テレ朝POST

次のエンタメを先回りするメディア
menu

再起をかけて…どん底の設楽啓太を救った、弟・悠太の存在。「あいつの復活を一番信じている」

明日12月1日(日)に開催される「福岡国際マラソン」。

この大会に再起をかけて挑む一人のランナーがいる。設楽啓太(日立物流)だ。

©テレビ朝日

啓太は、前日本記録保持者である悠太の双子の兄。

大学駅伝ではともに切磋琢磨し、“最強の双子”と呼ばれた設楽兄弟だったが、いつしか2人の間で明暗が分かれ、弟・悠太の活躍が脚光を浴びるようになった。

「非常につらかったですね。誰にも相談できなくて」(啓太)

悠太の活躍の裏で、絶望の淵に立たされていた啓太。しかし、そんな啓太を救ったのは、他でもない弟・悠太だった――。

©テレビ朝日

11月24日(日)に放送された『GET SPORTS』では、“最強双子”設楽兄弟の光と影に迫った。

◆弟の一歩先を走っていた大学時代

両親の勧めで、小学6年生から陸上を始めた設楽兄弟。

中学・高校では、揃って全国大会に出場。その後、2人は共に駅伝の強豪・東洋大学へ入ると、大学駅伝界を席巻することになった。

弟・悠太は箱根駅伝で3年連続区間賞を獲得。兄・啓太も、1年の時から3年連続エースが集う2区を任され、4年の時には山の5区で区間賞に。

東洋大学を2度、総合優勝に導き、“最強の双子”と言わしめた。

©テレビ朝日

かでも、とりわけ結果を残していたのが兄・啓太だった。

東洋大学陸上競技部の歴代ランキングでは、長距離の指標とされる1万メートルで、柏原竜二や東京五輪代表・服部勇馬らを抑え歴代1位の記録を残している。

エース区間を任され、キャプテンを務めていたのも啓太。大学駅伝を特集する陸上雑誌でも、表紙を飾っていたのは常に兄だった。

兄弟として脚光を浴びながらも、啓太はいつも弟の一歩先を走っていた。

そんな中、大学4年時の2013年、2020年東京五輪の開催が決定。

「7年後の東京オリンピックは自分にとっても、たぶん一番いい時期だと思います。マラソンでオリンピックに出場するのが最終目標なので、出られるように頑張っていきたいです」(啓太)

そう、兄が言えば、弟・悠太も「それまでにしっかり身体を作って、オリンピックに出たい気持ちはあります」と話すなど、2人で日の丸をつけ、オリンピックのマラソンを走ることが夢となった。

◆「陸上から離れたい」

卒業後、2人は初めて別々のチームへ。実業団に入っても、2人で高みを目指す日々が続くと思われていた。

しかし、ここから啓太の歯車が狂い始める。原因不明の貧血やケガに悩まされ、結果の出ない日々が続いたのだ。

2016年リオ五輪代表を決める「日本選手権」では、まさかの周回遅れで、結果は最下位。その一方で、弟の悠太は表彰台に上がり、オリンピック代表となった。

いつしか兄弟の立場は逆転し、大きく明暗が分かれていた。

「僕の中では結果が出るというのが当たり前だと思っていたので、社会人になってから結果が出なかったときに誰にも相談できなくて。走れなくなったというよりは、一度陸上から離れたいと思うようになって、自分の体が、言うことを聞かなくなりました」(啓太)

描いていた未来とはかけ離れた現状に、体だけでなく、いつしか心までも崩れていった。

◆啓太を救った弟・悠太の存在

改善策は見出だせず、悩んだ末に下したのは、「退社」という決断。その後は、母校の東洋大学で、現役大学生に混じって練習する日々を送っていた。

そんな啓太に再び戦う気持ちを思い出させてくれたのが、他でもない、弟・悠太だった。

©テレビ朝日

「大学時代は、身近にいたことで特に気にしていなかったのですが、悠太は今何してるんだろう、どういう練習してるんだろうって気になることが多くなって…。人前で弱音は吐かないんですけど、悠太の前だからこそ素直に話せる自分がいました」(啓太)

学生時代には気づかなかった弟の存在の大きさ。食事に行く機会も増え、本音をさらけ出せる弟との時間は、唯一の救いだった。

弟・悠太も、そんな兄を誰よりも信じて応援していた。

「本当に見守ることしかできなかったというか何も出来ない自分がいて…。見ているだけで苦しいというか、途中見たくなかったんですけど、やっぱり双子ですし、あいつがいたおかげで、僕もここまで来られたと思っていたので。

僕はまだあいつを超えたと思ってないし、あいつの復活を一番信じています」(悠太)

退社から6か月後、新たな所属先も決まり、2年前、2017年の「福岡国際マラソン」で心機一転、マラソンデビューを果たした。

初マラソンは79位。それでもこれが啓太の新たなスタートだった。

その2か月後には、さらに啓太を奮い立たせる出来事があった。弟・悠太が東京マラソンで、16年ぶりに日本記録を更新したのだ。

「悔しいというのは全く無くて、嬉しいの一言でした。ものすごく僕の中でモチベーションも上がりました。兄貴として負けていられない部分はあるのですが、昔みたいに競り合いたい気持ちがものすごくあります」(啓太)

弟の活躍は誇らしくもあり、自らの道しるべになっていた。

◆兄弟で日の丸をつけるまでは辞めない

弟の快挙から1週間後、啓太は2度目のマラソンを迎えていた。レース前には、弟からこんなメッセージが。

「前に合わせる必要ないからな。自分のリズムでな!」

©テレビ朝日

「普段だったら、試合前とかは、そういう真面目な話はしないですけど。僕にとっては最高のアドバイスだと思っていたので、ものすごく力をもらえましたね」(啓太)

毎日連絡を取り合っても、陸上の話はほとんどしないという2人。言葉数が少ない、不器用な弟からの最高のアドバイスだった。

2回目のマラソンも、結果は26位と伴わなかったが、それでも着実に一歩ずつ、前を向き始めていた。

そして、今年2019年3月の「東京マラソン」。

自身3度目のマラソンを迎えていた兄は、気温4度と冷え込む厳しい条件の中、積極的な走りを見せる。自己ベストを4分近く縮め、結果は14位と、少しずつ手応えを掴み始めていた。

そんな兄の走りは、応援に駆け付けた弟のモチベーションにもなっていた。

「一番の刺激になってくれるというか、僕のモチベーションになってくれています」(悠太)

それから、およそ半年後の9月。弟・悠太が出場する、東京五輪のマラソン代表を決める舞台「MGC」。啓太は、応援に駆けつけた。

「悠太ファイト!」(啓太)

悠太はスタート直後から37km過ぎまで、独走状態に持ち込んだものの、結果は14位。東京オリンピック内定には届かなかった。

それでも兄は、弟の背中に感じ取るものがあった。

「頑張ったな、と声をかけたいです。あれだけのレースができたのは、さすがとしか言いようが無いので。ああいうレースをしてくれたことで、僕自身もモチベーション上がりました」(啓太)

一発勝負の大舞台でも自分の走りを貫いた弟。

それはまさに、「前に合わせる必要ないからな。自分のリズムでな」という自分に送られたメッセージを体現するような走りだった。

兄・啓太は、4度目のマラソンとして明日、マラソンデビューを果たした「福岡国際マラソン」に挑む。

「初マラソンの時に、僕にとって苦い思いしかなくて。もう一度、その福岡でリベンジを果たしたいなと思っています。諦めない気持ちで、自分のレースができればいいのかなとは思っていますね」(啓太)

自分のリズムで、一歩ずつ。そしてその先には、さらなる未来を見据えている。

©テレビ朝日

「兄弟で日の丸をつけることが最大の目標なので、日の丸を付けるまで、陸上は辞めないです」(啓太)

兄弟で日の丸を背負うことを夢見て――兄・啓太の戦いは、弟とともに続いていく。

※番組情報:『福岡国際マラソン』
12月1日(日)12時00分より、テレビ朝日系列地上波にて放送