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「帝京高校で野球がしたい」侍ジャパン・山崎康晃、深い関係がある“憧れの選手”の存在。

世界ランキング上位12の国と地域が世界一の座を争う大会「世界野球プレミア12」。

2009年WBC以来、10年ぶりの世界一奪還を目指して戦う侍ジャパンは、ここまでスーパーラウンドで2勝1敗と、決勝進出に向けて負けが許されない状況となっている。

今日13日(水)の相手・メキシコは負けなしの5連勝中で現在1位。

決勝進出をかけた大一番を盛り上げるべく立ち上がったのが、日本ハム、DeNA、西武でプレーした希代のムードメーカー・森本稀哲氏だ。

©テレビ朝日

森本氏は1999年ドラフト4位でプロ入りすると、17年間の現役生活で3度のリーグ優勝に貢献。ゴールデングラブ賞3回、ベストナイン1回を獲得している。

そんな森本氏は、現役時代に稲葉篤紀監督をはじめとする首脳陣はもちろん、多くの代表選手たちと同じチームでプレーしていた「稲葉ジャパンを最も知る男」。

自称・侍ジャパン“非公認”サポーターとして、大会期間中、「ピカッと解説!世界野球プレミア12」のインタビュー連載で語ってもらうが、今回は第2回目として、稲葉監督誕生裏話と、山崎康晃との深い関係について明かす。

◆稲葉監督就任の裏話

侍ジャパンのコーチ陣を見てみると金子誠コーチ、建山義紀コーチ、清水雅治コーチと、日本ハムに所縁のある人たちが多くいる。

森本氏は、そこに「稲葉さんの本気を感じた」という。

「いくら自分が信頼できるコーチ陣とはいえ、日本ハム寄りになることに批判はあったと思います。それでもこのコーチ陣にしたのを見て、稲葉さんは表向きではなく、本当に勝ちに行っているんだなと感じました」(森本氏)

森本氏と稲葉監督との関係が始まったのは、日本ハム時代。

当時、チームの外野陣は新庄剛志氏、稲葉氏、森本氏と鉄壁の布陣を誇っていた。3人が外野に集まり、話す姿はファンにとっては恒例のシーンで、この頃から森本氏は稲葉氏にかわいがってもらっていた。

そんな親交があった中で、2017年、稲葉氏が侍ジャパンの指揮を執ることが決まった際には、驚くと同時に心配になったという。

「(監督を)受けちゃダメでしょ!って。日本は、野球がすごく注目されていて、国民の感覚も勝って当たり前で。もし負けたらどん底を味わうなと思い、心配になりました」(森本氏)

しかし一方で、森本の中には“確かな想い”もあった。

「(稲葉監督は)勝ち運がある人。絶対に日本を世界一にする人だと。これまで以上に侍ジャパンを応援したいという気持ちが強くなりました」(森本氏)

森本が、監督就任の決定後に会った際には、稲葉監督は「すごく迷ったけど、こんなことなかなかない。チャンスであればやらせてもらいたいと思った」と話していたという。

◆侍ジャパン守護神の原点に“森本氏の存在”

侍ジャパンの守護神を務める山崎康晃(DeNA)。

©テレビ朝日

森本氏と山崎の年齢差は12歳だが、実は幼少期から続く深い関係がある。

2人は、ともに荒川区出身。実家が近所で家族ぐるみの付き合いがあり、さらには所属していた少年野球チームも同じだった。

そんな山崎は中学時代、進学する高校を選ぶ際に、「帝京高校で野球がしたい」と、森本氏へ相談をしていたという。

実は、山崎は、帝京高校のユニホームを着て甲子園でプレーする森本氏の姿に憧れを抱いていたのだ。

しかし、森本氏は「山崎の少年野球チームは、勝利よりも楽しむことがメインのチーム。帝京高校で厳しい練習をしたら、野球が嫌いになってしまうかもしれない」と勧めなかった。

それでも山崎は帝京高校野球部への入部を懇願したため、「3年間、野球部を辞めずに続けるなら」という条件で、最終的には森本氏の母が、監督のもとへ連れて行き、山崎を紹介したという。

結果的に、山﨑は帝京高校へ進学し、卒業後は亜細亜大学へ。そして2015年、ドラフト1位でDeNAに入団した。

「もともとは憧れの存在だったかもしれませんが、今や日本を代表する投手。あっという間に逆転されましたね(笑)」(森本氏)

球界のエース投手にまで登りつめ、侍ジャパンの守護神を務める山崎の原点には、“憧れだった”森本氏の存在があった。

侍ジャパン“非公認”サポーター森本氏によるインタビュー連載「ピカッと解説!世界野球プレミア12」。次回は、“侍ジャパン世界一へのキーマン”に迫る。

 

※番組情報:「世界野球プレミア12」
11月 13日(水)午後6時45分~「日本 vs メキシコ」テレビ朝日系列で生中継

テレビ朝日野球(@tvasahibaseball)では、試合中に #侍野球 で応援ツイートを大募集!放送中に紹介されるかもしれません!