東京五輪の日本メダル1号が転身した“意外な職業”「365日休まないくらい努力した」
テニスの現役を退いてから、“応援”することを生きがいにしている松岡修造。
現在は2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックに向けて頑張る人たちを、「松岡修造の2020みんなできる宣言」と題して全国各地を駆け巡って応援している。
今回、修造が応援に行った人物は、秋田県に住む一ノ関史郎さん。
ウェイトリフティング選手だった一ノ関さんは、1964年の東京オリンピックで銅メダルを獲得。これは日本勢のメダル第1号だった。
日本のスポーツ史に名を刻んだ一ノ関さんだが、実は現在、意外にも“書道家”として「第二の人生」を送っている。バーベルから筆に持ち替えて、これまで多くの作品で賞を獲得してきた。
◆「“継続”は挑戦と一体なんです」
それにしても、一ノ関さんはなぜ書道家になったのか。そのキーワードは「挑戦」だ。
東京五輪で銅メダルを獲得した一ノ関さんは、続くメキシコオリンピックに向け、ある強いこだわりをもっていた。
「秋田で練習をして金メダルを獲る、田舎で金メダルを獲る!それが一つの挑戦でした。今と違って、自分一人で練習をやっていたんです」(一ノ関さん)
しかし、優勝候補として迎えた1968年のメキシコ大会で、結果はまさかの5位。大会直前に腰を痛めたのが敗因だった。そして怪我はその後も癒えず、現役引退を余儀なくされた。
選手としての「挑戦」を終えた一ノ関さんは、故郷・秋田で公務員になり、趣味で書道を始めた。
「ウェイトリフティングと似ているなと思いました。急いでも急には良くならないんです。最初、書く時、本当に下手くそでね。1年365日休まないくらい、努力をして…その“継続”が大事なんです。“継続”は挑戦と一体なんですよ。」(一ノ関さん)
たゆまぬ努力の末に、書道家となった一ノ関さん。今では地域の子供を集めて、書道教室も開き、次世代に向けて“あること”を伝えているという。
「スポーツ選手でも、何か目標を持っている人でも、挫折する人っていっぱいいると思います。その挫折をふまえて次の人生を歩んでいく上で、新しい目的や希望を持つことが大切なんです。
精神的なことも含め、これまで培ってきたものを継続し、自分を高めて、人間形成につなげていく。私はそうして“人生の金メダル”を目指します」(一ノ関さん)
「挑戦」すべきは「人生の金メダル」。それが、一ノ関さんが書道家になって気づいた大切なことだった。
人生2度目の東京オリンピックを控える中、その想いは強くなっている。
一ノ関さんの、できる宣言は『挑戦 挑戦 挑戦』。「挑戦」とは、いいときも悪いときも、結果が出ても出なくても、挑み続けること――。修造は、一ノ関さんに強くエールを送った。<制作:TOKYO応援宣言>
※番組情報:『TOKYO応援宣言』
毎週日曜あさ『サンデーLIVE!!』(午前5:50~)内で放送、「松岡修造の2020みんなできる宣言」も好評放送中、テレビ朝日系