47歳で“筋電義手”と出会い人生激変。自身の経験を記事で発信「可能性を多くの人に伝えたい」
テニスの現役を退いてから、“応援”することを生きがいにしている松岡修造。
現在は2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックに向けて頑張る人たちを、「松岡修造の2020みんなできる宣言」と題して全国各地を駆け巡って応援している。
今回、修造がやってきたのは、朝日新聞の横浜支局。そこで働いていたのは記者の岩堀滋さんだ。
岩堀さんは生まれつき、右腕の先が欠損しているのだが、その部分には義手が装着されている。
この義手は「筋電義手」といって、自らの意思で手を動かせるようになっているのだ。
人間が筋肉を動かそうとするときに発する電気信号を、義手の電極が読み取るため、指を開いたり、閉じたり、自由自在に動かすことができる。
岩堀さんは、47歳の時に初めて筋電義手と出会い、人生が大きく変わったという。最も感動したのは、かつ丼を手にとって食べたことだそうだ。
「どんぶりを、義手の指で挟んで持てるんです。今までは、体を使ってのせるだけでしたが、かつ丼を手にとって、かきこんだときは涙が止まりませんでした」(岩堀さん)
◆自身の経験を記事で発信
しかし、この筋電義手は認知度がとても低く、岩堀さんが知ったのも、わずか3年前のことだった。
公的補助が受けられれば3万円台で購入できるものの、訓練施設が非常に少ないため、岩堀さんは、障がい者に注目が集まる2020年をチャンスととらえ、筋電義手を数々の記事で取り上げ発信していった。
「自分が色んなことができるようになって、前向きになれたように、他の人にもそう思ってもらえたらすごく良いなと思っています」(岩堀さん)
自らモニター役となって、兵庫県の訓練施設に通い始めた岩堀さんは、フライパンを使って料理をしたり、投げられたボールをキャッチしたり、訓練を通じて、様々なことが“できる”ようになった。
そして、自身の経験を記事にまとめて発信していくと、その働きかけが実り、2017年には、神奈川県にもより充実した筋電義手の訓練が可能な施設が誕生した。
新たに生まれた施設で訓練をしている松田理佐子さんは、筋電義手を使って、2020年東京オリンピック・パラリンピックの聖火ランナーをやりたいと意気込んでいる。
「筋電義手を使って何か始めてみようかなとか、筋電義手を使ったら、こんなスポーツができるかなとか、それぞれの2020年への目標ができてよかったです」(岩堀さん)
岩堀さんのできる宣言は「筋電義手の可能性を多くの人に伝えたい!」。修造は筋電義手のこぶしをかざして、エールを送った。
※番組情報:『TOKYO応援宣言』
毎週日曜あさ『サンデーLIVE!!』(午前5:50~)内で放送、「松岡修造の2020みんなできる宣言」も好評放送中、テレビ朝日系