侍ジャパン・山口俊を支える“2人の親父”の存在。「何があっても、ずっと味方でいてくれた」
世界ランキング上位12の国と地域が世界一の座を争う大会「世界野球プレミア12」。
2009年WBC以来、10年ぶりの世界一奪還を目指して戦う侍ジャパンは、今夜11月17日(日)、いよいよ韓国との決勝戦を迎える。
その大一番で先発マウンドを託されたのは、侍ジャパンで背番号「18」を背負う巨人・山口俊。
日本の開幕戦となったオープニングラウンドのベネズエラ戦、スーパーラウンドのオーストラリア戦の2試合に先発し、計8回10奪三振3失点。日本の勝利に大きく貢献してきた。
山口は2005年、高校生ドラフト1位で横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。2016年に自身初となる2ケタ11勝をマークし、そのオフには国内FA権を行使し巨人に移籍。
昨季、史上79人目となるノーヒットノーランを達成すると、今季プロ14年目にして初タイトルを獲得。初タイトルがなんと最多勝利、最高勝率、最多奪三振の“投手3冠”という快挙となった。
そんな山口だが、実は侍ジャパンへの選出は初めてのこと。念願の初タイトルを手にし、プロ14年目にして侍ジャパン初選出を叶えた山口を支えてきたのは、“2人の親父”だった。
◆元幕の内力士だった亡き父との日課
山口の父、谷嵐久さんは現役時代、身長181㎝で体重120㎏を超える恵まれた体格を武器に、幕の内で通算46勝を挙げた名力士だった。
山口も、小学時代から周りに比べ一回り身体が大きく、現在は身長187㎝と“父の体格”を受け継いでいる。
幼少期から野球に打ち込んだ山口だが、元力士の父の教えで毎日“ある日課”に励んでいた。それは、相撲の稽古では必ず行う“四股踏み”だ。
野球と相撲。一見、かけ離れた競技に思えるが、山口が励んだ日課は今でも山口の投球において大きな効果をもたらしていると言う。
「単純に股関節の柔軟性というところと、ウエイトでは鍛えられない、柔らかい中での強さというのは、役に立っているかなと。
自分自身の独特なフォームも、柔軟性や関節の可動域のなかでできているのかなと思います」(山口)
山口のプロ入り5年目、2010年に他界した父・久さんとの日課が、球界を代表する右腕の唯一無二とも言える柔軟性を生み出していたのだ。
◆山口を支える “もう1人の親父”
山口が“もう1人の親父”と慕う人物がいる。それが、現在、巨人のスカウトを務める武田康さんだ。
山口とスカウトの武田さんの間には、通常では考えられない選手とスカウトの関係性があった。
「武田さんがいなければ、プロに入ってなかったかもしれないですし。その中で、プロに入ってなんとかプレーできているというのは、本当に武田さんのおかげでもありますし、感謝しかないですね」(山口)
武田康さんは元々、捕手として1982年に大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に入団。現役を引退後、横浜DeNAベイスターズのスカウトへと転身した。
スカウトとして日々アマチュア選手に目を光らせる中で、山口の秀でた投球に目が留まったのは、山口が高校1年時に出場した夏の甲子園だったという。
「夏の甲子園ですかね、リリーフで出た時に、こいつすごいなと思って。そこからずっと追いかけさせてもらいました」(武田さん)
武田さんは当時、山口の柔軟性とストレートの球質を高く評価していた。
それから約2年後、武田さんにとってスカウト人生初となる担当エリアのドラフト1位選手として、山口が入団したのだ。
しかし、山口が入団して1年足らずで、武田さんが巨人に移籍。山口は担当スカウトが所属球団にいなくなったことで、当時は寂しさを覚えたのだというが、武田さんは常に山口を気にかけ、温かいエールを送り続けた。
「いいときも悪いときも、何があっても、ずっと味方でいてくれました。親と言ったら変ですけど、僕はそういう方だと思っています。
何かあると連絡をくれて励ましてくれて。入団して14年経つのですが、未だにそうしていただけるのは、本当にありがたいことだなと思っています」(山口)
武田さんは、山口本人だけに限らず、亡くなった父・久さん、母・啓子さん両親の存在も常に気にかけ、事あることに挨拶に訪れたという。
そして、運命のごとく、山口は武田さんのいる巨人へ移籍することになり、初タイトルの“投手3冠”を獲得してみせたのだ。
亡き父・久さん、スカウトの武田さん、“2人の親父”が、今夜の山口の投球を後押ししてくれるに違いない。
※番組情報:「世界野球プレミア12」
11月 17日(日)午後6時34分~「日本 vs 韓国」テレビ朝日系列で生中継
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