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「神様は見ているんだな」後遺症で引退決断、阪神・横田慎太郎が魅せた“奇跡のラストプレー”

今年2019年も、若手からベテランまで、様々な思いを抱えながら、現役生活に幕を閉じたプロ野球選手がいる。

阪神・横田慎太郎(24歳)もその一人だ。

©報道ステーション

11月20日(水)に放送された『報道ステーション』では、今年引退した選手にクローズアップした特集企画をオンエア。本記事では、放送された内容に未公開パートを加えて、横田の野球人生を振り返る。

◆18時間に及ぶ大手術、半年間の闘病生活…

横田は、強豪・鹿児島実業で1年生から4番に抜擢。187センチの大型スラッガーとして、プロのスカウトから注目される中、2013年にドラフト2位で阪神に入団した。

プロ3年目で、その実力は早くも開花し、2016年のオープン戦では、12球団中3位となる打率.393をマーク。同年、“2番センター”で開幕スタメンを勝ち取った。

©報道ステーション

長距離砲ながら広角に打ち分けるセンスを持ち合せており、主力としての活躍が期待されていた最中、翌年2017年の春季キャンプで、体の“異変”を感じた。

「打球が見えにくくて、目のところに黒いラインが入った感じがしたので、最初はなんか目が疲れているのかなと思いました」(横田)

しかし、医師に告げられたのは、予想もしなかった病名だった。

「すぐに“脳腫瘍”と言われて。1回野球は忘れて、大阪に帰ってくださいと言われたのが、始まりでした」(横田)

3月下旬の18時間に及ぶ大手術を経て、闘病生活は半年間続いた。抗がん剤や放射線治療で、体重は最大11キロも落ちたという。

「手術が終わって目は開いているのですが、ご飯がきても自分の食べるご飯やお箸が見えないと。ラップで小さくおにぎりを作って、口まで持って行って食べるという生活でした」(横田の母)

7月下旬に退院し、9月にリハビリを開始。柔らかいボールを使ってのトレーニングから始めて、徐々にペースを上げていった。

©報道ステーション

同年のオフに育成契約となっても、実戦復帰へ向けて、諦めずに練習を続けていたが、手術の後遺症が横田を襲った。

「一番はやっぱり目でしたね。来る球も全然分からなくて、フライも目が震えて二重に見えながら震えた感じでくるので、すごく怖かったです」(横田)

そして今年2019年、横田は引退を決断した。

◆「神様は見ているんだなと、今日思いました」

9月26日、阪神対ソフトバンクの2軍戦が現役最後の日となった。8回表、全力でセンターのポジションへ。

横田にとっては、およそ3年ぶりの公式戦だった。

「やっぱり1軍で出してもらったのもセンターでしたし、もう1回ここで試合に出たいという思いで練習してきました」(横田)

2アウト、ランナー2塁。打球は、センター・横田のもとへ。

©報道ステーション

目が完全に見える状態ではない中、感覚で投げ込んだボールは、綺麗な放物線を描き、見事タッチアウト。

©報道ステーション

©報道ステーション

“奇跡のバックホーム”に、ファン、チームメイトからの歓声が鳴りやむことはなかった。

「最後、まさかこんな素晴らしいことが起きるとは夢にも思っていませんでした。本当に神様は見ているんだなと、今日思いました。

今まで僕に携わってくれたたくさんの方々、本当に、本当に、今までありがとうございました」(横田)

©報道ステーション

神様は見ている――ラストプレーは、頑張り抜いた者だけに与えられる、“神様”からの最高のギフトだったに違いない。

※番組情報:『報道ステーション』