15歳少女が「きっかけはドリフターズ」でアイドルになった理由<籾山ひめり>
現在、どれだけのアイドルが日本に存在するのかを断定するのは難しいが、“売れているアイドル“と定義できる存在となると、その数はぐっと減る。
さらに近年の傾向として、HKT48からデビューした宮脇咲良(※現在はIZ*ONEに専念)に代表される「アイドルの掛け持ち」や「アイドルの転職」、「アイドルの再チャレンジ」も活発化しており、一口でアイドルと言ってもそのキャリアは多様化を極めている。
テレビ番組『ラストアイドル』から生まれたグループ、「Someday Somewhere」のメンバー・籾山(もみやま)ひめりは、11歳で加入した栃木県足利市のご当地アイドル「渡良瀬橋43」を経て、ローラースケートアイドルグループ「Spindle(スピンドル)」として活動していた。
渡良瀬橋43時代には、1000人以上を収容できるTSUTAYA O-EASTでのライブに出演したこともあった彼女だが、スピンドル加入後はステージでのパフォーマンスの機会が激減。
もっといろんなステージに立って、人前でパフォーマンスをしたい。そんな気持ちを抱くようになり、「ラストアイドル」に挑戦することとなった。
アイドルを志すきっかけとなった意外なテレビ番組から、アイドルでありながらも「握手会が苦手」と語る深い理由とは――。
籾山の半生を振り返る。
◆2004年生まれ。だが、ドリフに夢中になった幼少期
2004年3月、栃木県で生まれた籾山ひめり。
彼女がアイドルに憧れたきっかけは、一風変わったものだった。幼稚園の頃、まわりの子どもたちがアニメに熱中していた時期から、「ザ・ドリフターズ」に夢中だったというのだ。
「ケーブルテレビでドリフのコントばっかり見てたんです。小さかったので、昔のテレビ番組だと思わずに、リアルタイムでやってると勘違いしてました(笑)。コントの間に出てくる、キャンディーズさんや松田聖子さんを見て、私もこんなふうに歌ってみたいと思ったのが、興味を持ったきっかけでした」
まず彼女が興味を持ったのは、歌手たちが持っていたマイクだった。
「お誕生日プレゼントには毎年マイクをお願いしていたんです。最初はおもちゃのピアノがついてるマイクだったのが、だんだんゲーム機のWiiにつなぐ本格的なやつをもらえるようになりました」
そのマイクを持って、友だちと遊ぶのが好きだったとか。
「小学生のときには、マイクを持ちたいという気持ちで、学級委員長になったこともあります。歌に限らず、なんでもいいからマイクを持って、人前に立ちたかったんです(笑)」
芸能界に憧れることもなく、無邪気に遊んでいた少女。転機が訪れたのは、11歳になった年だった。両親の勧めでご当地アイドル・渡良瀬橋43のオーディションを受けることになったのだ。
「そのときは、将来ずっとアイドルをやりたいと思ってたわけではなくて、気軽な感じで、やってみようかな、と思っただけでした」
ところが、いざ活動が始まってみると、アイドルの楽しさにのめり込んでいくことに。
「それまでは友だちと一緒に踊ってただけでしたが、ステージに立って、自分を見て楽しんでくれるファンの方がいる。大好きなマイクを持って、人前に立って踊ることができる。アイドルには、自分が好きなことが詰まってました。最初はダンスの立ち位置でも後ろの方だったんですけど、頑張れば頑張るほど先生が認めてくれて、どんどん前に出れるのもやりがいがあって、ダンスにも熱中するようになりましたね」
◆一人だけローラースケートグループに合流。だが…
毎週土日はライブ、平日はレッスンと忙しい毎日を送り、ワンマンライブでは東京アイドル劇場、対バンイベントではTSUTAYA O-EASTのステージに立つなど、徐々に活動の幅も広がっていった。
「O-EASTの対バンでは、ピンク・ベイビーズさんと同じ楽屋でした。だから、ラストアイドルでも一緒になった、おーりお(大森莉緒)ちゃんと当時楽屋ですれ違ってたんですよ。りおちゃんは覚えてないと思うんですけど(笑)」
アイドルになって約1年が経った頃。
籾山は渡良瀬橋43のメンバーから一人、新しく立ち上がるグループに合流することが決まる。
「それがローラースケートアイドルグループのスピンドルで、私が入ることになったんです。でも、最初はスケート経験がゼロだったので、1年くらいはローラースケートの練習をして、渡良瀬橋43のイベントに出るという生活を続けていました」
スケートが上達し、スピンドルの活動も開始。デビューした月にスポーツ庁長官を訪問するというニュースがにわかに話題になるなど、上々の滑り出しだった。
「(当時)2020年の東京オリンピックの競技に、ローラースケートがあるんです。その前にローラースケートを広める活動として、表敬訪問させていただきました。メンバーのことねちゃんは、スケートで国体準優勝したことがあるんですよ」
その後も、様々なイベント出演を続けるものの、グループの路線が、籾山が思っていたのとは違う方向に進んでいたことは気がかりだった。
「私はアイドルとして、持ち曲を持ってステージに立ちたいと思ってたんですけど、結成当時スピンドルはダンスグループ色が強く、ライブ自体がぜんぜんなくなっちゃって…。もっとステージに立ってお客さんの前でパフォーマンスしたいし、握手会やチェキ会みたいなイベントもうやりたい。そう事務所の社長にお願いしたんです」
そこで、事務所の社長が提案したのが、『ラストアイドル』への挑戦だった。
◆「“神対応”は苦手で…」
挑戦の結果、籾山は1stシーズンのバトルでは敗北したが、得たものはあった。
「最初のバトルではローラースケートを履いてAKB48さんの『ギンガムチェック』をやったんですけど、じつはスケートを履くつもりはなかったんです。でも、周りの人たちから『履いたほうがアピールになる』って言われて、直前で決めました。今では、『あのローラースケートの子だよね』って言ってもらえることがあるので、よかったなって思います。負けちゃったけど、テレビでパフォーマンスできたのはすごく嬉しかったし、やっぱりこれがやりたいんだって改めて思った瞬間でした」
ちなみに、オーディションで歌った曲は℃-uteの『Danceでバコーン!』。元℃uteの鈴木愛理に憧れているとか。
「武道館のライブに行ったこともあるんですけど、声もいいし、笑顔もかわいくて、ひとりであんなに歌えるのって本当にすごい。ダンスもキレキレで、自分もあんなアイドルになりたいと思って、目指しています」
バトルに敗北後、セカンドユニット・Someday Somewhereとしての活動が決定したときには、心からの喜びを感じた。
「またアイドルを続けられるんだって思って、すごく嬉しかったです」
活動開始した後も、日々喜びを噛み締めている。
「ステージに立つたび、毎回、アイドルになってよかったなって思います。自分の名前が入ったタオルやうちわを持って、名前を呼んでくれて喜んでくれる。それを見れるのも本当に幸せです」
「しゃべるのがそんなに得意ではない」といい、自分を一番表現できるのはステージだと語る彼女。
「握手会とか、ファンの方との交流も楽しいんですけど、神対応みたいなことは苦手で…。自分をアピールするためには、ダンスと歌を全力で頑張るしかないし、やっぱりステージにいるときが、いちばん自分を表現できてると思うんです。体力づくりも含めて、これからも頑張っていきます」
念願のアイドル活動を続けるにあたって、どんな目標を見据えているのか。
「憧れの鈴木愛理さんみたいに、大きなステージに立って、すごいパフォーマンスができるようになっていきたいです。あとは、歌番組にも出て、もっと多くの人にパフォーマンスを見てもらいたいです。それこそ、『ラストアイドル』の控室にいるとき、テレビ朝日さん内で『ミュージックステーション』をやってたりするんです。まだまだ遠い目標だと思いますけど、いつかは出れたら良いなって思います」(※その後、5月17日放送回に出演。取材時にはまだ出演は決まっていなかった)
兼任でスピンドルの活動も継続している彼女。スケジュールもタイトな状況で、兼任を続けているのは、ラストアイドルとは違ったやりがいを感じるからだ。
「TOKYO IDOL FESTIVAL 2018では、ファンの方の応援もあって出場を勝ち取ることができました。自分たちの積み重ねたことが結果につながることで、ラストアイドルとは違った嬉しさを感じました。それぞれで、ぜんぜん違うやりがいがあるので、両立しながら、もっと多くの人に知ってもらえるように頑張っていきます」
<撮影:スギゾー、取材・文:森祐介>
※籾山ひめり(もみやま・ひめり)プロフィール
2004年3月、栃木県生まれ。11歳で足利市のご当地アイドル「渡良瀬橋43」に加入。その後、ローラースケートアイドルグループ「Spindle(スピンドル)」メンバーになり、Someday Somewhereと兼任活動中。無類のマイク好きで、一番好きなマイクは「ドリフの時代に使われていた細いマイク」だという
※リリース情報
2019.4.17 Release 6th Single『大人サバイバー』
表題曲は、メンバー52人全員が歌唱。初回限定盤Type-A~Cそれぞれには、1期生・2期生・2期生アンダーの楽曲が収録される。
※番組情報:ラストアイドル4thシーズン『ラスアイ、よろしく!』
【毎週土曜】深夜0:10~0:35、テレビ朝日系(※一部地域を除く)