鈴木雅之、86年からソロ活動を始めた理由。その裏にあるアーティストとの出会い
いま一番聞きたいあの人の言葉を心の奥底から引き出すインタビュー番組『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~』(BS朝日)。
3月16日(土)に放送される同番組には、ボーカリストの鈴木雅之が登場する。
1956年生まれ、東京湾にほど近い東京・大森で育った鈴木。町工場を営んでいた父と4歳上の姉は、無類の音楽好き。鈴木がいかにして音楽に、そしてソウルミュージックに魅せられていったのか。その原点は少し意外なものだった。
◆ソロ活動を始めた本当の理由
1975年、幼なじみたちとシャネルズを結成。
彼らが選んだのは、リズミカルなコーラスがからむ“ドゥーワップ”という音楽だった。日本ではまだ馴染みがなかったバンドのスタイルは、その後グループの強烈な個性となっていく。シャネルズは次第に音楽好きの間で知られる存在となり、アマチュアにも関わらずライブには大滝詠一や山下達郎の姿もあったそうだ。
鈴木にとって音楽は、仲間たちと楽しむための趣味だった。しかし23歳のとき、運命が変わる。1980年、シャネルズが『ランナウェイ』でプロデビュー。作詞を湯川れい子、作曲を井上大輔が手がけた楽曲は、デビュー作にも関わらず日本を席巻した。
シャネルズの結成からずっと応援していた鈴木の父親は、この成功を心の底から喜んでくれたという。
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1983年、グループは「ラッツ&スター」と名を変え、『め組のひと』で再び一大旋風を巻き起こす。時代は音楽番組が華やかだった80年代。サザンオールスターズやTHE ALFEEとも意外な接点があったという。
そして1986年、ソロ活動をスタートし、現在まで数多くの名曲を世に送り出している。順調だったグループに区切りをつけ、ソロ活動を始めた理由は何だったのか? その舞台裏には、あるアーティストとの出会いがあった。
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鈴木雅之の音楽活動を語る上で欠かせないものがある。それは、数々の女性と生み出してきたデュエットソング。その原点は、姉・鈴木聖美と歌って大ヒットした『ロンリー・チャップリン』だ。鈴木は、デュエットソングに隠された秘密や極意を語る。
また、今年3月13日に鈴木は3年ぶりとなるアルバム『Funky Flag』を発表。THE ALFEEの高見沢俊彦、元ピチカート・ファイヴの小西康陽、布袋寅泰など、1曲ごとに異なるプロデューサーを迎え、ボーカリスト・鈴木雅之の新たな魅力を引き出している。番組では、自信作という同アルバムのレコーディングの舞台裏についても語られる。
※番組情報:『ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~』
2019年3月16日(土)午後6:00~午後6:55、BS朝日