野村宏伸、ドン底から復活のきっかけは…田原俊彦との10年ぶりの再会
20代で大ブレークし一世を風靡(ふうび)したものの、30代後半から40代前半までは仕事が激減して苦労したという野村宏伸さん。
2013年、『教師びんびん物語』(フジテレビ系)から25年が経って、バラエティー番組で田原俊彦さんとドラマの舞台となった学校で再会するという企画が舞い込んだ。田原さんとは10年ぶりの再会だった。それをきっかけに俳優としても新境地を開拓していく。
◆個人事務所を設立直後、人生のターニングポイントが
2012年、野村さんは個人事務所を創立する。オファーが来た仕事はスケジュールが許す限りすべて受けると決意してのことだったという。同年、田原俊彦さんがお笑いコンビ・爆笑問題の二人とともに司会をつとめる『爆報!THEフライデー』(TBS系)の出演依頼が。
「ちょうど、僕が個人事務所を立ち上げるタイミングでの出演でした。田原さんは『大丈夫だ。お前は頑張れるよ』って励ましてくれて。運が良かったんですね。ちょうど独立して会社を作ったときに、田原さんからの依頼でバラエティー番組に出て、その後に日曜劇場のドラマ『とんび』(TBS系)の話が来て」
※ドラマ『とんび』
男手ひとつで息子を育てる父親・ヤス(内野聖陽)と息子(佐藤健)の絆を描く。野村さんはヤスの幼なじみ、お寺の“跡取り息子”照雲を味わい深く演じ、新境地を開拓したと話題に。
-『とんび』はバラエティー番組で野村さんを見て、プロデューサーの方から10kgの減量が条件ということでオファーをされたとか-
「そうですね。ちょっとふっくらしていたので、一応そういうことと、まずは『髪の毛を丸刈りにできますか?』って言われたんですけど、全然抵抗はなかったので、つるつるにしてね(笑)。体重は17kgだったかな。かなり落としましたね」
-すごいですね。血気盛んなヤスを穏やかになだめて諭す照雲役、人間味があってとても良かったです。新鮮でした-
「意外とね。『お坊さん、良いんじゃない?』って(笑)。あのドラマのプロデューサーもちょうど“びんびん世代”で、当時あれがすごく好きだったみたいで、『和尚さんは野村さんがいいんじゃないかな』って、ひらめいたらしいんですよね。だからそういうのもなんか運があったなぁって思います」
-これまでやってこられたことがつながっている感じがしますね-
「そうなんです。つながるんですよね。結構大変なこともありましたけど、『メイン・テーマ』、『キャバレー』、『教師びんびん物語』があって、少し後に朝の連続テレビ小説『凛凛と』(NHK)がまた全然タイプが違う役だったので、結構評判が良くて。
映画『学校の怪談』、そして『とんび』。節目節目でそういう作品に恵まれて代表作になるようなものが残っているので、それは大きいですね。
それに、『爆報!THEフライデー』のあとには『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)や『イチから住~前略、移住しました~』(テレビ朝日系)に出たりすると、またそれがきっかけになったりとか。そういうのもありますね」
◆デビュー35周年、50代になって芝居の面白さを実感
今年でデビューして35年。順風満帆だった20代、心の内では葛藤と将来への不安を抱えていたという野村さんは、1999年、33歳のときに初めて舞台『太陽と月に背いて』に挑戦。映画版でレオナルド・ディカプリオが扮した主人公を演じた。
「若いうちにそんなに演技を勉強しないでやってきてしまったので、30歳ぐらいから行きづまっていて。これから30代、40代、50代ってなっていくうえで、人気というのは落ちていくものだし、役者を続けるには演技の幅とか、演技がうまくならないと、残っていけないなって自分でも感じていたんですよね。
最初は舞台というのは怖いし、映像をやっていると自信がないんですよね。できるわけないみたいな感じがして。絶対無理だと思って、ずっと断っていたんですけど、30歳を過ぎたし、挑戦してみようと思って。
やったらやったで、やっぱりダイレクトに反応も感じるし、舞台をやるのも面白いなぁって思って。勉強にもなりますしね」
-それにしても最初にやられた『太陽と月に背いて』は難しい役ですよね-
「そうですね。でも、あの年齢にしかできない役じゃないですか。そういう意味では、やりたかったですね」
-映像と舞台では発声にしても全く違いますが、いかがでした?-
「すぐ目の前にお客さんがいるなかでの演技なので、ちょっとまた映像とは発声も全然違うし、苦労しました。でも、そこで共演していた諸先輩方が結構ベテランで、いい俳優さんたちばかりで、みんな色々と教えてくれたので助かりました」
-ここ数年はわりとコンスタントに舞台をされていますね-
「そうですね。今月は舞台『友情 秋桜のバラード』で結構地方公演もあったのでね。東京まではなかなか行けないっていう人もいるじゃないですか。そういう意味では良いなぁと思って。
1日ごとに会場が違って、会場の大きさも全然違うというのはなかなかスリリングでしたけど、楽しみながらやらせてもらいました。
この舞台は20年続いているんですよね。これまでに松方弘樹さん、渡瀬恒彦さんをはじめ、そうそうたる皆さんがやられている役なので、これはこれでまた一つ、自分の財産になるような作品だと思うのでよかったなぁと思います。これは来年1月にも公演することが決まっています」
-セリフ覚えは早い方ですか-
「意外と早いです。あとはもうどういうふうに考えて動いてセリフを言うかとか、そっちの方を考えるのでセリフは意外とすぐに入るんですよ。でも、動かないと入らないですね、基本は。家で覚えていても、動きながらやっています」
-舞台は映像と違ってやり直しがきかないですし、予期せぬアクシデントが起きることもあると思いますが-
「そうですね。始まる前はいつでも緊張しますよ。でも、その緊張が若い頃とはちょっと違って、今はスリリングで楽しい緊張というか。
どうなっていくのかという自分がドキドキして楽しいので、面白い。楽しんでいます、緊張を。それに対処しながらというのもたまらないですね(笑)だから、そういうことが楽しくなって来た。
毎日同じのがいやなんですよ、むしろ。だから何が起きても、それに順応できるようなものを持ってないといけないんだけれども、それがまた面白いというか。お芝居が何かやっと余裕を持って自分のなかで考えていろんなことができているという感じがします」
◆私生活でも運命の出会いが…
2013年には新しい出会いも。友人のパーティーで、フリーのヘアメイクの仕事をしている15歳下の女性と出会った野村さんは、一目惚れだったという。
「そのパーティーでは話もできなかったので、友人を通してヘアメイクの仕事を依頼しました。急に仕事を依頼したことで彼女は驚いていましたけど、僕の仕事に対する姿勢を見て好意的に思ってくれたみたいで、食事に行くところまで話がいきました。
それで、最初のデートのときに『結婚を前提に(彼氏に)立候補します』ってプロポーズして交際がスタートしました」
-結婚を決意されたのは?-
「派手な人ではなくて意外と地味で、価値観が同じなんです。50歳とか60歳になったら田舎で暮らしたいとか、キャンプとか趣味も合うので、この人とだったら一緒に生きていけるかなと思ったんですよね。それで4年前、ちょうど50歳になったときに結婚しました」
-お写真を拝見させていただきましたが、とてもきれいな方ですね。お嬢さんも誕生されて-
「娘は3歳になりました。僕が出ている番組も見たりしていますけど、それが何なのかまだわかってないみたいです。なんでテレビから出てくるのかがわからないみたいで(笑)。
この間僕が時代劇に出たときに、ちょんまげ姿の写真を妻に送ったんですよ。それを子供に見せたらびっくりしていたって言っていました。髪の毛がここ(真ん中)しかないって(笑)」
-35周年を迎えて、今後やってみたいことは?-
「やっぱりちょっと変な役が面白いですよね。自分と全然違う役とかね。自分はなぜこの世界に入ったのかって言ったら、やっぱり映画。芝居をするということを大事にしていきたい。ちゃんと芝居を長く続けられるっていうことですかね。自分の体のケアを大事にして、続けていきたいですね」
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年に2回は健康診断に通い、筋トレも欠かさず行っているという。20代の頃、歌手としても活動していた野村さん。60歳になったら、昔出した曲をアレンジしてライブハウスで歌うということも考えているそう。35周年を迎え、多忙で充実した日々が続いている。(津島令子)
※舞台『友情 秋桜のバラード』
9月25日(水)~9月28日(土)
渋谷区文化総合センター大和田伝承ホール
(公演時間は、開催日によって異なりますので、下記URLよりご確認ください)
http://yu-jo.net
お問い合わせ:劇団絵生 03(5620)8557(平日11:00~17:00)