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アキラ100%、バイトでの経験が影響。肉体見せることは「他の人よりも抵抗なかった」

©テレビ朝日

全裸の股間をたった一枚のお盆で隠しながらさまざまなアクションを繰り広げる“裸芸”で、2017年にピン芸人コンクール『R-1ぐらんぷり』(関西テレビ・フジテレビ系)で優勝し、大ブレークしたアキラ100%さん。“見えそうで見えない”きわどい芸風ながら、爽やかなルックスのせいかいやらしさは感じられず、ちょっとハラハラしつつ癖になる。

最近は芸人としてだけでなく俳優としても活躍。7月6日(土)には本名の大橋彰名義で初の大役に挑んだ映画『こはく』の公開が控えているアキラ100%さんにインタビュー。

◆野球少年が、たまたま飛び込んだ演劇の世界にのめりこむ…

子どもの頃からずっと野球少年だったアキラ100%さんは、中学を卒業するくらいから視力が悪くなり、眼鏡をかけることになったのを機に野球部を辞めて演劇部に入ることにしたという。

「演劇部に入ったのはたまたまだったのですが、めちゃくちゃ面白かったんですよ。それからお芝居にのめり込んだというか、お芝居の道に憧れて…。うちの大学には演劇サークルがなかったので、高校のときに見させてもらいに行っていた社会人の方がやっている小劇団に混ぜていただいて、年に2回ぐらい公演に出させてもらったりしていました」

-劇団でお芝居するのはいかがでした?-

「楽しかったです。それまでは同年代としかやってなかったんですが、社会人の方、お芝居でご飯食べてる方もいましたし。アルバイトしながらでも、文学座とかでちゃんと稽古されていた方も何人かいらっしゃいましたので、やっぱり違いますよね。僕なんかは本当にみそっかすで混ぜてもらっていたみたいな部分もあるんですけど、すごく楽しかったです」

大学卒業後、アキラ100%さんは芸能事務所に就職。事務所の掃除と電話番をした後、椎名桔平さんの付き人兼運転手になるが、置き手紙を残して逃亡することに…。

-付き人修業はいかがでした?-

「半年間、ただただご迷惑をかけて終わったという感じでしたね。最初は電話番とお掃除をさせてもらっていて、しばらくして椎名桔平さんの付き人というか、運転もすることになったんですけど、あまりにも運転ができなくて…。きつかったなんて言い方をしたら椎名さんに申し訳ないんですけど、ほんとに自分ができなさすぎていやになりました」

-椎名さんが代わりに運転されていたとか-

「はい。見るに見かねて『ダメだ!代われ』って言って椎名さんが運転席に座って、僕は今思うと最低だと思うんですけど、なぜか後ろの席に座ろうとしたんですよ(笑)。

『いや、そっちじゃないだろう』って言われて『すみません』って助手席に座ったんですけど、今考えたら恐ろしいですよね(笑)。よく後ろの席に座ろうとしたなあと思って(笑)。あとでものすごい落ち込みました」

-椎名さんはアキラさんが落ち込んでいるのを見て飲みに連れて行ってくれたりしたそうですね-

「そうなんですよ。めちゃくちゃ優しくて、『おい、メシ行くぞ』っておっしゃって下さったりとか、色々声をかけていただいたりしていました。

そのとき、椎名さんは連続ドラマをやっていて、ものすごく忙しかったんですよね。平日はドラマを撮って、土日はテレビ局に行ってバラエティー番組とかに出たりしていましたから、『いつセリフをおぼえているんだろう?』というくらいだったんですけど、そんな忙しい合間をぬって声をかけて下さって…。

そんなに優しくしていただいたのに、置き手紙をして逃げるなんて恩を仇で返すようなことをしてしまいました。本当に申し訳ないことをしてしまったと反省しています」

-そのあとお会いすることはなかったんですか-

「ありませんでした。僕が芸能の世界に行けるようなチャンスもなかったので。僕は養成所みたいなところに2、3カ所行ったりして、そこで出会った仲間うちでお芝居をするような感じだったので、全然お会いすることはなかったんです。

でも、一昨年、テレビの番組の企画でお手紙をいただいたんですけど、本当に優しい方なんですよ。僕は逃げ出してしまったのに全く責めることもなく、夢がかなったことを喜んで下さって、世に出るまで20年間よく頑張ったねって温かい言葉がつづられていて、とてもうれしかったです」

※アキラ100%プロフィル
1974年8月15日生まれ。埼玉県出身。高校時代は演劇部、大学時代は小劇場で活動。2005年、お笑いコンビ「タンバリン」を結成。2010年にコンビを解散後、アキラ100%の芸名でピン芸人として活動をスタート。2017年、ピン芸人コンクール『R-1ぐらんぷり』で優勝して一躍大ブレーク。ドラマ『スキャンダル専門弁護士 QUEEN』(フジテレビ系)、映画『ゆらり』(2017年)など俳優としても活躍。7月6日(土)には映画『こはく』が公開される。

©テレビ朝日

◆“演劇”で先が見えず転身した“お笑いコンビ”も惨敗

置き手紙を残して事務所を辞めたアキラ100%さんは俳優養成所に通い始め、そこで知り合った仲間たちと2、3カ月稽古して1週間公演をするという毎日だったという。

だが、アルバイトに追われ、公演をしても友人知人しか来ないことに希望を見いだせず、お笑いを始めることに。2005年、大学時代の同級生と、お笑いコンビ「タンバリン」を結成する。

「お笑いだったら自分でネタが作れるし、あいつが下手だとか、脚本がつまらないだとか、人の文句を言わないで自分の責任でできるから良いんじゃないかって思って、お笑いを始めたんです。

相方は広告代理店に勤めていたんですけど、自分のキャリアを考えて、デジタルウェブデザインを勉強するために会社を辞めたところだったんですよ。大学時代から面白いやつで仲が良かったので『空いた時間で良いから』と言って誘ったんですけど、それがだんだん稽古する時間が長くなり、事務所に入り、ライブに出るようになって…という感じで引きこんでしまいました(笑)」

-コンビを組んでのお笑いはいかがでした?-

「大変でした。それまでずっと2時間位のお芝居を作ってきたので、3分で笑わせるというのが全然わからなくて…。はじめの1年ぐらいは“笑いどころ”が二個ぐらいしかないようなコントを作っていました。本当に試行錯誤しながら二人でやっていましたね」

-コンビを組んだ期間は5年間でしたが-

「彼の人柄なんでしょうね。愛されキャラで(笑)。同じ芸人仲間にも面白がられていましたね。コンビで何度かテレビに出させていただくチャンスもあって、ネタ番組なんかにも出たんですけど、やっぱり次のステップに向かうときに何かうまく階段がのぼれなくて…。

ちょっとずつ自分のやりたいこともあれば、向こうが思うところもあるし、それでなかなかうまくいかなくなって、『来年1年何もなかったらやめないか』って自分が誘ったくせに自分で言い出して。それで次の年もあっという間に何もなく終わって、それで解散しました」

-解散してからもお付き合いはあるんですか-

「あります。彼の結婚式にも出ましたし、僕の結婚式にも来てもらいました。大学の同級生なので、大学の集まりとかもありますし、連絡は取り合っています。コンビを解散して元の良い友人関係に戻ったという感じはありました」

-解散してすぐにピン芸人になられたわけですか-

「いえ、解散して2、3カ月は、ただ事務所が主催するライブを見に行くという感じで、自分で出ることはなかったんです。

コンビを組んだほうがいいのか、1人でやったほうがいいのか、色々考えたんですけど、そのときにはもう35歳くらいだったので、今から組んで『M-1グランプリ』(ABC・テレビ朝日系)とか『キングオブコント』(TBS系)を目指すんだったら、1人で『R-1ぐらんぷり』を目指したほうがいいんじゃないかと思ってピンでやることに決めました」

◆宴会芸のつもりが…人生を激変させた“裸芸”

ピン芸人になったものの、なかなか良いネタができずに苦労していたというアキラさんは、コンビのときに単独ライブで作ったネタの裸芸を披露することに。

「うちの事務所は芸人が多いので、オーディションに行くのもなかなか声がかからなかったんですよ。それが、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ系)のオーディションに僕も入れてもらえることになったので、あの裸でやるやつが宴会芸っぽいかなと思って持って行ったのがきっかけですね」

-最初に見たときはビックリしました-

「僕もまさかあれでテレビに出られるとは思っていなかったので、びっくりしました(笑)」

-スポーツジムのインストラクターをされていただけあってカラダが引き締まっていて爽やかですね-

「たしかに(笑)。僕はスポーツクラブで10年以上アルバイトしていたんですけど、最初はピチピチのトレーニングウェアとかを着てトレーニングをするのがすごく嫌だったんですよ。でも、周りがみんなそうなので、だんだん自分でもそういうのに抵抗がなくなってくるんですね(笑)。

プールガードとかもやるので脱ぐとか肌を見せる、肉体を見せることに他の人よりも抵抗がなかったと思うんですよ(笑)。なので、コンビのときからネタに困るとよく脱いでいたりしたんですよね」

-見ているほうも何かドキドキしますね-

「そうですね(笑)。あれは太っていてもお盆に注目しないですし、逆に筋肉モリモリでもお盆よりも『お前筋肉すごいな』ってなっちゃいますよね。だから、いわゆる中肉中背を保てていたので奇跡的にお盆が目立つ体型だったというか(笑)」

-2017年に『R-1ぐらんぷり』で優勝されました-

「僕は『R-1ぐらんぷり』にお盆ネタで3年挑戦していたんですよね。最初は2015年なんですけど、この年に初めて『ガキの使い』に出させてもらえたんですよ。それでやったらお客さんにはまあまあウケていたんですけど、その年はダメで、翌年は準決勝まで行けたんですよ。

それで、その年末に原田龍二さんと『笑ってはいけないシリーズ』で一緒にできてすごい話題になって、その翌年の2017年に優勝することができたんです。だから3度目の正直でしたね」

-『ガキの使い』に出られたときはいかがでした?-

「あの当日はもう緊張で何も覚えてなくて(笑)。その放送も緊張して妻と二人で正座して、汗だくになって見ていましたね。それでもダウンタウンさんを始め、スタッフの方もすごく笑ってくれていたので『良かったなぁ』って思いました。あの日は本当にめちゃくちゃうれしかったです」

-優勝して人生が激変したのでは?-

「そうですね。スポーツジムのインストラクターのバイトはお笑いを始める前からなので10年以上やっていたんですけど、優勝した前日もバイトに行っていましたからね。ちょうどR-1の当日が火曜日でスポーツジムがメンテナンス日でお休みだったんですよ。だから、バイトのシフトを誰にも代わってもらわなくていいなぐらいの感じで決勝に行ったんですよ(笑)。

ただ、R-1の打ち上げがあるということは知っていたので、翌日は一応バイトを休みにしてもらっていたんですけど、『優勝したので、ちょっと行けそうになくて』って電話して『わかりました。ちょっとこっちでシフト直しておきます』って言われてからずっともう行けてない感じですね(笑)」

優勝したその日から仕事のオファーが殺到し、1日で30件~50件問い合わせがあったという。その前の月のお笑いのお給料は1万円だったとか。何年分という仕事が1日で来たという感じだったそう。次回後編ではブレークしてからの日々、映画『こはく』の撮影裏話を紹介。(津島令子)

(C)2018「こはく」製作委員会

※映画『こはく』
6月21日(金)より長崎先行ロードショー
7月6日(土)よりユーロスペース、シネマート新宿ほか全国順次公開
配給:SDP
原案・監督:横尾初喜
出演:井浦新 大橋彰(アキラ100%) 遠藤久美子 嶋田久作 塩田みう 寿大聡 鶴田真由 石倉三郎 鶴見辰吾 木内みどり

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