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水木一郎、長年出演を断っていたバラエティー番組に出た理由

“アニキ”の愛称で親しまれ、今年デビュー50周年を迎える“アニメソングの帝王”水木一郎さん

『マジンガーZ』『仮面ライダー』シリーズ『宇宙海賊キャプテンハーロック』など持ち歌は1200曲を越え、1999年には、前人未到の「24時間 1000曲ライブ」を敢行。「日本で一番多くの曲を歌った単独ライブ」として音楽史に足跡を残す。2015年には小学生の道徳教材に「個性伸長」の題材としてその半生を描いた読み物が掲載。海外での公演も多数。ウィキペディアに90言語で掲載されているという“世界一有名な日本人”水木一郎さんにインタビュー。

(12歳)

◆水木一郎の原点 歌手になりたい!木の上で泣いた5歳の少年

-今年デビュー50周年ですね-
「歌い続けていたら、いつの間にかね。

僕が生まれる前のことですけど、おやじがレコード店を経営していて、洋楽、ジャズとかも扱っていたんですよ。

戦争中は敵国である米英の曲は聞いちゃいけないというのがあって。おふくろが取られちゃ困ると思ってレコードをずっと隠していたらしいんです。戦後になって洋楽が解禁になると、僕もまだ生まれたばかりだったけど、スタンダードジャズを子守歌代わりに聞いて育ちました」

-生まれたときから音楽に囲まれた生活だったんですね-
「そうですね。おふくろがスタンダードジャズが好きで、その影響は大きいですね。

考えてみると、まだまだテレビはないですからね。レコードのほかは、ラジオの外国語放送。日本の外国人米軍キャンプ向けのラジオをずっと聞いたりしていましたね」

-ご自分に歌の才能があると気づいたのは、いつ頃だったんですか?-
「全然(笑)全くないですね。ただ、幼いころから歌うことが好きで、歌手への憧れは強かったですね」

-歌手になりたいということはご両親にも伝えて?-
「5歳のときに言ったんだけど、おやじにバカにされてね(笑)笑われて、悔しくて、庭の百日紅(さるすべり)の木に登って泣いたのを覚えていますよ」

-そのときにはもう絶対に歌手になるという感じだったんですか-
「そうですね。そのときの悔しさがバネになったと思えば、おやじにも感謝しないといけないですね。

庭に銀杏(いちょう)の木があったんだけど、それに登って、風に乗ってくるキャラメル工場の匂いを嗅ぎながら、言葉はわからなくても、毎日でたらめ英語で歌って声だけは出していましたね。

中学になると、ギターを抱えて近くの公園やお寺で発声練習をするようになりました。雨の日も風の日も、毎日欠かすことなく続けていましたね。今はもうできなくなってしまったようですけど、僕らの時代は、トランペッターもダンサーの人も来ていたし、ジャンジャン音を出して発声練習をしても、全然、文句を言われることはなかったんですよ。

家に帰ると、テープレコーダーに歌を吹き込んで自己採点したり、いろいろな歌手の歌を回転数を変えて聞いて、バイブレーションやブレスを徹底的に研究したり。おかけで、お手本にした歌手のモノマネはずいぶんうまくなりました。

本当に僕が一番自信があるのは、世界中のどの歌手よりも発声練習をしたということ。

それと、世界中のどの歌手よりも一番レコーディングをしている歌手だということ、この2つはすごい自信がありますね」

※水木一郎プロフィール
1948年1月7日生まれ。東京都世田谷区出身。10代のときからジャズ喫茶のステージに出演。1968年、『君にささげる僕の歌』で歌謡曲の歌手としてレコードデビュー。堀江美都子さんの担当ディレクターに見いだされ、1971年、アニメ『原始少年リュウ』の主題歌を歌うことになり、アニソン歌手に転向。以来、数々のアニメ・特撮の主題歌を歌い、「アニメソングの帝王」とたたえられる存在に。1976年から1979年までNHK『おかあさんといっしょ』で2代目“うたのおにいさん”もつとめた。国内だけでなく、フランス、中国、韓国、コスタリカ、シンガポール、タイなど海外でも公演を開催し、世界中のファンから“アニキ”の愛称で親しまれている。

(水木一郎24時間1000曲ライブ)

◆水木一郎、24時間1000曲ライブを敢行!

-1999年には「24時間1000曲ライブ」も成功させました-
「そんなの誰も挑戦したことがないですからね。みんな成功するはずがないと思っていたんじゃないですか。僕が倒れていたら仲間の歌手が残りの歌を歌うというシナリオも用意されていましたからね。だけど、成功しちゃったんですよね(笑)」

-最後の曲まで声が嗄れることがなかったということが話題になりました-
「まずは1曲目から手を抜かないでやろうということで1曲目が『マジンガーZ』。

それで、1000曲目が『グレートマジンガー』。そしてアンコールでまた『マジンガーZ』」

-そのときはどうだったんですか-
「会場が河口湖のステラシアターだったんですけど、すり鉢式になっていて、結構声が響くんです。だからそんなに無理しなくても、マイクが拾ってくれるので、レコーディングしたときと同じような感じで、ずっと歌っていけたのと、あと自然も味方してくれましたね。

真夏の8月30日から31日にかけてのライブだったんですけど、夜は震えるほど寒いんですよ。標高800メートルぐらいのところですから。そして、昼はもう炎天下で、みんな真っ赤に日焼けしちゃったりね(笑)でも、富士山もよく見えたし、夜つらいときにきれいな月が出たり、星が見えたり…。

仮面ライダーのコーナーのときには、ステージの上にバッタが飛んで来たりとか。そういう風に自然も応援してくれてましたね」

-それにしても24時間歌い続けたというのはすごいですね-
「そうですね。でも、高校生のときには、昼、夜、夜中にステージという仕事をやってましたから。それでようやく明け方の4時から5時くらいに戻って、10時くらいまで寝て、また歌いに行くという感じだったんですね、学校が休みの日には。そういうのをずっとやっていたので、まず大丈夫だろうって。

それと若い頃に誰よりも発声練習をしたおかげで、僕の声帯はそんな柔いものじゃないという自信みたいなものがあったしね。実際に喉は強くて、1000曲ライブに成功した後に、ある作曲家の先生が僕のことを『歩く声帯だ』と言ったほどです」

-普通はできないですよね。声が出なくなるのでは?-
「そうかもしれませんね。でも、変な話、24時間ライブの時点で1000曲レコーディングしていますけど、1日に何曲もレコーディングするようなハードなスケジュールでも、歌えば歌うほど声が出てきたりするんです。ちょっと疲れてきても、また復活したり、ね。

1000曲ライブでも、12時間以上過ぎたころに、喉が絶好調になって、レコーディングのときよりも思うように声が出たくらいでした。声帯よりも悲鳴をあげていたのは手足でしたね。ギターを弾く指がつったり、リズムをとっていた足がつったり。こんな経験はなかなかないですよね」

-1000曲歌い終わった後はどうでした?-
「平気でしたよ。1000曲終わってもものすごく興奮してますから、そのあとの打ち上げで全員にビールをお酌して回ってましたね。あんまり元気なんで、スタッフも驚いていました」

-打ち上げも最後まで?-
「そうです。スタッフもみんなバテてましたけどね。それで、終わって河口湖のホテルで休んだんですけど、次の朝起きたらもう声が出なくて。関係者にあいさつをしようと思っても、もう声が出なかったですね」

-回復するまでにどのくらいかかったんですか-
「たしか、次の日にはもうテレビで歌う仕事があったんですよね。何でそんな仕事入れるんだって思ったけど、ちょっと休んだら、声が出ちゃったんですよ(笑)」

-おからだはどうだったんですか-
「全然平気だったの。何にも食べなくても平気だったんだけど、耳鼻咽喉科の先生と内科の先生の2名がついて、一応、テレビのドキュメンタリー風に点滴を打つところを撮ったりしましたね。過酷さを表現するために」

-こんなに大変だったんだという?-
「そうそう(笑)そんなことをしなくても元気だったけど、その時間に喉を休ませられるかなと思いましたね。寝ちゃったらダメなんだけど。あと食べちゃうと眠気が襲ってくるので、食べませんでした。食べたかったんだけどね(笑)」

(水木一郎24時間1000曲ライブ)

◆バラエティー番組でシャウト!ももクロに「Z(ゼーット)!」伝授

-近年はバラエティー番組にも出演されていますね-
「今はアニメソングもすごい人気ですが、なかなか認知されなくてね。『どうやったらお茶の間に知ってもらえるだろう』ということで、じゃあ、バラエティーに出よう、みんなが喜ぶならマフラーしよう、ゼット飛ばそうって(笑)『あいつアホや』と思われてもいい。アニメソングを知ってもらうきっかけになるなら、僕はもうアホなこと、どんなことをしても平気だから」

-マフラーもインパクトがありましたね-
「あれはもう偶然ね、僕が『仮面ライダー』を歌っていたイメージからか、ダウンタウンの大みそかの『絶対に笑ってはいけない』という番組で、ガソリンスタンドのお兄ちゃんの役をやったときに、スタッフの方が『こんなの用意してみたんですけど』ってマフラーを持って来たの。それで『面白い。やろう、やろう』って。そしたら、これがハマってウケちゃって」

-声量も瞬発力もあって面白かったです-
「バラエティー番組は長いことずっと断っていたの。『本当に理解して呼んでくれる番組がなかったら行かない』って言ってね。

アニメソングの歌手が出る場というのがそんなになかったというのもありますけど、扱いがあまり良くなかったり、上っ面だけで組まれたりとかすると悲しいでしょ。特にバラエティー番組はオファーが来ても受けなかった時期が結構長かったんですよ。

それが、1000曲ライブの元になった『快進撃TV うたえモン』という番組で、実はみんな子どもの頃アニメが大好きで、アニメソングを聞いて育った人たちが大人になって、純粋な思いで呼んでくれているんだということがわかったんです。それから出ることにしたんですよね」

-みんな子どものときに見てましたものね-
「かつての子どもたちが大きくなって、熱い思いで接してくれる。これはうれしいことですね。きのうもレコーディングをしてきたんですけど、作曲家の方が自分のレコードを用意して待ってるんですよ。だから、『歌い終わったらサインするね』って言って(笑)音楽や番組制作の現場でもそうだけど、大御所の監督さんや大スターさんまでが、子どもに戻っちゃう。かえってこっちが恐縮しちゃったりすることもありますね」

-今、大人になっている人で、知らない人はいないでしょうね-
「いやいや、まだまだですよ。ただ、見たことがない人や名前を知らない人は多いでしょうけど、声はどこかで聞いたことがあるでしょうね。僕は水戸黄門の印籠(いんろう)みたいなものだとずっと思ってたんですよ。歌えばみんなわかる。顔と名前が一致するようになったのは、ここ数年ですよね。それもバラエティー番組のおかげ」

-確かに、バラエティー番組で知った人も多いでしょうね-
「僕はね、バラエティー番組に出て赤いマフラーをしていると、みんなバカにするだろうと思っていたんですよ。でも、そうじゃなくて、赤いマフラーはヒーローの象徴みたいなものなんですね。それに、僕の声は子どもの頃の思い出とともにすりこまれているから、特別な存在なのかもしれないね」

-同じマフラーを他の人がやっていたら、また別かもしれませんけどね-
「何なんでしょうね。“ももクロ”(ももいろクローバーZ)にZを教えたのも、“ももクロ”や“モノノフ”の人たちからも結構感謝されているんだけど。僕が伝授したZがももクロを通じてまた広まるなら、それもまたいいかなって。『ゼーット!』はギャグじゃないですからね。これからも大事にしていきますよ」

トレードマークの赤い皮ジャン姿で現われた水木さん。歌に対する愛、ブレない信念、チャレンジ精神は熱いアニキそのもの。カッコいい。次回中編では、「ザ・ドリフターズ」との関係、「アニメソングの帝王」までの道のりを紹介。(津島令子)

※「スーパーロボット魂 2018 “春の陣”」
4月29日(日)Zepp Tokyo 開場16:00 開演17:00
出演:水木一郎・堀江美都子・影山ヒロノブ・MIQ・遠藤正明・樋浦一帆 他。
特別出演:ささきいさお

※「スーパーロボット魂 2018 “大阪 春の陣”
5月5日(土・祝)なんばHatch 開場16:00 開演17:00
出演:水木一郎・堀江美都子・影山ヒロノブ・MIQ・福山芳樹・遠藤正明・樋浦一帆・鮎川麻弥・真行寺恵里

※「ふたりのアニソン#15 大阪公演
5月4日(金・祝)大阪 心斎橋BIGCAT 開場16:00 開演17:00
出演:水木一郎・堀江美都子

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