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元世界チャンピオン・竹原慎二、膀胱がんで余命1年宣告「初めて女房の前で泣いた」

©テレビ朝日

広島県で生まれ、少年時代から恵まれた体格だった竹原慎二さん。小学生時代は野球、中学時代は柔道部に在籍。柔道の県大会では団体優勝も経験するが、ケンカにも明け暮れ、「広島の粗大ゴミ」と呼ばれる不良だったという。

1988年にプロボクサーを目指して上京。内装の会社で働きながらボクシングの練習に励み、1995年に日本人初の世界ミドル級王者に。引退後は映画・ドラマへの出演、フィットネスジム経営、講演会など幅広い分野で活躍する竹原さんにインタビュー。

©テレビ朝日

◆「広島の粗大ごみ」と言われた男が世界チャンピオンに

-昔はかなりワルだったそうですね-

「不良って言っても、僕は2年か3年ぐらいですよ。中学の3年から17歳になる前ぐらいまで。いきがっていましたからね(笑)」

-お父様もボクサーだったそうですが、その頃にはボクサーになろうとは思わなかったんですか-

「興味はあるんですけど、一歩踏み出す勇気がないんですよ。父親には何回も言われました。高校受験もしたんですけど、チョコチョコ悪さをしていたので入れてもらえなかったんですよね。それで、高校に行けなかった時点ですぐ言われたんですけど、そのときにはまだボクシングをやろうとは思わなくて…。

でも、最後にケンカで人にケガをさせたときに、自分でも『このままではいけない。まずいなぁ』と思ったんですよね。それでもすぐにはボクシングに行かなくて、8カ月後ぐらいに行ったんです」

1989年5月15日にプロデビューすると、翌年には第36代全日本ミドル級新人王に。1993年、東洋太平洋ミドル級王座を獲得。プロデビュー以来、23戦23勝。無敗のまま、WBA世界ミドル級王者ホルヘ・カストロに挑む。

前評判は百戦錬磨の王者の圧倒的有利であったが、一度も倒れたことのない王者からダウンを奪うなど終始打ち合う激戦の末に判定で勝利。日本人初世界ミドル級王者となった。

-「日本人がミドル級チャンピオンになるのは月に行くことよりも難しい」と言われていたそうですね-

「そうです。スポーツジャーナリストの二宮清純さんが言ってくれたんですよね」

-ご自身では自信はありました? 手ごたえというか-

「手ごたえなんかないですよ。ただ、決まったらもう行くしかないので」

-一見怖いものは無いように見えますが、実際はかなり恐怖を感じてらしたそうですねー

「恐怖感だらけですよ。『負けて全てがゼロになるんじゃないか』っていうような余計なことを考えるんですよ」

-竹原さんみたいな方でもそうなんですか-

「僕みたいな人だからそうなんですよ。ビビりですしね。毎回、不安で不安でしょうがなかったですね」

-ずっと勝ち続けて無敗のまま23戦23勝で世界チャンピオンに挑戦されました-

「それまで日本人では挑戦者すらいなかったですからね。試合が決まってからずっと怖くてたまらなかったんですけど、みんなに『勝てるわけがない』と言われていたんですよ。自分で言うのならともかく、他人から言われると、やっぱり頭に来るんですよね(笑)。それで『絶対に勝ってやる!』って。チャンピオンのカストロは、結構肉付きが良かったので、『あんなデブに負けてたまるか!』って思いました」

激戦を制し世界ミドル級王者となったが、初防衛戦ではレフェリーストップ負けに。その後、網膜剥離(もうまくはくり)が判明し引退。

-世界チャンピオンになって、初防衛戦はレフェリーストップとなりましたが、網膜剥離にならなかったら再挑戦されていたでしょうね-

「どうでしょう。やっていたかもしれませんけど、わからないですね。でも、金のためじゃないですからね。金は欲しかったですけど…。K-1とかにも誘われたんですよ。K-1は1試合1億円で、年に2回と言われましたから2億円ですよね。金のためだけだったらやってると思いますけど、金じゃないですから」

-やらなかった理由は?-

「僕はボクサーをやっていて、網膜剥離でやめた人間ですからね。それなのに金のためにK-1をやったら、ボクシングファンを裏切ることになると思ったんですよ。そういうのがあってやめました」

※竹原慎二プロフィール
1972年1月25日生まれ、広島県出身。1989年、プロボクサーデビュー。1995年、日本人で初めてミドル級世界チャンピオンに。1996年に引退後、芸能活動をスタート。バラエティー番組『ガチンコ!』(TBS系)のメイン企画「ファイトクラブ」のコーチ、主演映画『溝鼠VS毒虫」(2008年)、ドラマ『特命係長 只野仁』(テレビ朝日系)などテレビ、映画に出演。「竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジム」会長。サウナスーツやウォーキングシューズのプロデュース、講演会など幅広い分野で活躍。CS洋画専門チャンネル「ザ・シネマ」の「『クリード チャンプを継ぐ男』『ロッキー』放送記念:竹原慎二の選択」に出演。

©テレビ朝日

-ボクサーを引退後、ジムの経営、俳優業、実業家…色々な分野でご活躍されていますね-

「実業家ではないですけど、サウナスーツとかウォーキングシューズなどのプロデュースですね。Vシネマやドラマもいくつか出ていますけど、俳優は難しいでしょう(笑)。滑舌が悪いので。話がきたらもちろんやらせてもらいますけどね」

-ボクシングに興味がない方にも知られるようになったのは、やはり『ガチンコ!』でしょうね-

「そうですね。いろんな人に声をかけられるようになりました」

-ジムの壁に「川越少年刑務所」からの感謝状も飾られていますが、講演依頼も多いですか?-

「『ガチンコ!』をやっていたせいか、刑務所での講演の依頼も結構ありますね。行ってびっくりしたのは、昔はやんちゃなやつとか、暴力団関係者とかが多かったんですけど、今はほとんどがオレオレ詐欺の受け子とか、掛け子(電話をかけてだます役)とか、そういう連中が多いんですよ。もう時代は変わったみたいですね」

-軽い気持ちでアルバイトだと思っていたら大変なことに…という人もいるでしょうね-

「そうです。人生無駄にしますよね。もったいない。僕も昔はひどかったですからね。少しでも参考にしてくれればうれしいですけどね。

だいたいしゃべることは一緒なんですけど、僕も悪さをやってどうしようもなかったけど、ボクシングに出会えて、一歩踏み出して頑張ったら人生を変えることができたので、その体験談みたいなことを言っています」

©テレビ朝日

◆膀胱がんが発覚、余命1年と宣告され…

からだには人一倍自信があり、ボクサーを引退することになった網膜剥離以外は病気らしい病気をしたことがなかった竹原さん。そんな竹原さんが異変を感じたのは、2012年頃だったという。

-最初はどんな感じだったんですか-

「頻尿でトイレにしょっちゅう行くようになったんですよ。それでホームドクターに診てもらったんですが、“膀胱炎(ぼうこうえん)”だって言われて薬を出されたから飲んでいたんですけど、全然おさまらないんですよ。

それでまた相談したら、今度は前立腺炎とか前立腺肥大という病名をつけられて…。2001年からお世話になっている先生だし、こっちは素人だからわからないじゃないですか。そういうものだと思っていたんですよ」

-今はセカンドオピニオンとかサードオピニオンも当たり前のようになりましたが、違う病院に行ってみようとは思わなかったのですか-

「頻尿もすごかったし、痛みも出て悪化するばかりだったので不安はありましたけど、途中でよその病院に行っちゃ悪いかなあと思っちゃって…。その先生も『別に何もない』って言うから、『そうなんだ』って信じていたんですよね」

-それが変わったのは?-

「2013年の大晦日にトイレに行ったら、真っ赤な尿が出たんですよ。それでさすがに『これはやばいな』と思って違う病院に行ったらがんだと言われて…」

-最初に異変を感じてからがんがわかるまで、かなり時間がかかってしまいましたね-

「先生の言うことを信じていましたからね。最初に変だなと思ってから、もう1年以上経っていました。その病院で検査手術をやったら、その時点でもう最終段階になっていて、『今度は膀胱全摘しないといけません。最悪の場合は、余命1年です』と告げられたんです。

もう目の前が真っ白になって精神的に打ちのめされました。もう何もやらなくていい。死ぬんだなって思って、初めて女房の前で泣きました。『死ぬなら家で死にたい』って女房に言いましたからね」

一時は死ぬことさえ考えたという竹原さんだが、奥様の励ましで抗がん剤治療と手術を受けることを決断したという。そしてリンパ節の転移まで進み、余命1年とまで言われた状態から不屈の精神で生還。今年6月で丸5年になる。

次回後編では、手術、闘病生活について、また、がんとの過酷な戦いを克服し、映画『ロッキー』の主人公さながらの波乱万丈な人生を送ってきた竹原さんが出演するCS洋画専門チャンネル「ザ・シネマ」の「『クリード チャンプを継ぐ男』と『ロッキー』放送記念:竹原慎二の選択」について紹介。(津島令子)

※『見落とされた癌』
竹原慎二著 (株)双葉社

※CS洋画専門チャンネル「ザ・シネマ」にて竹原慎二さんインタビュー特別番組を放送!
『クリード チャンプを継ぐ男』「ロッキー」放送記念:竹原慎二の選択
出演:竹原慎二
放送時間:5月6日(祝・月)20:45~/5月18日(土)20:45~

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