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野口英世に憧れて、猪苗代町に移住したガーナ人男性の決意。「日本の文化を理解するまで…」

テニスの現役を退いてから、“応援”することを生きがいにしている松岡修造。

現在は2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックに向けて頑張る人たちを、「松岡修造の2020みんなできる宣言」と題して全国各地を駆け巡って応援している。

©テレビ朝日

今回、修造が訪れたのは福島県の猪苗代町。2020年東京オリンピック・パラリンピックの際、アフリカ・ガーナのホストタウンに決定している町だ。

この町のリゾートホテルで修造を待っていたのは、ガーナ人のフォチュネイト・セイラム・アドゥクポさん。

セイラムさんは、5年前に来日し、現在はホテルマンとして働いている。明るく誠実な人柄で宿泊客にも大人気なうえに、去年、ガーナの大統領がホストタウンの視察で猪苗代町を訪れた時には、その案内役も務めた。

来年は、ガーナ代表選手を、大会に向けてアテンドする予定だという。

◆ガーナから猪苗代町へ。きっかけは“野口英世”

そもそもセイラムさんは、なぜ日本に、そして猪苗代にやってきたのか。「猪苗代とガーナは特別な関係があります」と話すセイラムさんは、ホテルから移動すること10分、修造をある場所へと案内した。

案内された場所は、野口英世記念館。実は、猪苗代町は野口英世の出生地なのだ。

©テレビ朝日

幼少期に囲炉裏に落ち、左手に大やけどを負った野口英世は、ハンディキャップを負いながらも猛勉強し、世界的な医師、細菌学者となった。

その後、ガーナで蔓延していた黄熱病の人々を救うため現地へ入るも、その研究途中に自らが黄熱病を発症。ガーナの地で無念の死をとげたのだった。

ガーナの人々にとって、自分たちのために全力で尽くしてくれた野口英世は、今でも国民の英雄だという。

「大学生の時に、野口英世の伝記を読んで感動し、彼の生まれた場所、ふるさとに住んでみたいと思いました」(セイラムさん)

◆日本の生活で見出した母国・ガーナとの共通点

そんな尊敬して止まない野口の大好きな言葉が、現在も保存されている彼の生家の柱に刻まれていた。

「志を得ざれば再び此地を踏まず」

医師として成功するという目標にたどり着くまでは、二度と故郷に戻らないという決意の言葉だ。

©テレビ朝日

「私も日本に来る前に、日本語を学び、日本の文化を理解するまで、ガーナの地を踏まないと誓いました」(セイラムさん)

憧れの人物・野口英世と自分を重ね、2020年東京オリンピック・パラリンピックに向け奮闘するセイラムさんは、日本での生活の中で母国との共通点を見出したという。

「日本では“おもてなし”と言われますが、アフリカでは“ガーナズ・ホスピタリティ”という言葉があります。

ガーナはアフリカの中では今、一番安全な国で、人々を一番、受け入れる国なんです」(セイラムさん)

©テレビ朝日

セイラムさんのできる宣言は「頑張ればきっとできる!ガーナと日本の架け橋になる」。修造は「野口先生も見ているよ!セイラムさんならできる!」とエールを送った。

※番組情報:『TOKYO応援宣言
毎週日曜あさ『サンデーLIVE!!』(午前5:50~)内で放送、「松岡修造の2020みんなできる宣言」も好評放送中、テレビ朝日系

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