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俳優・田村亮、同姓同名の“お笑い芸人”とのエピソード語る「荷物が間違えて向こうのお宅に届いて…」

©テレビ朝日

“阪妻(バンツマ)”の愛称で一世を風靡(ふうび)した名優・阪東妻三郎を父に持ち、2006年に亡くなった長兄の高廣さん、3歳年上の兄・正和さんと同じく俳優として活躍している田村亮さん。

時代劇『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)の2代目・大岡忠相役や土曜ワイド劇場『狩矢父娘シリーズ』の狩矢警部役をはじめ、ドラマ、映画、舞台に多数出演。

闇営業問題が発覚した直後の7月に出演していた舞台は、奇しくも吉本興業の創始者の波瀾万丈の人生を描く『笑う門には福来たる~女興行師 吉本せい~』(新橋演舞場)。9月からは舞台『ペコロスの母に会いに行く』の公演が控えている田村亮さんにインタビュー。

©テレビ朝日

◆俳優“田村三兄弟”でひとりだけ芸名にした理由は…

父・阪東妻三郎さんが亡くなったのは、亮さんがまだ7歳のとき。日本映画史に名を残す名優だけにスケジュールは多忙を極めていたが、子煩悩で、子どもの日、お正月の餅つき、節分の豆まきなど特別の日だけは必ず一緒にやってくれたという。

父が亡くなった翌年、1954年に長男の高廣さんが跡を継ぐ形で映画デビュー。1960年には、三男の正和さんも俳優デビューを果たす。そして1965年、四男の亮さんもテレビに出ることに。兄二人は本名をそのまま「芸名」としたが、亮さんだけはある理由で本名を使わなかった…

「僕は役者になる気が全然なかったんです。人前に出るのが恥ずかしくてね。僕が人様の前でお芝居するなんていうことは全然。なんでこんなことやってるんだろうって思いますよ(笑)。僕は商社マンになりたかったの。大学の経済学部に行っていましたし、英語を一生懸命勉強していたんだけど、こうなっちゃった(笑)」

-1965年、お父様の13回忌企画ドラマ『破れ太鼓』(NHK)に出演オファーをされたときはいかがでした?-

「当時は1番長い45分の番組だったんですけど、それに声がかかって、兄たちみんなが出るって言うからね。一番上の高廣兄貴とすぐ上の正和兄貴は役者をやっていたから出るのはわかるけれども、2番目の兄貴と僕は役者じゃなかったのに、その兄貴も出るからお前も出ろよって言われて。プロデューサーも『4人全員が出てくれると宣伝になるから出てくださいよ』って言うんですよ」

-それでみなさんでご出演されることに?-

「そうです。4人全員で出ました。たまたまその『破れ太鼓』というドラマの主人公の家族構成が長女と次女がいて、息子が4人兄弟なんですよ。だからちょうどいいじゃないかということで引っ張り出されて(笑)」

-初めて出演されていかがでした?-

「何もわからないうちに終わっちゃいましたよ。もしビデオがあったとしても見たいと思わない。最悪だと思いますよ(笑)」

-お顔も端正ですし、すぐに俳優にならないかというお話になったのでは?-

「そのときも役者をやる気は全くなかったんですけど、東宝に稲垣浩さんという監督がいらしたんですね。この方はおやじとはもう何回か一緒にやってらしていて、その方が三船敏郎さん主演で映画を撮るということになったんです。

それは3兄弟の話なんですけど、長男が三船さんで次男が佐藤允さん、そして三男役に合う役者が東宝にはいないから、誰にしようかなって言うことになって…。そうしたら稲垣監督が、『阪妻さんのところにもう一人出てない子がいるから、あの子を引っ張ってこよう』っていう話になったみたいで(笑)」

-それで俳優になることに?-

「プロデューサーが『稲垣先生のたっての希望なので、どうですか』って。僕も一応おふくろに相談して、『いやだよ』って言ったんだけど、『稲垣監督はうちのお父ちゃんといろいろご縁があった方だから、むげに断るわけにはいかないんじゃないの?』って言われて、『じゃあ大学に行っている間だけ契約します』って言って東宝に入らせてもらったんですよ」

-大学生の期間だけのつもりだったのですか?-

「そう。大学を卒業したら、サラリーマンになるつもりでした。だから本名でやっちゃって名前が有名になっても就職したときにわからないように、『田村亮』という芸名にしたんですよ。大学在学中は田村亮として俳優をやって、卒業したら本名に戻って普通の仕事をしようかなって…」

※田村亮プロフィル
1946年5月24日生まれ。京都府出身。中学、高校はバスケットボール部に所属し、インターハイにも2度出場。1953年、7歳のときに父が51歳で亡くなる。1965年、阪妻13回忌企画『破れ太鼓』(NHK)に兄3人とともに出演。1966年、映画『暴れ豪右衛門』で映画デビュー。

1970年、映画『無常』に主演し、ロカルノ国際映画祭でグランプリを受賞。ドラマ『どてらい男』(フジテレビ系)、時代劇『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)、土曜ワイド劇場(テレビ朝日系)など、映画、ドラマに多数出演。

今年7月、新橋演舞場で上演された舞台『笑う門には福来たる~女興行師 吉本せい~』では、藤山直美さん演じる吉本せいの夫・泰三役で出演。9月25日(水)には舞台『ペコロスの母に会いに行く』の上演がスタート。国内各地での公演に加え、北京公演も行われる。

©テレビ朝日

◆学業優先のはずが、就職活動もままならず…

あくまでも俳優業は大学在学中だけのつもりだった田村さんだが、本格的にやることに。

「契約は年に映画3本で学業優先ということにしていたんですけど、映画が出来上がったらキャンペーン活動もありますからね。東宝封切館というのは日本一多かったので、全国をキャンペーンで回ったりしていると、結構学校も休むことがあって、十分に授業も出られず卒業するのに苦労しました」

-卒業はされたのですか-

「ちゃんと卒業できたけどね。大変だった。正和兄貴とは3つ違いだから中学、高校では一緒にならなかったんだけど、大学は4年でしょう? 1年だけ一緒になるんですよね。

こんなことを言うと兄貴が怒るかもしれないけど、兄貴も同じ成城大学の経済学部で、単位が経済学だけ足りなくなっちゃったの。卒業する前に取ればいいんだけど、僕と一緒の教室になっちゃって、笑っちゃった(笑)。

兄貴も無事に単位が取れて卒業できましたけどね。結局、就職活動もままならず、それでしょうがないからというのもひとさまが聞いたらぜいたくな話なんですけれど、役者にということに。でも、本格的に役者をやるんだったら、このままじゃいけないと思って、俳優養成所に行ってイチから大きな声で『ア・エ・イ・ウ・エ・オ・ア・オ』とかやっていました」

-基礎からレッスンをされたわけですね-

「そうです。もう恥ずかしかった。みんな僕より若い人たちで『田村さん、マスコミに出ていたでしょう?』って言うから、『はい』って言って(笑)。彼らがまた演劇のことをよく知ってるんですよ。ものすごく詳しくて、トルストイがどうのこうのだとか、いろいろ演劇論を言ってくるんだけど『俺はわかんねぇなぁ』って(笑)。

養成所には1年間だけ行っていました。僕は2、3年通うつもりだったんだけど、1年の卒業公演のときに実相寺昭雄監督の『無常』という映画の話が来たので卒業公演を断念して、『商業演劇に行きます』って言って辞めて、それから今に至っています」

田村さんの初主演映画『無常』は、スイスのロカルノ国際映画祭でグランプリを受賞するなど、海外でも高く評価される。

-ご兄弟でお互いの演技について意見を交わされたりしたことはあるのですか?-

「まだ高廣兄貴が元気なときにも取材で聞かれたことがあったんだけど、兄弟全員、顔を合わせても本当にくだらない話しかしないんですよ。『あの人どうした?』『あの人は死んじゃったよ』とかね。お互いの芝居も見に行かないし、お正月に必ず会うんだけど、芝居の話は一切しない。芝居の批評みたいなことは一切言わない。あんまりゴチャゴチャ言うとケンカになっちゃうじゃない(笑)」

©テレビ朝日

◆連日、ワイドショーに「田村亮」の名前が…

6月、闇営業問題が報じられ、そのなかに「ロンドンブーツ1号2号」の田村亮さんが含まれていたため、田村さんは連日、自分と同じ名前をテレビで見ることに。

「テレビを付けると、どのチャンネルでも『田村亮』って出ていましたからビックリしました。最初のうちはマスコミの方も気を遣ってくれて、『お笑い芸人の田村亮さんが』って言っていたんですよね。

そういうナレーションで映像があって、さてスタジオに戻りましたっていうときに、『田村亮さんが』って(笑)。もういちいち『お笑い芸人の』って付けていられないんだろうね」

-ロンブーの亮さんとお会いになったことは?-

「ないです。前に住んでいた家が近かったので、僕の荷物が間違えて向こうのお宅に届いて、事務所のスタッフに取りに行ってもらったことがありましたけど、お会いしたことはないですね」

-ちょうど騒動のまっただなかの7月に藤山直美さんとご出演されていた舞台『笑う門には福来たる~女興行師 吉本せい~』は、吉本興業の創始者のお話でした-

「そうなんですよ。たまたまね。だからブログに『吉本興業さんは、今闇営業だなんだでいろいろバタバタしてますけれども、新橋演舞場はそんなのはどこ吹く風で連日お客さんがいっぱいです』って書いておいたの(笑)」

-舞台は稽古期間も入れると長丁場になりますが、いかがでした?-

「良いお芝居でしたよ。『笑う門には福来たる』に関しては、全然疲れないの。僕が演じた吉本泰三さんは、若くして亡くなっているんですよ。だから、僕は、一幕はずっと出っぱなしだけど、二幕はポツンと出て、三幕は戦争でどうしようもないとき、直美さんが『あんた堪忍、劇場も全部焼けてしもうた。堪忍、あんた、あんた』って言うときにフーッと亡霊で出て来るの。

それで、『こうしなさい、ああしなさい』って言うんだけどね。5月は松竹座でも上演したんだけど、全然疲れないの。出番も役もすごく合っていたというか、コンディションがすごく良かった。舞台って疲れるんだけどね(笑)」

-日頃からウォーキングをされたりして体調には気をつけているそうですね-

「そんなには鍛えてない。雨が降ったらやらないし、だいたい週に3日ぐらいかな。小1時間ぐらい。やらなきゃいけないとなるとつらくなるからね。歩くことが苦痛になってくるから、気楽にやっていますよ。公園でストレッチやスクワットをやったりね。行きと帰りのコースを変えたりして。あまり日課として義務付けないでネ」

-全然体型も変わらないですね-

「いやいや、7月に演舞場で『亮さん、お腹に肉布団入れているんですか?』って言われたもん(笑)。時代劇ではみんなよく入れるんですよ。『それ自前ですか?』って言われましたからね(笑)。今が最大に太っているかもしれない。顔が膨らまなくて良かった。不幸中の幸いですね。涼しくなったら、徹底的に絞ろうかと思っているんだけど、今は暑くて無理」

傍からは昔と変わらずスリムで爽やか。舞台が終わったので剃らずにいるというおヒゲも良く似合う。次回後編では、オリンピックの追っかけ歴、9月に控える舞台『ペコロスの母に会いに行く』などを紹介。(津島令子)

※舞台『ペコロスの母に会いに行く』
9月25日(水)~26日(木)東京・大田区民プラザ
佐賀、熊本、山口、広島、岡山、愛知、茨城、中国・北京で公演
演出:喰始 出演:藤田弓子 田村亮 小林綾子 若林豪
チケット問い合わせ 03(5637)7500(MK2内)

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