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金メダリスト・清水宏保、引退後は栄光から転落。今は従業員60人抱える経営者に

いま一番聞きたいあの人の言葉を心の奥底から引き出すインタビュー番組『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~』(BS朝日)。

©BS朝日

1月26日(土)に放送される同番組には、スピードスケート長野五輪金メダリストの清水宏保が登場する。

身長162cmと小柄ながら、1998年の長野五輪スピードスケート500mで日本史上初の金メダルを獲得。スピードスケート界の第一人者となる。

その後、36歳の引退までに世界新記録を4度更新、4度五輪に出場し金銀銅と3つのメダルを獲得。

引退後は大学院で医療経営学を学び経営者の道へ進む。次々に成功を収め、今では従業員60人を抱える経営者に成長。スピードスケートで世界のトップに立った清水が経営者の道へ進んだ理由を語る。

◆コーチは父。「清水!」と呼ばれ厳しいトレーニング

スピードスケート長野五輪金メダリストの清水宏保は、1974年2月27日、北海道帯広市に生まれる。4人兄弟の末っ子、喘息で体が弱く、体力づくりのために3歳でスケートを始める。

清水にスケートを教え付きっきりで厳しくコーチをしていたのは父親。「清水!」と呼ばれ、厳しいトレーニングを強いられていた。その背景には、余命宣告を受けた父の想いがあったという。

父が亡くなった後お金がかかるスケートを辞めるか悩んだが、「スケートを続けて欲しい」と引き止めたのは母親だった。大学へ通わせるため母親は土木現場で稼ぎ、兄や2人の姉からも仕送りをもらっていた。

その後、世界で活躍する選手となった清水は、長野五輪開催の2年半前に出場を内定される。金メダルに一番近い選手として異例中の異例の出来事だった。しかし意外にも、手放しで喜べないことがあったという。

1998年の長野五輪で、清水はアクシデントに襲われる。前のレースが中断され、スケジュールが大幅に遅れたのだ。しかしその直後、見事金メダルを獲得。集中力を途切らせない為に清水がとったある行動とは?

◆整骨院や高齢者向け介護施設を経営

そして2010年、36歳で現役引退。第2の人生を歩みはじめる。しかし待っていたのは挫折の日々だった。

結婚するも離婚、選挙に出馬するが落選。栄光から一気に転落していった。東京から札幌に戻り、無職で収入もない。しかし意外にも当時は、「ゼロでもいいのではないか」と思ったのだという。

2013年、整骨院を開業する。その後リハビリを目的とした高齢者向けの介護施設・訪問看護の運営、フィットネススタジオ開設と次々に成功を収める。

医療とスポーツの融合を目指すという清水流の経営術とは。そして、経営者になった理由とは? そこにはスポーツへの熱い想いがあった。

※番組情報:『ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~
2019年1月26日(土)午後6:00~午後6:55、BS朝日

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