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「まだいるのか」と言われても続ける。ソフトボールのレジェンド、山田恵里34歳の10年

4月8日(日)に放送されたテレビ朝日のスポーツ情報番組『Get Sports』では、2008年北京五輪の金メダルメンバーにして、2020年東京五輪代表を目指しているソフトボール・山田恵里選手について特集した。

 

◆“打”のレジェンドが送った10年間

©Get Sports

山田恵里、彼女には彼女だけのルールが存在する。

グラウンドで、実にさまざまな準備運動をこなす。うっかりひとつでも忘れたら、必ずその日のうちに取り返す。

打席に入る前には必ず、長い時間をかけてヘルメットをかぶる。バットを「いつもありがとうございます」と心で念じながら丁寧に磨く。……すべては、「自分のプレイだけを追求したい」という信念のため。

©Get Sports

ソフトボール日本代表・山田恵里、34歳。

永きに渡り代表の主軸を務め、巧みなバットコントロールでヒットを量産。その佇まいは“職人”と呼ぶに相応しい。

なかでも多くの人の記憶に刻まれるのが、10年前の北京五輪決勝戦。金メダルをグッと引き寄せたホームランだ。

2020年東京五輪で競技として復活採用となったソフトボール。その大舞台でもベテランとして、いやレジェンドとして活躍が期待される。

そんな山田は、北京からの10年間をどう過ごしてきたのか。“職人”の知られざる日々を追った。

 

◆山田恵里が“職人”と呼ばれる理由

©Get Sports

中学までは男子の野球部に所属していたという山田恵里。高校から本格的にソフトボールをはじめ、インターハイ連覇などの実績を引っ提げ、卒業後の2002年に日本リーグの日立に入団。

これまでに、なんと安打・二塁打・三塁打・ホームラン・打点すべての分野でリーグ歴代最多記録を樹立(※三塁打は最多タイ)。デビュー2年目の2003年からは日本代表入りも果たし、2004年アテネ・2008年北京と2度のオリンピックでは全試合に出場を果たし、通算打率は3割7分9厘。両大会でのメダル獲得に大きく貢献と、正に“打のレジェンド”である。

そんなレジェンドの秘密を垣間見るべく、横浜にある日立の練習グラウンドを訪れると…。そこでは、朝からひとり、こだわりのトレーニングを行う山田がいた。

走り方や態勢を変え、いくつもの動きを確認しながらのウォームアップ。まるで筋肉ひとつひとつに語りかけているようである。

©Get Sports

バットを持っての練習も、ただ振るだけではなく多様な器具を使って行う。例えば、四角柱の形をしたバットを使い、腰を落とし地面に置かれたマットに向かって薪を割るようにまっすぐ叩きつける。身体の軸をしっかり保つことが狙いだ。

ティーバッティングでも、実にさまざまなコースを打ち分けていく。「天才」と称されることの多い彼女だが、実態は準備と努力の人なのだ。

 

◆北京五輪金メダル獲得のウラにあった“職人”の準備と努力

そんな山田を語るにあたり、欠かせないエピソードがある。

2008年北京五輪決勝、アメリカ戦。相手の先発投手は、左のエース、キャサリン・オスターマン。188cmの長身から繰り出すキレのあるボールに、前回2004年のアテネ五輪で日本は完全に封じ込められていた。金メダルのためには、オスターマン攻略こそが必須だったのだ。

そのなかで山田は、北京の前年2007年にオスターマンと対戦した際、その弱点を見出す。それは、オスターマンのクセ。投げる前の利き手=左腕の振り上げ方である。

オスターマンの武器である変化球は主に2つ。落ちる球=ドロップと、浮き上がる球=ライズボール。

ドロップの場合には、左腕が打者から見える頭の上まで上がるが、ライズボールの場合は腕がやや低く、頭の上までは上がってこない

ほんの僅かな差だが、これを見抜くことができれば攻略への大きな糸口となる。

ただ見抜けたとしても、それに瞬時に対応し打ち砕くのは容易なことではない。そこで山田は、対応できる力をつけようと必死に練習に取り組んだ。ときには、オスターマンに条件の近い男子の左投手に投げ込んでもらうこともあった。

そして迎えた北京五輪決勝の第1打席。ここは、見逃し三振に終わる。だが、ベンチへと帰る山田は小さくうなずいていた。相手のクセを再確認するための打席だったのだ。

その後日本が1点を先制し、迎えた4回、山田の第2打席。狙いはライズボールだ。

初球はドロップ。そして2球目、オスターマンの左腕がやや低いのを見た山田は、バットを一閃。ボールはバックスクリーンへと吸い込まれ、鮮やかなホームランとなった。

この2点目が結果として大きく響き、日本が2対1で勝利。悲願の金メダルを獲得した。“職人”ならではの洞察眼と、準備・努力が栄光を引き寄せたのだ。

 

◆“職人”の新たな追求

北京から10年。30歳を越えベテランの域に達した山田は、新たな追求を始めている。そのひとつが、一昨年から取り組んでいる“初動負荷トレーニング”だ。

重い物を持ち上げる筋力トレーニングとは異なり、負荷のかかり方が特殊なマシンを使って行われる。リラックスしながら、からだ本来の持つ動きを強化し、しなやかで力強いパフォーマンスへ繋げるのが目的だ。

このトレーニングを通じて、新たな発見もあったという。今までは上半身と下半身という分け方でバッティングを考えていたものが、身体の各所がひとつひとつ連動し、理想とする“しなり”のあるバッティングへ繋がっていると。

さらに、こうしたトレーニングを受けバッティングフォームの改良にも着手。

これまで投手に対して正面を向き、主に上半身の力で打つスタイルだったのに対し、投手に対してやや斜めに構え、身体の回転をうまく使うスタイルへと転換。

これによって、ボールをより手前まで見ることができ、バッティングの幅が広がったという。身体全体の使い方を見直したことで、さらなる可能性を追求できるようになったのだ。

 

◆盟友・上野由岐子の存在

©Get Sports

10数年に渡り“打”の主役として日本を支えてきた山田恵里だが、ひたすら“一本道”を進んできたというワケではない。

北京後、ソフトボールがオリンピックから除外されていた時期、頂点の先に目標が見出せない日々は、モチベーションの低下に悩み抜いていたという。

それでも現役を続けられたのには、盟友の存在がある

北京五輪の決勝トーナメント3試合全てをひとりで、計413球に渡って投げ抜いた金メダルの原動力、ソフトボールの顔とも言える上野由岐子だ。山田の一つ先輩である彼女もまた、モチベーションの低下や故障と闘いながら現役を続けている。

北京を共に戦った他のメンバーは次々と引退今でも代表に名を連ねるのは、山田と上野の2人だけとなった

「立っている位置は違うけど、上野さんも自分と同じなのかなぁと思います」
「山田とはお互い、背中を見せ合いながらやっているような雰囲気です」

日頃からよく話すという2人ではないが、積み重ねた歳月が支えとなり、目標となる。

2015年の日本リーグ表彰式にて。「どこまで現役を続けるのか?」という司会者の質問に対し、上野は「山田が続けるまでやります」と答え、山田は「上野さんが続けるまでやります」と応じた。

 

◆山田恵里が心に秘めた想い

山田恵里が2020年東京五輪を目指すうえで、もうひとつ大きな心の支えがある。

とある休日。山田の車に同乗させてもらうと…。

向かったのは、母親と兄夫婦が暮らす実家。ここで甥や姪と遊ぶことも楽しみのひとつだが、帰省の理由はそれだけではない。

それは、父への挨拶。父・良彦さんは、かつて競輪選手として活躍。娘が社会人として一本立ちしたのを機に現役を引退し、その後は世界のどんなところにでも飛んで行って娘の試合を見守る人だった。

それでも、本人の前ではソフトボールのことには一切触れなかった。同じアスリートとしての流儀だったのかもしれない。

©Get Sports

そんな父との別れは突然だった。2014年7月24日、父・山田良彦さん、心筋梗塞で急逝。享年60。北京五輪で娘から金メダルをかけてもらっている良彦さんの姿が、遺影として飾られている。

「突然で、当たり前なことが当たり前じゃなくなって」
「だからこそ、頑張る理由が増えたなと思います」

良彦さんの死から、山田は変わった。

「周りの人をもっと大切にしなくてはと思いました。その人に対して、自分の出来ることはしたいなと思うようになりました」

そして山田には、心に秘めた想いがある。

「東京五輪の開会式が7月24日で、父の命日なんです。これは“絶対にオリンピックに出ろよ”という父からのメッセージなのかなと。こんなプレイを観てほしいとは思いませんけど、見ていてほしいです。見せたいです、頑張っている姿を」

 

◆“職人”17年目のシーズン

©Get Sports

2018年4月1日、日本リーグ開幕。

今シーズン、ソフトボールでは大きなルール改正が行われた。ストライクゾーンの変更である。

従来よりゾーンが若干低くなったのに加え、これまでホームベース上をしっかり通過しなければならなかったのが、ホームベースを少しでもかするだけでストライクと認定されることになったのだ。外に逃げる球や浮き上がる球などにも適用されるため、投手有利の改正と言われている。

シーズン前には、審判団を集めて3次元映像を使ったヴァーチャル・リアリティでの講習会も開かれた。実戦で新ストライクゾーンが適用される最初の試合が、このリーグ開幕戦。

山田にとっての17年目は、こうした喧騒の中での幕開けとなった。そのなかでも山田は、いつもと同じように時間をかけ、淡々と準備をこなす。

開幕戦の相手は、愛知県が拠点のデンソー。先発は、北京五輪での戦いに感動してオリンピックを目指すようになったという、20歳のルーキー・原奈々。

山田は、新ストライクゾーンに加え初対決となる新人に対し、2打席凡退。そして、1点ビハインドで迎えた第3打席。2球目、インコースに来た球を見事にレフト前へとはじき返し、今シーズンの初ヒットを放った。

この山田のヒットがキッカケとなり同点に追いつくも、延長に入り相手の猛攻にあう。5点差で迎えた山田の第4打席は、ノーアウト1・2塁のチャンスで巡ってくる。

ここで得点に繋げられれば、まだ逆転の余地はあると考えていた。勝利こそが目指すべき結果…それが“職人”の矜持である。

しかし、敢え無くレフトフライに終わり、チームは敗戦。山田の17年目は、4打数1安打。不満の残る幕開けとなった。

その3日後、日立のグラウンドに山田を訪ね、開幕戦について尋ねてみると…。

「結果は出なかったけど、学べたことのほうが大きかったと思います。気持ちも身体ももっと高めて、最高の状態にならなければ、オリンピックで結果を出すことには繋がらないので。ひとつひとつを無駄にできません」

“職人”は、これからもこうした一喜一憂から己の生き様を見出そうとしている。

©Get Sports

最後にこんな質問をしてみた……“自らの去り際は?”

「自分は必要じゃないって言われるときが来るかもしれませんけど、“お前まだいるのか?”、“そんな姿でやっているのか?”って言われても、どう思われても、最後まで、もがき続けたいって思います」

ソフトボール日本代表・山田恵里。その背中は、挑み続ける尊さを教えてくれる。

※番組情報:『Get Sports
毎週日曜日深夜1時25分より放送中、テレビ朝日系(※一部地域を除く)

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