東京五輪の「開会式を見たい」前代未聞の行動に出た男…55年前に起きた“ある出来事”
松岡修造が、オリンピックにまつわる人物のもとを訪れ、子どもたちを明るい未来へと導く『キミもできる!エスコート宣言』。
今回、新しくなった国立競技場の近くで修造が話を聞いたのは、福島県に住む堀川直人さん(76歳)。
1964年の東京オリンピックの開会式で起きた“ある出来事”によって、人生を変えられた人物だ。
◆「どうしても開会式を見たい」
1964年当時、日本体育大学の3年生だった堀川さんは、陸上競技の手伝いをするスタッフとしてオリンピックに携わっていた。
すべてのきっかけは開会式の前日の10月9日、競技場内の倉庫で作業していたときのこと。仲間のひとりが、倉庫の窓から競技場の様子が見えることに気づいたのだ。
「ここに隠れていれば開会式が見える」
仲間が口にしたこの言葉で一同は大盛り上がり。堀川さんたちは翌日まで倉庫にとどまり、開会式を見ることを決意した。
堀川さん曰く、倉庫の中は「ネズミだらけ」「電気もつけられない」「トイレにも行けない」状態。
さらに雨が降り、夜中になると凍えるほどの寒さだったそう。それでも、堀川さんたちは開会式を一目見るために、じっと我慢を続けた。
そして日付がいよいよ開会式当日になったとき、仲間の1人が腹痛になりトイレに行くことに。しかし、2時間たっても帰って来ない。
その時、「ドアがガチャガチャなんて音がしたの。もう万事休す」(堀川さん)。
ドアが開くと、そこにはトイレに行った仲間と警備員が立っていた。
◆まさかの一言で…
その後、堀川さんたちは、何時間にも及ぶ聴取を受けることとなった。しかし、ある人物の登場で状況が一変する。
やってきたのは、IOC(国際オリンピック委員会)の役員。彼は堀川さんたちを連れ出すと、驚きの一言を口にした。
「ここでゆっくり見なさい。君たちはスポーツ大国の日本を背負う若者なのだから」
連れてこられた場所は、国立競技場のスタンド最前列。IOC役員は、堀川さんたちを追い出すどころか、開会式を特等席で見せてくれたのだ。
◆「これがオリンピックだな」
どんなことをしても見たいと思っていた開会式。実際にその目に焼き付けた堀川さんは、当時をこう振り返る。
「みんなで一緒にスポーツを楽しむ、これがオリンピックだな、と思いました。それぞれの選手たちが民族衣装を着ていたりして、自分とか国のアピールをしていて圧倒されましたね」
“戦後の復興”がテーマのひとつだった1964年の東京オリンピック。93の国と地域が一堂に会した光景は、堀川さんの心を打った。そのクライマックスが聖火リレーだ。最終ランナーは、1945年8月6日、原爆が投下された日に広島で生まれた坂井義則さん。聖火台に火をともした瞬間は、まさに平和を象徴する場面だった。
あの開会式から55年の月日が流れた今、堀川さんは当時の経験を次世代に伝えるべく、地元福島でスポーツによる町おこしを行っている。
堀川さんが今を生きる子どもたちに伝えたいこととは――。
「スポーツばかりではなく、求める事によって平和が訪れる。オリンピックがなければ、開会式がなければ、私の人生も大きく変わったと思います」
毎週日曜あさ『サンデーLIVE!!』(午前5:50~)内で放送、「松岡修造の君ならできる!エスコート宣言」は月に一度、好評放送中!テレビ朝日系