筒井道隆「すごく苦しんだ」元キックボクシング選手の父の“教え”
19歳のときに映画『バタアシ金魚』(1990年)で主演デビューを果たし、同作品で第14回日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した筒井道隆さん。
ドラマ『あすなろ白書』(フジテレビ系)をはじめトレンディードラマで注目を集め、ドラマ、映画、舞台に欠かせない実力派俳優だが、俳優になったのは元キックボクシング選手で俳優である父・風間健さんに二者択一を迫られてのことだった。
◆厳しい父から逃れるため、小学生のとき、自転車で約350km!
-幼い頃からお父様にかなり厳しく育てられたと聞いていますが-
「厳しかったですよ。父が運動をしていたので、朝4時とか5時にたたき起こされて走らされて、そのあと筋トレ。
それから家のなかと庭の掃除をして学校に行くんですけど、運動は好きだったので、その流れで自転車にも乗るようになって、結構な距離を走っていましたね」
-小学生のときに東京から名古屋まで自転車で行ったこともあったそうですね-
「おばあちゃんの家があるので、小学校と中学校のときに1日半かけてひとりで行っていました。どこかでちょっと仮眠をとったりして。
当時はスマホとかがないので地図を切ってセロテープでとめて、そしてぬれないようにカバーをして持って。全部ひとりでやっていました」
-すごいですね。途中でイヤになったりしなかったんですか-
「それはなかったです。とにかく父が厳しかったので、その苦痛から解放されるという、その喜びですごい楽しかったです。
1万円もらって出発するんですけど、小学生で1万円もらったらうれしくないですか(笑)。途中で好きなものを食べて行っていました。それぐらい家にいるのがつらかったんですよ。
怒られることはありましたけど、家のなかで笑う会話とかは全然なかったですし、とにかく厳しかったので」
-そして、高校を卒業するときにお父様から、進路について二者択一を迫られたと…-
「父から『役者になるか、自衛隊に入るか、どちらか選べ』と。ひどいですよね…。高校生に向かってそれを選択肢にあげるというのが。
まあ、しょうがないとも思うんですけど、本来僕がベストだと思うのは、高校生の子にもっとたくさんの選択肢を与えるか、もしくは自分のなかからこうしたいというのを言わせるのが子育てだと思うんです。
それを親が強制的にどっちか選べというのは、すごく不親切だと僕は思います。僕は子どもだったから、わからないじゃないですか。でも、しょうがないですけどね、もう時間は戻らないですから」
◆父の教えで生きることすべてに“命がけ”!
父・風間健さんは、キックボクシング全盛期のスター選手のひとりで俳優としても活動していたこともあり、芸能事務所関係者から俳優にならないかと誘われていた筒井さん。
父から二者択一を迫られ、俳優になることを選んだ筒井さんは事務所に所属。それから間もなく受けた映画『バタアシ金魚』のオーディションで主役に抜てきされて映画デビューを果たし、映画、ドラマのオファーが次々と舞い込むようになる。
「僕もですけど、父もこんなにとんとん拍子にいくとは思ってなかったと思うんですよ。誰も想像つかなかったと思います」
-きっかけはともかく、30年あまり俳優として第一線で活躍されているので結果的に正しい選択だったのでは?-
「やっぱり父がすごく厳しかったですからね。生き方も厳しいし、だから何事も死ぬ気でやらなければいけないという思想で育てられましたから、多分何をやってもある程度はいったはずなんですよ。だって死を覚悟してやっているんですもん。それは何をやったって、絶対にうまくいきますよ。
ただ、問題はその後です。成功した後に自分というものがない場合はすごく迷いが生じるし、そこまでにちゃんと下地を作っておくべきなんですよ。
そこまで覚悟をさせてやるんだったら、もっと大人になったときに自分でちゃんと選択できるような人間に育て上げなければいけないのに、それをせずに、とにかく命がけでやるんだっていうことだけをたたき込まれてきましたから、すごく苦しみました」
※筒井道隆プロフィル
1971年3月31日生まれ。東京都出身。90年、映画『バタアシ金魚』で主演デビューし、第14回日本アカデミー賞新人俳優賞受賞。ドラマ『あすなろ白書』(93年・フジテレビ系)、『君といた夏』(94年・フジテレビ系)等でも脚光を浴び、映画、ドラマ、舞台と幅広く活躍。
近年の作品に、映画『64ロクヨン』(16年・瀬々敬久監督)、『ママレード・ボーイ』(18年・廣木隆一監督)、ドラマ『そろばん侍風の市兵衛』(18年・NHK)、『ハゲタカ』(18年・テレビ朝日系)など。
◆アイドル的ブレークも…“トレンディー俳優”の葛藤
-筒井さんが望むと望まざるとにかかわらず、トレンディー俳優として注目を集め、アイドル的な人気で大ブレークしましたが、ご自身としてはどうだったんですか-
「そうですね。すごく悩みました。だって有名になりたかったわけでもないですし、お金がいっぱい欲しかったわけでもないので。ただ一生懸命やっていただけでそんな風になっちゃって…で、こういう風な方向に行けばいいよというのも誰も教えてくれないし、つらかったです」
-お仕事の選択はご自身で判断されていたのですか-
「いえ、僕が自分で仕事を選びたいと言ったのは、30歳半ばくらいからですよ。
それまでは自分ごときが選べる立場じゃないと思っていたので、とにかく与えられたものを全力で、命をかけてやるということだけを信じてやってきたんですよ。
だけど、ある程度いったときに、『あぁ、こんなはずじゃなかった。この作品はやりたくなかった』と思ったときがあったんです。
でも、そんな覚悟で仕事をやるのはすごく失礼だと思ったし、だったら、もういい大人なんだから、自分でやると決めたものを自分の責任でやらなきゃいけないんじゃないかと思ったんです。
それから自分で選ばせてもらうようになったんですけど、当然事務所の方針もあるだろうから、相談はしていますけどね」
-30歳半ばまでは自分の意見を言わずに?-
「そうですね。そういう風に育てられたので。僕みたいな人間が…っていう風に言われて育っているから。でも、動いているお金もすごく大きいじゃないですか、今思うと。でも、お金に全く興味がなかったし…。
だけどみんな仕事としてやっている人だっていっぱいいるわけだから、そこにズレが出てくるんですよ。『お金じゃなくて、とにかく良いものを作りたいから僕は命をかけてるんだ』って思っていても、周りに『別にそこまで求めているわけじゃなくて、仕事としてやっているんだ』っていう人が結構いると、それはズレますよ。
だからそれを修正するのにすごく時間がかかったし、そういうのを若いときにちゃんと教えてくれていれば、もう少し楽にいけたかなあという思いはありますね」
◆三谷幸喜作品との出会いが転機に
毎回命をかけて苦悩しながら仕事に取り組んできた筒井さん。芝居が楽しいと感じたことはなかったというが、三谷幸喜さんの舞台を見たことで変化が。
「僕は映画から入っているので映画がすべてだと思っていて、舞台という選択肢が全然なかったんですよ。ちょうどドラマ『王様のレストラン』(フジテレビ系)のオファーをいただいたときで、その前に深津絵里さんに『三谷さんの芝居は面白いよ』って言われたんですよ。それで見に行ってみたらやっぱり面白くて」
-芝居に対する思いは変わりました?-
「はい。それまでは命をかけてやるということしかやってなかったから、笑わせるっていうことに対する難しさを学びました。
やっぱり西村雅彦さんとか白井晃さんとか、ほかにもそうそうたる方々がいたんですけれども、みんなすごい笑わせることが上手で、笑わせることに命をかけるのもありかと思ったりして…。
それで、笑わせたと思ったら泣かせたりするじゃないですか。両方できたらすごいなと思って。それで見本になる方がいっぱいいて、すごく吸収できました」
-映画にドラマに舞台にコンスタントにやっていらっしゃいますよね-
「そうですね。それはありがたいことだと思っています」
-若いときに主演をされていても年齢を重ねるとともに脇役にという方が多いなかで、一昨年もドラマ『リテイク 時をかける想い』(フジテレビ系)で主演をされていましたね-
「そうですね。あの作品にはとても感謝しています。すごく面白かったし、こういうふうにやればいいんだなっていうのをある程度試せたので。主役じゃないと試せないこともいっぱいあるから、それまでにいろいろ思っていたことを具現化できたのでうれしかったですね」
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インタビューに答える姿勢に誠実で真面目な人柄がにじむ。次回後編では2月9日(土)に公開される映画『洗骨』の撮影裏話、フランスとイタリアで完走した自転車レースを紹介。(津島令子)
※映画『洗骨』2月9日(土)より丸の内TOEI、シネマート新宿ほか全国ロードショー。
監督・脚本:照屋年之 出演:奥田瑛二 筒井道隆 水崎綾女 大島蓉子 坂本あきら
鈴木Q太郎 筒井真理子