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島袋寛子「いい音楽教育になった」幼い頃に祖母と聴いた、安全地帯の“あの名曲”

髙嶋政宏によるMCのもと、BS朝日とJ-WAVEが「平成」「音楽」をテーマにコラボレーション。平成の30年を音楽という側面から掘り下げる番組『My Anniversary SONG ~HEISEI SOUND ARCHIVE~』(BS朝日)。

2月15日(金)放送の同番組では、ゲストに元SPEEDの島袋寛子を迎え、思い出の曲について語り合う。

©BS朝日

1996年当時、平均年齢13.5歳でデビューしたSPEED。一世を風靡するも4年後の2000年に解散。デビュー当時は11歳、解散したのが15歳だった。

あの頃、実年齢よりも大人っぽく歌とダンスが上手いSPEEDに、日本中が驚いた。

沖縄でスクールに入ったのが3歳の時。歌とダンスを3歳で始めて11歳でデビュー、15歳で解散。早いペースで人生が進んでいった。

島袋の叔母はギラギラしている人で、記憶に残っているのは赤い口紅とマニキュアだった。幼い島袋を車に乗せて色々なところに連れて行ってくれた。

その車中でよく流れていたのが、安全地帯の『ワインレッドの心』。幼い頃から玉置さんの歌を聴いて育ったのは、「いい音楽教育だったと思う」と話す。

そして、人生が一変したというSPEEDの『Body&Soul』の大ヒット。いきなり売れて、どんなことが変わったのか、デビュー当時の秘話を披露する。

タレント養成所時代、「世界で1番のスターになれ」という感覚を叩き込まれた。あこがれていた美空ひばりさんの歌をよく聴いていた。当時、家にラジカセやコンポがなく、レッスン場で聴いた曲を耳コピして自主練習していた。

今回、美空ひばりさんの『われとわが身を眠らす子守唄』をスペシャルアレンジで披露する。

『ミス・サイゴン』のなかの『命をあげよう』という曲にある「捕まえなさい、チャンスを」という歌詞を、よく母から聞いていた。

ひとりで自分を育ててくれた母、この曲を聴くと母への想いが爆発するという。裕福ではなかったが、レッスンに通わせてくれた。心だけは貧しくなるなと言われていた感動秘話を明かす。

また島袋は、仲間とみんなでカラオケに行ったときも夫と2人でマイクを持って熱唱するそう。カラオケのなかでも、構成も何もかもが“神がかっている”というある曲とは?

<紹介楽曲>
『ワインレッドの心』(安全地帯)
『われとわが身を眠らす子守唄』(美空ひばり)
『童神』(古謝美佐子)
『カブトムシ』(aiko)

※番組情報:『My Anniversary SONG 〜HEISEI SOUND ARCHIVE〜
2019年2月15日(金)午後10:24~午後11:24、BS朝日(※「ATPワールドツアー500」が放送の場合、放送時間が変更または休止になる可能性があります)