たそうですが、「ボディコンのすごい衣装で抜群のスタイルだった」と言ってました-

「ほんとですか(笑)。最近よくそういう方とお会いするんですよ。たまたま行ったお寿司屋さんのオーナーさんとかね『学祭で見ました』ってすごいよく言われるんですよね」

-音楽活動と同時に女優としても活動を始めるわけですが、それまでお芝居の経験は?-

「学芸会ぐらいしかなかったです(笑)。でも、もともと舞台のお芝居とか映画も好きだったし、昔たまたまテレビで舞台を見て、すごく感動して『舞台女優とかもいいなあ』と思った子供の頃があったので、全く興味がないわけではなかったんですよね」

-実際に女優業を始められたときはいかがでした?-

「もう本当に右も左もわからず、最初が『湘南爆走族』という映画だったんですけど、何も知らない状態でオーディションで選ばれて、特に何か指摘されることもなく、すごい自由にやらせてもらって、『これでいいんですか?』っていう不安しかなかったです。

でも、今振り返ってそのときの作品を見ると、『頑張ってやっていたなあ』というか、すごく新鮮というか。その後、ドラマの仕事を始めたときの方が戸惑いました。

やっぱり映画の撮り方とか雰囲気の方がなじめたというか、連ドラのスタジオに何台もカメラがあってということに慣れるまで、違和感があって難しかったという記憶があります」

©テレビ朝日

◆緊縛映画に究極の“肉体美”を求め、連日アスリート並みのハードトレーニング

24歳のときに大手プロダクションから独立し、個人事務所「オフィス彩」を設立した杉本さん。自ら写真集などさまざまな企画をたて、映画『花と蛇』(東映ビデオ)や映画『JOHNEN 定の愛』など大人のエロスを追求した作品に主演。見事な美しいヌードを披露している。

-ご自身で色々企画もされていますが、構想はいつ頃から?-

「20代の半ばぐらいからです。24歳で独立した頃には、写真集やミュージックビデオなどいろいろやりたいイメージが、具体的に自分のなかにあって作品を作っていました。そのうち映画でもその機会を得ることになっていったんです」]

-『花と蛇』や『JOHNEN 定の愛』など杉本さんじゃないと成立しなかったであろう作品が多いですが-

「それを目指してやっていたんですよね。

独立する前からそう思ってはいましたが、特に独立してからは、やっぱり自分でしっかり勝負していかなければいけないと思っていたので。

自分にしかできないことは何なのかを追求することが、唯一自分という商品の需要につながると思っていました」

-それにしても『花と蛇』では、かろうじて陰部が隠れるフンドシ姿で縛られて吊るされて、痛みもかなりあったのでは?-

「もうアスリートですよね。本当に気力と体力がないとまず最後までできなかった仕事だと思います。

私はもともと痛みにかなり強くて、忍耐力がハンパなくあるんですね。そこのベースがあるので耐えきれたというところもあると思います。

あと、やっぱり撮影がすごいハードだから、メンタル的にもかなりタフじゃないと難しかっただろうなって思います。

やりながらもいろんな葛藤が自分のなかで時にはありましたから、メンタル的なセルフコントロールもすごい必要でしたね」

-全てをさらけ出すわけですから覚悟もかなりあったと思うんですけれども、過酷だったでしょうね-

「考えていた以上に過酷でした(笑)。

相当覚悟してわかって取り組んだつもりだったんですけど、何しろ緊縛の世界がどういうものなのかということは、実際に体験してみないと、それがどれくらい肉体的にハードなことなのかということがわかりませんからね。

もう想像以上でしたよ。想像の何倍も何倍もという感じで、本当に途中で『もう物理的にも無理なんですけど』っていうようなハードな撮影もあったんですけど、そういうときは撮影が止まっちゃって、監督が不機嫌になるし(笑)。

あの方はこれが撮りたいと思えばどうやっても妥協しない難しい方なので、『いやあ、どうしようかな』と思ったこともあります。

本当に耐えられることは全て耐えてやっているんですけど、『この後これに耐えきると後遺症が出ませんか?』っていうぐらいの大変なところがあったので、本当に肉体的にもメンタル的にもきつかったですね」

-見ていて肩が外れたりとかしないのかなとか思いました-

「やり方によってはそうなることもあるでしょうね。あと、皮膚感覚が麻痺(まひ)してくるんですよね。肌がもうどんどん引っ張られる状態にあったりするので」

-撮影にあたって何か準備されたことはあるのですか?-

「自分のからだをカバーするために相当筋力も使うから、撮影の前に加圧トレーニングもがっつりやっていたんですよ。

だから相当筋力自体もあったので、ある程度自分の体を守りながら耐えられたというのがあると思うんですね」

-ダンスなどもやられていて、アスリートみたいなことをされていましたものね-

「そうなんです。映画に挑むということになってから改めて自分の体を鍛え直して、完全にトレーニングでボディーメイクを始めたので、体力が1番あった時代だと思います。

またそんな過酷な状況に追いやられても、『私できない。やめる』というわけにいかないのは、自分が企画の段階から入っていたから(笑)。

やっぱり自分が言い出したからには途中で逃げることができないんですよね」

-『花と蛇』を石井隆監督に決めたのは?-

「私です。私が結局指名したから、監督に文句だって言えないわけですよね(笑)」

-出来上がった作品をご覧になっていかがでした?-

「それは難しい監督だけあって、やっぱりすごい作品をお作りになるなって。本当に結果オーライで、それに対しては大変満足をして、本当に石井監督に撮っていただいてよかったなって思います」

-もともと抜群のプロポーションの人が努力を重ねるとこういう風になるんだという圧倒的な美しい映像でした-

「本当に360度どこから見られても、どこから撮られても耐えられるように鍛えようというプランがあったので、加圧トレーニングも、アスリートじゃないと耐えられないぐらいのハードなトレーニングをしていたんですよ。

本当に吐き気を催すぐらいのトレーニングでした。終わった後、吐き気でしばらくは動けないなんていうのは、多分アスリートぐらいしか経験してないと思うんですよ(笑)」

-それなのにムキムキの筋肉にならず、しなやかでしたね-

「それはやっぱりトレーナーが良かったんだと思います。どういうからだを作りたいのかということをちゃんとリクエストをしていたので。

鍛えた筋肉の上にある程度の脂肪はちょっとのっけないとダメなんですよ。そうじゃないとセクシーじゃないので、そこまで全部自分のイメージがありましたからね(笑)」

-さすがですよね。「美の伝道師」とか「エロスの女王」とか、色々称されていますからね。杉本さんが生まれ育った京都というと封建的というか古風なイメージがありますが?-

「それが皆さんの思っていらっしゃる京都ですよね。すごく保守的なイメージだと思うんですけど、実は逆なんですね。

ある種前衛的なところがあったりして、結構アバンギャルドなんですよ。

新しい文化とか結構挑戦的なことをある一面では寛容に受け入れるというベースがあって。

特に私が生まれ育ったのは祇園町というところで、私のエロスへの感性や寛容さというのは、もともと町自体に備わっているのかなっていう感じはしますね」

-ここまでやるのかっていうことに驚かされました-

「それは何かを表現したいという思いだけではやれなかったことかもしれないです。独立してから悔しい思いもたくさんしました。やっぱりいろんなことに対する自分の思うところがあるんですよね。社会に対する不満とか、芸能界に対する不満とか。

やっぱり納得できないことが周りにいっぱいあって、成熟していない社会や芸能界での“生きづらさ”を感じてましたから。根底から変えたいという思いが強かったですね。そこに一石投じたいとか、何かを改革したいという思いが沸々とマグマのようにあったので(笑)。

だからその熱量が、『花と蛇』に挑戦させたっていうところはあると思います」

『花と蛇』は女性客が劇場に多くつめかけたことでも話題になり、2005年には『花と蛇2 パリ/静子』も製作された。杉本さんはこの作品でも企画から参加し、主演をつとめ、“エロスの伝道師”として広く女性の支持を集めていく。

次回後編では、鼻骨と肋骨(ろっこつ)を骨折しながらも取り組んだダンス、動物愛護活動などについても紹介。(津島令子)

※『動物が教えてくれた 愛のある暮らし』
著者:杉本彩 発行:出版ワークス
公益財団法人動物環境・福祉協会Evaで代表を努め、愛護問題に精力的に取り組む杉本彩が贈る「アニマル愛のエッセイ集」動物たちとの出会いと別れ、日々の接し方、そして著者の動物たちへの想いが詰まった愛が溢れる珠玉のエッセイ。

※『動物たちの悲鳴が聞こえる-続・それでも命を買いますか?-』
1月27日(月)発売
著者:杉本彩 ワニブックスPLUS新書
ペットビジネスの闇に深く切り込んだことで衝撃を与えた前作『それでも命を買いますか?』から4年。Evaの歩みのなかから浮かび上がってきた動物たちをめぐる、いまだ終わらない過酷な状況を訴える。