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「技をかけるのが怖くなって…」“超人”プロレスラー、オカダ・カズチカが見せた涙の理由。

“超人”プロレスラー、オカダ・カズチカ(31歳)。

©新日本プロレス

並外れた身体能力で、1.8m近く飛び上がるドロップキックや、木製バットをも砕くと言われる必殺技“レインメーカー”を武器に、プロレス界でトップを走り続けている。

“強くてかっこいいプロレスラー”であるために、たとえどんな怪我をしても決して弱音を吐くことはなく、リングに立ち続ける男の原動力はどこにあるのか?

『GETSPORTS』では、世界で最も過酷と言われる2019年「真夏の最強戦士決定戦G1クライマックスシリーズ」の期間中、40日間オカダに完全密着し、その“原動力”を探った。

◆両親の反対押し切り、単身メキシコへ

オカダがプロレスラーを目指したのは13歳の時。

もともとは野球少年だったが、格闘ゲームがきっかけでプロレスにはまると、あるメキシコ人レスラーに心を奪われた。

「ドクトル・ワグナーJr.とシルバー・キングという、メキシコ人の兄弟だったのですが、
ムーンサルトプレスなどのすごく派手な技を見て、プロレスラーってすごいんだな、面白いなって感じました」(オカダ)

そしてオカダは中学卒業を前に、「プロレスラーになりたい」と両親に直談判。しかも国内ではなく、“プロレスの本場”メキシコでの挑戦だった。

両親は猛反対したというが、オカダの決意が揺らぐことはなかった。

「(オカダは)自分がこうだと思ったら、それにひたすら向かっていくタイプなので。(最後は)自分で決めたんだから、頑張りなさいと言いました」(母・富子さん)

そして中学卒業後、身寄りもない中、単身メキシコへ。想像を超えるハードな修行を続け、16歳でプロデビューを果たした。

その後、2007年に新日本プロレスへ移籍。2010年から海外武者修行を経て、2012年、オカダが24歳の時、当時11連続防衛中だった絶対的なエース棚橋弘至に見事勝利し、IWGPヘビー級王座を、史上2番目の若さで戴冠した。

海外修行帰りの実力未知数だったオカダが世界最高峰の王座に就いたことはプロレス界に衝撃を与え、「レインメーカーショック」と言われた。

©新日本プロレス

今では、通算5度、IWGPヘビー級の王座に就き、2016年6月から2018年5月まで史上最多防衛記録12という前人未到の快挙を達成。その活躍と共にプロレス人気は上昇カーブを描いてきた。

そんなオカダが、プロレスラーとしてずっと大切にしていることがあるという。

「僕はほんとに一番大事なことは、“かっこいい”ことかなと思いますね。強いのは、やはり当たり前なんですよね。強くてかっこいい、子供たちが憧れるプロレスラーになるというのが一番大事なんじゃないかなと思います」(オカダ)

きらびやかなアクセサリーやコスチュームを身にまとい、プライベートでも高級車を乗りこなすのは、子供たちが憧れる存在になるためだ。

「プロレスラーに箔をつけたいなと。プロレスラーって、こんなにすごいんです!と僕が見せないといけないと思っています」(オカダ)

◆「足が痛くて、眠れない…」

7月6日(土)、史上初めての海外での開幕戦、アメリカ・ダラス大会からスタートした2019年のG1クライマッスクス。強くてかっこいいプロレスラーであり続けるため、相手の技を全て受け止め、真っ向勝負を続けてきたオカダだが、実は序盤戦で右膝を痛めてしまっていた。

「寝ていたら、ヒザがどんどん痛くなってきたんです。足が痛くて、寝返りしようにも、痛くて起きちゃうので、眠れないんです…」

1か月間で19大会を戦う超ハードな日程の中、足を引きずりながら向かった先は、川崎にある治療院。先生に「とにかく試合に出られるように」と治療をお願いした。

ボロボロの状態でも、オカダには「休む」ことは考えられないという。

「怪我の状態を知れば『休めばいいのに』と言われると思います。でも僕は少しも休むつもりはないです。見に来たお客さんに(怪我を悟られずに)満足して帰ってもらいたいと思っています」(オカダ)

試合を休まない限り、怪我を治す余裕はない。丹念にケアをし、悪化を食い止めるのが精いっぱいだ。

痛みがピークを迎えても、決して言い訳はしない。

なぜ、こうまでしてオカダはヒーローであり続けようとするのか?根底には、かつて直面した“ある出来事”があった。

◆決して弱音を吐かない男の“原動力”

思わぬアクシデントだった。

2017年4月のIWGPヘビー級タイトルマッチ。相手は、先輩の実力派人気レスラー柴田勝頼。両者譲らぬ激しい攻防で、38分に及ぶ死闘の末、オカダがタイトルを防衛した。

しかし、試合直後、柴田はバックステージで倒れて救急搬送。病院で受けた診断は「硬膜下血腫」。頭の中に血がたまり、脳を圧迫していた。

5時間にわたる緊急手術で、一命はとりとめたものの、柴田のリングへの復帰は見えない状態になってしまった。

「まさか自分の試合でそんなことが起きるとは…というのは、ありましたね。自分が技を
かけるのも怖くなりましたし、どうしたらいいか分からなくなってしまって、色んな人に話を聞いてもらって…。その時はたくさん泣きましたよ」(オカダ)

危険がつきものとは分かっていたが、いざ自分となると、心が折れた。

自らのプロレスの在り方に悩み続けて迷走もしたが、それから2年後に転機が訪れる。

今年3月、春のビッグトーナメントで決勝に進出した際、なんと試合の中継解説として、リングサイドの放送席に柴田が現れたのだ。

オカダは迷いなく技を繰り出して見事勝利を収めると、優勝カップを抱えてリングを降り、放送席にいる柴田のもとへ駆け寄った。

©新日本プロレス

「やっとここで会えましたね、と言葉を交わしたら今まで起きたことを全部思い出してしまって、ウルッと来ちゃいました」(オカダ)

あのアクシデントから2年――つかえていたものがとれた瞬間だった。オカダに王者としての確固たる信念と、強さだけではないプロレスラーとしての本分を探求させ、未知なるチカラを呼び覚ますきっかけとなる涙だった。

©新日本プロレス

「こういう形で再会という風になりましたけど、4月のニューヨーク大会で行うタイトルマッチに『勝てよ』と、柴田さんにも送り出してもらったので、そこは結果を残したいなと思います」(オカダ)

止まった針が動き出したかのように、そこからオカダは、迷うことなくリングに立ち続け、
本来の強さを取り戻した。

2019年8月「G1クライマックス」グループリーグの最終戦。この日も膝の水を抜き、痛み止めの注射を打ち、きついテーピングをサポーターにしのばせて戦い抜いたが、飯伏幸太相手に勝利をつかむことはできなかった。

「終わりましたね。なんか…くやしさを出す元気も残ってないです。怒りたい元気もなく、悔しい元気もない。終わったなって感じですね」(オカダ)

オカダはやはり最後まで、ひざの痛みを言い訳にすることはなかった。

ボロボロでも、かっこよく。

オカダにその原動力を聞くと、至ってシンプルな答えが返ってきた。

「プロレスが好きとしか言えないですよね。だから、もっともっと多くの人にプロレスを知ってもらいたいって思っています。こんなに最高のものがあるんだよって」(オカダ)

ほんの束の間、羽を休めたオカダは、来たる新たな戦いに向けて、もう走り出している。

 

※番組情報:『GETSPORTS完全版 誰も知らないオカダ・カズチカ G1クライマックス密着40日』
10月3日(木)よる8:00~9:00 CSテレ朝チャンネル2にて放送

9月1日(日)にテレビ朝日地上波『GET SPORTS』でお見せしきれなかったオカダ・カズチカのドキュメンタリーを1時間たっぷりと放送!

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