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両足矯正、小2で足首轢かれた…。有森裕子がマラソンで快挙を成し遂げるまで

いま一番聞きたいあの人の言葉を心の奥底から引き出すインタビュー番組『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~』(BS朝日)。

3月2日(土)に放送される同番組には、元マラソン選手の有森裕子が登場。

1992年のバルセロナオリンピックで銀、1996年のアトランタオリンピックで銅と、2大会連続でオリンピックメダリストとなった彼女がオリンピックの舞台裏を語る。

©BS朝日

1966年12月17日、岡山県岡山市に生まれた有森。生まれつき足の付け根の関節が外れていたため、幼い頃は両足に矯正バンドをつけていた。さらに、小学校2年生の時にはダンプカーに足首を轢かれるなど、身体のバランスが悪くランナーになる要素は全く持っていなかったという。

そんな有森が「陸上をやりたい」と思うキッカケになったある出来事とは?

大学までは国体やインターハイに出場したことがない無名の選手だった有森。“駄馬”と呼ばれた時代もあった。

そんな彼女が大学卒業後、名伯楽・小出義雄監督率いる社会人チーム・リクルートの門を叩く。実績のなかった彼女が小出監督を振り向かせた方法が語られる。

小出監督の下で指導を受け、有森の才能は一気に開花。マラソンを始めて1年、大阪国際女子で初マラソン日本最高記録、翌年2回目のマラソンで2時間28分1秒の日本最高記録を叩きだした。そしてバルセロナ五輪で銀メダル、4年後のアトランタ五輪では銅メダルを獲得。

2大会連続、五輪でメダル獲得という女子陸上界初の快挙を成し遂げた。まさに「日本女子マラソン界のパイオニア」だ。

しかし実は、銀メダルを獲得したレースの日の朝、有森をある悲劇が襲っていたという。その悲劇とは? そして、それをどう乗り越えたのか?

2007に現役を引退した有森。自らのキャリアを活かし、走ることを通して知的障害者や地雷で手足を失った人々への支援活動を行っている。

多岐にわたるスポーツへの貢献が国際オリンピック委員会からも称えられ、2010年、日本人として初めてIOC女性スポーツ賞を受賞した。

そんな有森が、15年近く日本記録が更新されていない日本女子マラソン界に思わず喝を入れる場面も…。

※番組情報:『ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~
2019年3月2日(土)午後6:00~午後6:55、BS朝日

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