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あべ静江、番長を成敗!「いま思うとゾッとする」学生時代を振り返る

小学生時代から子役としてドラマに出演、名古屋の短期大学在学中にエフエム愛知の人気DJとなり、『コーヒーショップで』で歌手デビューしたあべ静江さん。正統派の美人歌手として人気を集め、ヒット曲を連発。映画やドラマにも出演し、“恋多き女”としても知られているあべ静江さんにインタビュー。

◆あべ静江、気付かなかった?「いじめられっ子」

お父さんはラジオ三重の専属ミュージシャン、お母さんは東海ラジオの専属シンガーという音楽一家に育ったあべさん。両親と一緒に少女歌手としてステージに立つこともあったという。小学校に入った頃、東海テレビが誕生。両親の知人のスタッフも多く、あべさんは子役としてドラマに出演するようになる。

-歌手デビューの前に子役もされていたのですね-
「そうなんです。だから考えてみると、ずっと仕事をしているみたいな感じ。東海テレビができてすぐのドラマからなので、まだ生ドラマの時代だったのね。それが小学校の高学年になった時にやっとビデオ(収録)になったので、自分でも見ることができるようになって。中学1年のときに音羽信子さんと殿山泰司さんの娘役をやったんだけど、自分で見てみたら、大人っぽかったので、子役はちょっと無理だなって思ったの。それで子役を引退したんです」

-未練とか、もっとやりたいという思いはなかったんですか-
「生ドラマほどではなかったけど、大変だったんですよ。ビデオが出て来て少しは楽になったんだけど、最低1週間は学校を休まなくてはいけないというのがあって…。そうすると、小学生のときはまだ良いけど、中学生になると友だち関係も難しいじゃないですか。それもあるからあまり未練とかもなくて、わりとサバサバした感じで」

-テレビにも出て目立っていたと思いますが、お友だちの反応はどうでした?-
「あったのかもしれないですけど、幸いちょっと鈍感なところがあって、あまり気づいてなかったというか…。初めての同世代の子どもたちとの集団生活というのが幼稚園だったんですけど、そのときうちの母も歌を歌っていたから、夜遅くまで仕事をしていて、ちょうど私が帰ってくる頃に母が起き出して…みたいなときがあったのね。

私はそれを後で母から聞いたんですけどね。母が私に言おうかどうか、すごく迷ったことがあったんですって。ある日、私が『すごい楽しかったよ』ってうれしそうに帰って来たから、『どんな遊びしたん?』って聞いたんですって。そうしたら『〇〇ちゃんと〇〇ちゃんがおってな。そこに行ってみんなに「入れて」って言ったら、みんなが「イヤ」って言ってな。また「入れて」って言うと、また「イヤ」って言う遊びをして来た』って、すごくうれしそうに話したんですって」

-それはイジメじゃないですか-
「それで母はすごく悩んだみたいだけど、自分では遊びだと思っているから楽しかったのよ。(笑)そういう遊びなんだと解釈しているから。そういう感覚がちょっと続いているかもしれない。ラッキーなことに今も」

-すねたりいじけたりしないで、それも遊びだと思って楽しんじゃう-
「時代もあるでしょうね。今だったら完全にイジメだと思っちゃうかもしれないけど、そういう発想が結びつく時代でもなかったから。こういう遊びなんだってね(笑)ただ、うちの母は複雑な思いだったみたい。それを本当に一緒に喜んであげて良いのか、結局私に言わなかったから、ずっと続いちゃったのよね…鈍感さが。

あのときに教えてくれていたら、もうちょっと敏感になっていたかもしれないわね。(笑)鈍感は鈍感だと思うのね、私は。それは最近自分でも気がつきました。周りから『さっき言われたことに気がついた?』ってよく言われて。イヤミを言われていたみたいだけど、全然すんなり取っちゃっているので、わからないの(笑)」

※あべ静江プロフィル
1951年11月28日生まれ。三重県松阪市出身。小学生時代から名古屋のテレビ局でドラマに出演。中学生で子役を引退。東海学園女子短期大学在学中に「エフエム愛知」、同時に「東海ラジオ」のサテライトスタジオでの生番組を担当。人気DJとなり、『コーヒーショップで』で歌手デビュー。「第15回日本レコード大賞新人賞」を受賞。『みずいろの手紙』も大ヒットを記録し、1974年に「第25回NHK紅白歌合戦」に初出場。映画『トラック野郎・爆走一番星』(1975年)のヒロイン役をはじめ、映画、ドラマ、ラジオに多数出演。一般社団法人 日本歌手協会理事、みえの国観光大使、松阪市ブランド大使、骨髄バンク命(ひかり)応援団、チームAEDなど数多くの活動を続けている。

◆あべ静江に殴られた男たちがテレビで集合?

-子役を引退した後の中学校時代はどうでした?-
「何かすごい正義感に燃えていて、怖いもの知らずだったのよね。私たちの頃って結構激しくて、番長グループのように暴れる子たちが必ずいたんだけど、全然怖いと思わなかったのね、私は。だからどんどん戦いに行っちゃって、今思うとゾッとするんだけど(笑)」

-手を上げられたりしたことはなかったんですか-
「私が上げたんです。(笑)許せないって思っちゃって。(笑)うちの家庭はスパルタ教育だったの。だから悪いことをしたら、それだけ痛みを感じるものなんだというのは、どこかにあったの。だから『ねえ、それ以上私にいやなことを言ったら、多分私は殴るよ』って言っておいて、それでもやって来たら、『ああ、やっぱり言ったか。しょうがないなあ』みたいな感じで振りかぶってバシーンって」

-そしたら相手は?-
「ビックリしている。まさかやると思ってないからすごくビックリしていて。でもそのときには私もものすごく頭に来ているから、意気揚々と『これから暴力はしません』みたいな誓約書を書かせて帰って来て。でも、夜になると『あっ、仲間もいる』とか色々なことを考え出すわけ。そうすると、ちょっと怖くなって、翌日早く行って捕まえて、『ごめんね、きのうは。痛かった?』って謝って。(笑)

でも、そのときに殴った相手が言ってくれたのは、ストレートに返ってきてすごくビックリしたんですけど、『いや、うれしかった』って言ったの。痛かったと思うのよ、すごく。だけど、止められなかったって言うのよ。思春期の男の子の暴れる心が、どうしても行動になっちゃって、自分で止めることができなかったって。先生も親も自分のことを諦めちゃっているみたいな感じだったんだけど、私は真っ向から向かって行ったから、それがうれしかったって言ってくれて。でも、それでもやっぱり時々暴れるのよ。そうすると、なぜか私がみんなに呼ばれて行くから、玄関で暴れていると聞けば飛んで行って、『何やってるの!』って言って、成敗していたの(笑)」

-どんなに暴れていても、あべさんに言われるとすぐにやめたんですか?-
「やめます。でも変な暴れ方をしていたりしてね。近所の農家からすごく大きな物干し竿を引きずって来て、玄関で振り回していたりとか…。もう信じられないと思って、『どこから持って来たの?』って言って、それを私がズルズル戻しに行ったりしてね」

-でも、そこであべさんが注意していなかったら、本当に悪い道に入っていたかもしれないですね-
「昔『小川宏ショー』という番組があったでしょう?あれである朝、『あべ静江に殴られた男たち』というタイトルで放送されたことがあったの。(笑)『小川宏ショー』でそういうのは珍しいでしょう?『えっ?とうとう来たか。やつらかな?』って思ったんだけど、まさしくやつらだったのよ。(笑)朝の番組だったから前日から来てくれていて、ホテルに泊まっていたんだけど、やっぱり恥ずかしいから逃げようとしたらしいの。でもみんなで止めあって、いてくれたらしいの。それで『悪かったね。こんな不名誉なタイトルで出てくれて本当に申し訳なかったね』って言ったのね。男としてちょっと恥ずかしいでしょう?だからそう言ったら『いやいや、俺たち少しは役にたったかな?』って言ってくれて…。それを聞いたら涙が出そうになっちゃった…」

-良い人たちですね-
「そう。良い人たちだったの。みんなまっとうな道というのも何ですけど、調理人とか色々な仕事についていてね。もう今は会ってないけど、みんな私の良い思い出になっていますね」

※『小川宏ショー』元NHKのアナウンサー、小川宏が司会をつとめ、1965年~1982年までフジテレビ系列で生放送された朝のワイドショー。

◆あべ静江、定時制高校での貴重な経験

-中学校卒業後は「社会勉強になる」というおじい様の勧めで定時制高校に-
「そうなんです。すごく勉強になりました。私は商業科だったんだけど、これはもしかすると定時制でいくつかの科に行けば、大学卒業以上の知識が入るかもしれないと思ったほど勉強になりました。ただ、一番最初の方針が、とりあえず通って、次の年は全日制の方に移りなさいということだったのね。祖父の言うことには『ハイ!』という感じだったので」

-ご両親は何かおっしゃいませんでした?-
「何も言わなかったですね。ちょうど成長期でからだのバランスが崩れる時期だったのか、あまり体調もベストではなく、欠席もしたりという感じだったので。バランスを整えるという意味では、ものすごく良かったのと、それよりも何よりも、働いてないから、申し訳ない気持ちで友だちと接しているから、それが大きかったかもしれない」

-皆さんは昼間働いているわけですものね-
「年齢もさまざまだったし、窓辺で女子高生たちが話しているから私も仲間に入ろうとして行くと、お給料の話だったりするの。だから、全然そこには入っていけないしついていけないんだけど、一番勉強になったかもしれない。それと、私の中では高校は、普通に行くものだと何にも考えずに思っていたんだけど、彼女や彼らは、選択したわけでしょう?4年間、夜学校に通って、高校卒業という賞状をもらうまで頑張るって。それはすごい決心で、気持ちの持ち方が違うから、すごく真剣なんです」

-覚悟があって来ているわけですものね-
「やっぱりすごいなって。20歳過ぎてから、高校生になっている人たちもいるわけだし、一番印象に残っているのは学校の先生たち。授業中に寝ている子たちがいても注意しないの。そこに来るまでの行動をもう認めているのね。足を運んでこの空間にたどり着いたことに、もう拍手なのかなと思って見てたのね。全日制の学校だったら、チョークの1本でも飛んで来そうじゃない?それがなかったの。ある意味、同じ社会人としての感覚で、接しているという。社会人なのに先生と生徒というね」

-本当に色々なことを吸収した濃い時間だったんですね-
「そうですね。翌年に全日制の高校に入るためには色々な規制があって、8ヵ月しかいられなかったんですけど、すごく良かった。濃密な8ヵ月だった。何年いたんだろうって思うくらい濃かったですね」

-すごく有意義な時間だったんですね-
「いまだにつながっていますよ。私はデビューしたときから履歴書に定時制高校入学、退学とか入れているのに、4、5年前に『夕刊三重』に週に2回ずつ、コラムと写真を載せていたのね。それは自分の履歴書みたいなコラムだったから、定時制高校のことも丁寧に書いたんだけど、それを読んでみんなが、涙して喜んだというの。私はそれの意味がわからなくて、『何で今頃?』って思ったんだけど、みんなは、『定時制高校に通っていたことを口に出すと、静江ちゃんに迷惑をかけるかもしれないと思って、私たちはあえて言わなかった』って言うの。それを何年か前に知って、そんなバカなって言ったんだけど、そうやって自分が知らないところでたくさんの気遣いをしてくれていたんだ、すごいなあって思って。昔から自慢気に書いているのにって感じよね。(笑)『自分の中で大事な期間だから、ちゃんとプロフィールにも出しているし、ちゃんと語っているよ』って言ったんだけど、やっとだけれど気づいてくれて、うれしかったな…」

◆高校時代、ケンカのターゲットは学年主任!

-定時制高校に8ヵ月間通った翌年に全日制の高校に通うわけですが、いかがでした?-
「全然違いました。すごく甘く感じちゃって、またこれは頑張らなきゃと思って。だから次のターゲットは先生に絞って、学年主任の先生とすごく仲良くけんかして3年間暮らしました(笑)」

-けんかの理由は?-
「校則を変えてって。要するに売店。制服のカラーや替え襟など、学校で決まったものがあるんだけど、どう考えても世間一般の価格からいくと高いのよ。これはやっぱり競争してないからだなって思ったから先生に『1社だけを入れているというのは、私はおかしいと思う。2社入れて、価格競争させないと、生徒に優しくない』って言ったの。それをまず校長先生に直訴しようかどうしようかと思ったんだけど、ちょうど教頭先生がいらしたから、教頭先生に直訴しに行って、そしたら翌日、ちゃんと学年主任の先生が呼び出して下さって、またそこで力説。ものすごく燃えていたの(笑)」

-学年主任の先生はどうだったんですか-
「後に言われたのは『本当にやりにくい生徒だった。本当に憎たらしかった』って。(笑) 今度国宝になったんです。私が行っていた高田高校の高田本山専修寺が。そこに取材に行っていたら、ちょうどニワトリがいて、そのニワトリが子どもとか、ちょっと弱そうな人を見つけると、すごい攻撃しに行ってるの。首をブンブン振って。それを私と先生とマネジャーの3人で見ていたら、先生が『あべみたいなニワトリだ』って失礼な(笑)」

-あべさんは弱いものではなく強いものに向かって行ったのにね-
「そう。強いものに立ち向かって行ったのに、そう言うのよ。攻撃性を言ったんでしょうね。例えば言葉だとか、理詰めで話すとかね。イヤな感じの生徒だったんだと思う。(笑)私はもともとクセッ毛でものすごい茶色なんですよ。それでいつも注意されていたから、これは不本意だわって思っていたの。母も『うちの子に黒く髪を染めさせれば良いんですか』って学校に乗り込んでくれたから、それを機に、赤毛の証明書と天然パーマの証明書を発行してもらうように言って、それは改善されました。毎回注意されなくてもいいように、証明書を持っていれば良いんだなって思って」

-色々と改革を実行されてすごいですね-
「したいことが色々あったの。(笑)だから生徒会を動かしちゃえば良いんだって思ったのね。それで、私は弁論部だったんだけど、校則を変えたり、色々改革するためには生徒会に弁論部のみんなを送りこんじゃったほうが早いと思って、『弁論部でまとめちゃう?生徒会に全員弁論部で制覇ちゃう?』みたいな感じで面白かった」

-昔から弁がたったんですね-
「どうなんでしょう。でも弁論大会で時間が決められていたんだけど、ヤジにいちいち応えていたらすごい超過しちゃって、最後は係員に両腕を抱えられて強制退場させられたこともありましたね。そのあと後輩が弁論部を辞めたんだけど、つい最近、『あべさん、僕が弁論部を辞めた理由がわかりますか?あんな恥ずかしいことは僕にはできないと思って辞めたんです』って言われたの。私が強制退場させられたとき、付き添いで来ていてそう思ったんですって(笑)その後輩とはいまだに仲良しなんですけどね」

-正義感が強くて弁もたつ…選挙の時に立候補するのではと、うわさされるのもわかりますね-
「改革ね。でも、校則だから改革するの。いわゆる政治の世界というのは、人との取り引きだったりとか、ちょっと大人の人間関係じゃない?良い意味でも悪い意味でも大人のね。それは苦手かもしれない」

-大人の事情が色々ありますしね-
「ありすぎてダメね。もうちょっとこざっぱりしていたほうが、私は得意かもしれない」

正義感が強く、何事にも真正面から立ち向かってきたあべさん。美しい容姿の内に秘めた男前の性格がカッコいい。次回中編では「みずいろの手紙」の驚愕(きょうがく)裏話、恋多き女のうわさの真相を紹介。(津島令子)

※「みずいろの手紙」夕刊三重新聞社発行
2,000円+税

※「第23回 紅白歌合戦(一般社団法人 日本歌手協会)」
4月19日(木)練馬文化センター(午前の部・11時開演/午後の部・18時開演)
お問い合わせ 一般社団法人 日本歌手協会 TEL.03(6280)¥4230

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