富田靖子「大人になることがプレッシャーだった」10代で多数の主演映画、歌手デビューも
中学3年生のときに12万7000人のなかから選ばれて映画『アイコ十六歳』(1983年)で主演デビューを果たし、同時に歌手としても活動をスタートした富田靖子さん。
かれんで愛くるしいルックスで瞬く間にアイドルとして人気を集め、『さびしんぼう』(85年)、『BU・SU』(87年)と主演映画が続き、『BU・SU』でヨコハマ映画祭主演女優賞と高崎映画祭ベストアイドル賞を受賞。
デビュー以降、映画・テレビ・舞台・CMで活躍を続けている。NHK連続テレビ小説『あさが来た』(15年)、『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)など人気ドラマに欠かせない女優となり、現在2本の映画が公開中の富田さんにインタビュー。
◆中学3年生で上京、映画ヒロインデビュー
1983年に大規模なオーディションでキャストを募集した映画『アイコ十六歳』。応募者数は最終的に12万7000人にものぼった。主演女優選びに難航していたとき、プロデューサーの目にとまったのが福岡の中学生だった富田さんの写真。
すぐに福岡へと飛んだプロデューサーはオーディションでの富田さんのしぐさや発言でアイコのイメージと合致し、「この子でいきたい!」と即決したという。
―芸能界に入るということはご自身の希望だったのですか?―
「はい。オーディションを受けたいと思って、とりあえず『アイコ十六歳』を受けてみようと初めて応募したんですけど、そのままあれよあれよと言う間にという感じでした」
―12万7000人のなかから選ばれて主演デビュー。彗星(すいせい)の如く現れたという感じでしたね―
「そうですか? でも、中学校3年生だったので、家族としては受験のこともありましたし、すごく心配していたようでした」
―すごい応募者数でしたが、自分が選ばれると思っていました?―
「どうだっただろう? 妙な自信、意味のないものすごい自信はありました。
でも、それは後から大人になって振り返ってみると、もうちょっと何とかしてから出れば良かったと思ったりもします。
オーディションに合格して、1カ月後にはもう撮影に入っていたので、あまりにも無防備すぎる感じがあって…。『アイコ十六歳』にはそういう無防備な自分がものすごく映っていたので、今となっては恥ずかしいとしか言いようがないです」
―初々しくて可愛いかったですね。そして歌手活動もされて―
「もっと練習してからレコードを出せばいいのにって(笑)。本当に何の準備もなく、何の勉強もなく、あれよあれよと言う間にいろいろな経験をさせていただいたことは宝ではあるんですけれども、ちょっと無防備すぎるかなぁっていう気は個人的にあります(笑)」
―デビューしていきなり生活が変わったと思いますが、いかがでした?―
「特に違和感はなかったです。将来そういう仕事をしたいと思っていたので、それが思っていたよりも早かったというだけでしたから、特に何の違和感もなかったです」
―まだ中学生だったのに、しっかりしていたんですね―
「そうですね。あの頃の方がしっかりしていたと思います(笑)」
―映画やドラマの撮影、さらに歌手活動もあって、かなり忙しかったのでは?―
「そうですね。デビューしてから19歳ぐらいまでは、あまり記憶がないです。普通の高校に通っていたということもあって、学校には絶対に行かなくちゃいけなかったですし、そのなかで仕事もしていたので、正直なところ、あまり記憶がないです。断片的にはもちろん覚えているんですけれども」
―『アイコ十六歳』の後『さびしんぼう』『BU・SU』と作品が続いて、新人賞・主演女優賞など多くの賞を受賞されました―
「そうですね。驚きですね。10代でこれだけ賞をいただけるなんて。本当に良い作品に恵まれたというか、作品の力が大きかったと思います」
※富田靖子プロフィル
1969年2月27日生まれ。福岡県出身。中学在学中に映画『アイコ十六歳』(今関あきよし監督)で主演デビュー。同時に歌手デビュー。1984年、映画『さびしんぼう』(大林宣彦監督)に主演。1987年、映画『BU・SU』(市川準監督)に主演。
1990年、舞台『飛龍伝90殺戮の秋」(つかこうへい演出)に出演。日本・香港合作映画『南京の基督』(95年)、舞台『母と暮せば』(18年)等、映画、テレビ、舞台に多数出演している。
◆少女から大人への葛藤
―10代で主演映画が続き、成功を収めただけにご自身のなかでプレッシャーはありませんでした?―
「うまく大人になれなかったですね。急にある日突然、選挙権がということで選挙に行くようになって、もう大人だからということで、自分で決断しなければいけないことが色々と出てきて…。
最初の頃は大人のみなさんがフォローしてくださっていたことが、自分も大人になったことで、色々な決断を自分で徐々にしていかなければならなくなったときに、かなり戸惑いました。
今にして思うと、なんでそんなに戸惑っていたんだろうとは思うんですけど、当時は大人になることにとてもプレッシャーを感じていたように思います」
―同年代のお友達との間に距離みたいなものは感じていました?―
「それは感じていました。悩んでいる内容が違うので相談はできなかったですし…。
芝居のことを聞きたかったりとかしても、どう説明していいのかもわからないですし、そういう意味では高校時代の友達は社会人になってからの方が、仲がより深くなったように感じます。
仕事の悩みを共有できるようになってから、より友達関係が深くなりました」
―10代のときに友だちにも相談できなかった悩みなどはどのようにしてご自身の中で解消、解決されたのですか?―
「解決せずにそのままきました。解決する時間がなかったので、そのままもうダーッと走っていた感じがします」
―10代の頃からスクリーンのなかにご自身の歴史が記録として残っているわけですが、ご自身ではいかがですか―
「ほとんど反省と後悔ばかりですけれども、それでも『この作品良かったよ』とか、『この作品のこのシーンが記憶に残っているよ』って言われると、『あれで良かったんだ』なんてちょっとうれしくなったりはします。
個人的には何とも言えない微妙な気持ちだったりはするんですけどね。『こうすればよかったなぁ』とか、いろいろ思うことがあるので、素直な気持ちで自分の作品を見ることは多分一生ないと思うんです。
でも、見てくださった方の心に、もし少しでも響くものがあれば、『やってよかったんだ。間違いじゃなかったんだ。台本を読んだときのインスピレーションも間違いではなかったんだ』って思ったりします」
◆吉永小百合さん主演映画『母と暮せば』を舞台で
1990年、つかこうへいさん演出の舞台『飛龍伝90殺戮の秋』でヒロインを演じ、話題を集めた富田さん。昨年は、舞台『母と暮せば』(栗山民也演出・山田洋次監修)に主演。『炎の人 ヴァン・ゴッホ小伝』(2011年)以来、7年ぶりの舞台出演となった。
―昨年は『母と暮せば』の舞台もありましたね―
「あれは私がインスピレーションとか縁を感じたというよりも、演出家の栗山民也さんが、私の顔が浮かんだという話を人づてに聞いて。そういうのって絶対に大切だと思っているんですね。
7年前に栗山さんが演出された『炎の人 ヴァン・ゴッホ小伝』以降、全然舞台もやっていない自分にそういうものをもし感じていただけたとしたら、そこにかけてみたいと思ってお受けしました。でも、受けたのはいいんですけど、こんなに大変だとは思わなかったです(笑)」
―『飛龍伝』もすごく印象に残っていますが、またすごい作品に出演されるなあと思いました―
「そうですよね(笑)。2人芝居があんなにセリフが多いってよく考えればわかることなのに、お話を受けたときにはそこを考えなかったんですよね。
『これは人が覚えられる分量ですか?』っていうことを情けなくもお聞きしたりして(笑)。本当に大変で、のたうち回りました」
―舞台上でセリフが飛んじゃうようなことはないんですか?―
「飛ぶことはあるんですけれども、『母と暮らせば』に関しては息子役の松下洸平さんが、心強い力のある方だったので、全部フォローしてくれて全く問題ございませんでした(笑)。
飛龍伝のときも周りの男性のみなさんが、あの時代のすごい力のある俳優さんたちだったので、毎回支えられてばかりでやっていたという感じがします」
―無事に終えられていかがですか―
「多分『母と暮せば』はこのあとも、私じゃなくてもつないでいかなければいけない作品だと思うので、そういう作品に巡り会えたことがとても幸せだと思います。
もし、次回自分がまたやれるのであれば、その次の方にちゃんとバトンを渡せるように、またしっかりとやりたいなと思います。
『飛龍伝』もそうやって長い間続いていますしね。この先もきっと女優さん、俳優さんが変わっても続いていく作品ですし、そういう作品に出会えたことはすごく貴重だなぁって思います」
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大変だっただけに達成感も大きく、まだしばらくは『母と暮せば』の余韻に浸っていたいという。次回後編では、博多華丸さんとW主演をつとめ、肝っ玉母さんを演じた映画『めんたいぴりり』(公開中)の撮影裏話、意外なストレス解消法も紹介。(津島令子)
※映画『めんたいぴりり』新宿バルト9ほか全国公開中
監督:江口カン 出演:博多華丸 富田靖子 博多大吉(友情出演) 高田延彦 吉本実憂 柄本時生 でんでん
※映画『愛唄 -約束のナクヒト-』全国公開中
監督:川村泰祐 出演:横浜流星 清原果耶 飯島寛騎 成海璃子 財前直見 富田靖子 中山美穂