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伊吹吾郎、『水戸黄門』で印籠出す指に“マニキュア”を塗っていた理由

©テレビ朝日

映画『仁義なき戦い』(1973年・深作欣二監督)の愚連隊・上田透役で鮮烈な印象を残し、テレビ時代劇『水戸黄門』(TBS系)では3代目格さんとして17年間悪者を成敗。「この紋所が目に入らぬか!」の決めゼリフを言ったのは500回以上という伊吹吾郎さん。

一昨年放送されたドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)でも町の不良グループを叩きのめし、ワイドショーのご意見番としても人気の伊吹さんにインタビュー。

©テレビ朝日

◆俳優になったきっかけは古賀メロディー

俳優としていぶし銀の魅力でさまざまな役柄を演じている伊吹さんだが、学生の頃は俳優志望ではなく、エンジニア志望。中学生のとき、夏休みの課題で作った東京タワーの模型が大好評だったこともあり、ものを作ることに興味を持つようになったという。そんな伊吹さんが俳優を目指すことになったのは、古賀メロディーがきっかけだった…。

「高校のときに帰ろうとしていたら職員室からギターの古賀メロディーが聞こえてきてね。国語の先生が弾いていたんですよ。それまで楽器には全く興味がなかったんだけど、そのギターの音色が頭から離れなくてね。

教えてもらうことにしたんだけど、その先生は演劇部の顧問だったから、演劇部の練習が終わるまで待たなくちゃいけなくて、その間演劇部の練習を見ていたんですよね。そのときは見ているだけだったんだけど、大学に行ってから、芝居をちょっとやってみたいと思って演劇部に入った次第です」

伊吹さんは入部して間もなく講師としてやってきた東宝の監督にすすめられて受けた「東宝ニューフェイス」に合格。東宝俳優養成所に6カ月間通うことになる。そして養成期間を終えた後、大学をやめて芝居に専念することにしようと「劇団 東宝現代劇」に入る。

-最初は舞台志望だったのですか-

「そう。2年8カ月、東宝芸能のいろいろな舞台をあちこちでやりましたけど、舞台というのは食べていくのが難しいので…」

-その間の生活はどのようにされていたんですか-

「親のすねかじりですよ。アルバイトも何もしなかったです。それで2年8カ月やって、『じゃあ映画、テレビに移ろう』ということで東宝をやめました。それが昭和43年(1968年)の5月で22歳でした。

それで、ちょい役みたいなのをやっていたんですけど、その年の11月にテレビ時代劇『無用ノ介』(日本テレビ系)のオーディションがあったんですよ。それに受かって、44年1月15日にクランクイン。23歳になったばかりでした。そして3月1日に第1回放送」

それまでオーディションに落ち続けた伊吹さんだったが、テレビ時代劇『無用ノ介』ではなんと主役に抜擢(ばってき)された。

-オーディションに受かったときはいかがでした?-

「それまでの5月から11月まではいろんなオーディションに行ったんだけど、バッタバタ落ちていましたからね。もう北海道に帰ろうかと思っていましたよ。でも、落ちてよかったんですよ。落ちたやつは鳴かず飛ばずの作品ばかりでしたからね。結果的には落ちて良かった。もし受かっていたら、『無用ノ介』のオーディションには行けませんでしたからね。

そのあとは東映と映画の契約をして、舞台は新国劇と契約をしました。比率的にはテレビが多かったですね。44年に『無用ノ介』が終わって、45年に大河ドラマ『樅ノ木は残った』。これは僕にとって初めてNHKに出演した大河ドラマでした。当時はいろんな制約がありましたけど、それをなんとかクリアしながら、映画を撮って、大河ドラマに出て、そしてたまに舞台をやるという感じでしたね」

※伊吹吾郎プロフィール
1946年1月2日生まれ。北海道出身。1969年、テレビ時代劇『無用ノ介』の主役に抜擢される。『樅ノ木は残った』(NHK)、『必殺仕事人』(テレビ朝日系)、『水戸黄門』(TBS系)、映画『仁義なき戦い』(1973年・深作欣二監督)などテレビ、映画に多数出演。『バイキング』(フジテレビ系)をはじめ、ワイドショーのコメンテーターとしても活躍。長年続けているフラメンコギターは、趣味の域を超えている。

©テレビ朝日

◆日本映画の流れを変えたといわれる映画『仁義なき戦い』

1950年頃から1972年にかけて広島で起こった、日本の暴力団抗争史上、最も多くの血を流したという“広島抗争”を元組長の獄中手記を基に作家・飯干晃一氏が出版した同名ノンフィクション小説を映画化した『仁義なき戦い』(深作欣二監督)が公開されて大ヒットを記録。伊吹さんは愚連隊からヤクザの舎弟になる上田透役を演じた。

「時代劇が映画もだめになって任侠路線、ポルノ、それで東映もこれではいかんということで実録路線になって、その一発目が『仁義なき戦い』だったんです」

-私は名画座で見たのですが、強烈でした-

「そうですね。あれはやっぱり本当に僕の役も含めて深作さんの手法というのかな、ダダダダって殺されて『何月何日、○○が死亡』ってバンとテロップが出て、それでまた色々ドンパチがあって、そのあと画面が止まって、『何月何日、○○が死亡』って出る。駆け足的なテンポで、役者連中もやっぱり画面と同じように躍動的というのかな。熱気にあふれていましたね」

-伊吹さんが演じた上田透は初めのほうでいきなり腕を切り落とされてビックリしました-

「そうですよね。それで僕は床屋で殺されるんですけれども、あれもセットではなくて山科の床屋を借りて撮影したんですよ。あの頃は広島では撮影できなかったですからね。こちらの方で全部セットを作って、あとは京都近郊で撮りました。

それで、撃たれるのと血のりが飛ぶのがシンクロしないといけないんですけども、あの頃は導火線があってスイッチを入れると血のりが飛ぶことになっているんだけれど、タイミングを合わせるのが難しくてね。1発目はシンクロしなかったんですよ。

ところが前の鏡に血のりがべったりついちゃったもんだから、それを全部拭いてもう1回やり直し。あれにすごい時間がかかったという思い出もあります」

-衝撃的なシーンがたくさんありました。昨年は『仁義なき戦い』の流れをくむ映画『孤狼の血』(白石和彌監督)が公開され、伊吹さんはこちらにも出演されていますね-

「東映流の実録ものでしたからね。最初に聞いたときは、本当に作れるのか半信半疑でした。今の時代によくぞ撮影に踏み切ったと思いますよ。

スタッフは違えども呉の同じような時代の場所設定で内容の設定も同じような感じなので、やっぱりやっていて楽しかったですよ。今回は刑務所の中だけでしたから出番は少なかったけれど、声をかけてもらって本当にうれしかったですね」

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◆格さん、印籠を出す指にマニキュアが…

1983年から17年間『水戸黄門』(TBS系)の格さんこと渥美格之進役をつとめた伊吹さん。「この紋所が目に入らぬか!」という決めゼリフとともに葵の紋所が入った印籠を出した数は500回以上にのぼるという。

「37歳から54歳まで17年間、京都に通いました。『水戸黄門』は日曜日は撮影がないんですよ。月曜日から土曜日まで撮影なんですけど、土曜日はレギュラーが出ていないところを撮影するので、レギュラーは月曜から金曜まで拘束。金曜の撮影が終わった後、東京に戻ってきて、また日曜日中に京都に入る。これが基本的なスタンスだったんです。

ところが事務所は土曜日と日曜日にイベントとかを入れちゃうから1カ月ぐらい東京に帰って来られないということがざらにありましたよ。自宅には『仕事で帰れない』って言って帰らないときもずいぶんあったなあ(笑)」

-撮影の合い間には麻雀やゴルフをされる方が多いですが-

「僕はやらないんですよ。あの頃は『水戸黄門』のスタッフを慰労するためにゴルフのコンペがあって、“水戸光圀賞”だとか、“助さん賞”、“格さん賞”とか色々あったんですよ。

僕はやらないから最初の3年間ぐらいは行かなかったんですけど、プロデューサーに『格さん賞を渡すだけでいいから』って言われてね。どうせ行くんだったらと思って急遽始めたんですけど、疲れに行くようなもんですよ。あちこち飛ぶ球を追いかけているんだからね(笑)。だから1年ぐらいでやめました」

-皆さん麻雀も結構やられていますね-

「そうそう。麻雀が好きな人というのは本当に好きだよね。休憩の時間でも撮影所の近くのお店に行ってやる人が多かったですよ。喫茶店がもうほとんど麻雀屋になっていたからね(笑)。僕も結構誘われたけど、ずっと断っていたら、そのうち誰も誘ってこなくなったので、ずっとギターを弾いていました」

-爪を保護するためにマニキュアを塗ってらっしゃるそうですね-

「そうなんですよ。生の爪だと減っちゃって折れたりするので、踊りの伴奏を主にやる人は、瞬間接着剤を塗って固めるんですよ。僕はソロなので、マニキュアのベースコートを半分だけ弦が当たるところだけ塗っています」

-ベースコートを塗ると光沢が出ますけれども『水戸黄門』の撮影は大丈夫だったんですか-

「印籠を出したときにアップになるじゃないですか。そのときにどうしても親指が映るんですけど、アップになると爪は伸びているわ、マニキュアは塗っているわで…(笑)。

プロデューサーが、『何とかならないか?』って言うんだけど、落とすと、帰ってレッスンするときに塗って乾くまで待たなきゃいけないしね。なんだかんだ言って結局最後まで通しちゃったんですよ(笑)。

フィルムのときにも言われていたんですけどね。最後の5年間はビデオになったので画質が鮮明なんですよ。それでカメラマンもアングルを変えながらやっていたんですけどダメでね。

撮影部さんがハレーションをとめるときに使うつや消しのスプレーがあるんですけど、それを爪にかけると光沢がある程度消えので、印籠を出すときだけそのスプレーをかけて、『この紋所が目に入らぬか!』ってやっていました(笑)」

伊吹さんがギターを弾くことを知らない人には、印籠を出すシーンのためにマニキュアを塗っていると思われたりしていたとか。次回後編では3月9日(土)から公開される映画『きばいやんせ!私』、ドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)の撮影裏話、バラエティー番組のロケに遭遇したエピソードを紹介。(津島令子)

(C)2018「きばいやんせ!私」製作委員会

※映画『きばいやんせ!私』3月9日(土)より有楽町スバル座ほか全国ロードショー
監督:武正晴  出演:夏帆 太賀 岡山天音 鶴見辰吾 愛華みれ 榎木孝明 伊吹吾郎

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