岡本信人、CM年間契約金8万円が200万円に!“恩人”は石井ふく子
『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)をはじめ、数多くのホームドラマでおなじみの俳優・岡本信人さん。幼少期の食卓でつくしを食べたことがきっかけで、野草を食するようになり、著書も出版。それを機に『ナニコレ珍百景』(テレビ朝日系)などバラエティー番組にも多数出演。
『MATSUぼっち』(フジテレビ系)では、かねて激似だと評判のEXILE・松本利夫になりきってE-girlsのライブに潜入するなど、活躍の場を広げている。
◆野草を食べることは、長い間秘密にしていた
「道端の草を食べるって言ったら、信じられないという感じで引かれちゃいますからね(笑)。あまり人には言ってなかったんですよ。でも、ロケに行ったとき、スタッフに草を見て『あれは食べられるんだよ』とか『あれはうまいんだよ』とか言ってたんですよね、内緒にしつつ(笑)。
それでそんな話が伝わって、本を出さないかということになって。取材の話も来るようになったので、みんなにわかっちゃったようなところがありますね」
-最初にテレビで見たときはびっくりしました-
「そうですよね、やっぱり(笑)。だけど、考えてみると僕らの世代は戦後のベビーブームでしょう。東京の人にしても地方の人にしてもあまりものが豊かな時代ではないんですよね。
だから、特に田舎に住んでいる人というのはフキだとかセリとかはそこいら辺にありましたし、八百屋さんで買うと高いので、あるものは自分たちで取ってきて食べるというそんなことをやっていたんですね。川でハゼを釣ったり、フナを釣ってきたりとか、まるで平地のマタギみたいなことをやっていました(笑)」
-どこででも生きていけそうですね-
「そうです。ほんとにその気になればどこででも暮らしていけるみたいな感じでした。よもぎを摘んで行ってお袋に渡すとそれが草団子になって出てきて、きなこをつけて食べるとごちそうでしたね、おやつとしては。
チョコレートなんて欠けたやつを売っているくらいだったんだけど、それは医者の息子とか、バイオリンを習っているような子どもが食べていましたね、そういうものは。そういう時代だったんですよ」
-野草はずっと食べ続けていたのですか-
「いえ、劇団とか学校で精いっぱいだったので、10年ぐらいブランクがありました。
学校出て独立して一人暮らしをしたときに、日活の仕事がありまして、その途中に多摩川の土手があるんですね。そこでつくしの群生を見つけたときに『あーこれは食べたことがある』って思っていっぱい摘んで帰って炒めて食べたらまずかったんですよ。
それでお袋に電話して聞いたら、アクもハカマ(つくしの節にある輪状の葉)も取らなかったからだとわかったので、昔食べたうまい食べ方をしたいものだと思ってね。あれは煮浸しにして、そこに卵とじしたりして食べるととってもうまいんですよ。普通の野菜にはない食感があってね。つくしそのものにはそれほど味があるわけじゃないけれどもおいしいんですよ」
-野草を食べる理由は?-
「おいしいし、元気になれるような気がしますからね。自生して花を咲かせる強い生命力、その芽吹いたときの勢いというのはすごいと思うんですよ。無病息災を願う七草がゆと同じで、おまじないみたいな感じですね(笑)」
岡本さんはロケの帰りやウォーキングの際に、どこにどんな野草があるのかメモをしてレパートリーを増やしているそう。
これまで都内で見てきた野草は、食べられるものと毒草を合わせて約200種類。味見してみたものは70種類ぐらいだとか。植物を採集するのは許可が必要なところもあるので、採る場所にも注意し、毎年のように事故も起きているため、わからない野草、知らない野草は絶対に口にしないという。
「確実なもの以外は絶対に食べないでと言っておかないとね、お子さんには特に。うちの孫なんかも『僕も草を食べる』って言うから『やめてくれ。勝手に食べちゃダメだよ』って言っているんですよ。毒草は本当に危ないですからね」
◆EXILE・MATSU(松本利夫)さんと親子説?
“野草を食べる人”としてバラエティー番組で注目を集めるようになった岡本さん。野草だけにとどまらず、EXILEのMATSUさんに激似だとネットで話題に。
とうとうMATSUさんのバラエティー番組『MATSUぼっち』の特別企画「岡本信人、マツになる。」に登場。日焼け、ヒゲ、ヘアスタイル、衣装等、MATSUさんソックリに徹底改造。本人も絶賛するほどの激似ぶりで世間を驚かせた。
-EXILEの松本さんとは親子説がささやかれたりしていましたね-
「そうそう(笑)。若いときの顔がよく似ていて、それ(写真)はテレビでも出したんですけどね。だって彼とは30歳以上違うでしょう? それなのに今の僕と似ていると言ったら、彼に申し訳ないじゃないですか(笑)」
―でも、おふたりが同じシャツを着て並んでいるお写真は本当に良く似ていました-
「それでもってサプライズ出演でE-girlsさんのステージに上がるというのはね(笑)E-girlsさんに内緒でステージに出るときなんて打ち合わせをする時間もなくて、もうステージはどんどんライブで進んでいるわけですよ。そこに『出てください』って言われて、出なくちゃいけなくなったんですよ」
-いきなりですか-
「そう。それで渡された台本には僕が1分間踊るというように書いてあったんですよ。踊るって言われても僕は振り付けが分からないですからね。
MATSUさんに『どうしたら良いの?』って聞いたら、『じゃあこれでいいんじゃない? 手を頭の上でたたけばいいですよ』って言うんですよ。
で、暗いなかでスタッフが『じゃあ、ここでいいですよ』って言われてスタンバイしたら、すぐにパーンってライトがきちゃったから、手をたたいていたんですけどね。だから逆に緊張している暇もなかったわけ(笑)。
でも、E-girlsの皆さんがこっちをジロジロ見るしさ、こっちはニヤニヤしたらまずいなあと思うし、お客さんも何か変だぞっていう感じで見ているから焦りました(笑)」
-お芝居で舞台のご経験もいろいろあると思いますが、ライブステージだと全然違いますでしょう?-
「すごかったですね。もう緊張するとかいう範疇(はんちゅう)を超えてるんですよ。別世界ですから。だって、我々はどんなに多くてもお客さんが3000人。それが1万2000人とかですからね。
それも観客席が360度ですから本当に貴重な体験だったんですけど、もう何があったんだかわからないうちに終わったという感じでしたね。大変でした。
でも、MATSUさんに呼んでもらったことが本当にうれしくてね。芸能生活が長いですけど、まさかああいうステージに出るなんて思わなかったですし、あり得ないですよね」
-E-girlsの皆さんやお客さんはすぐに気づいたのでしょうか-
「ステージに上がっていくときにはわからなかったと思いますよ。でも、ステージに上がって、踊っている姿で『あれっ? おかしいぞ。身長もちょっと寸足らずでおかしいぞ』ってわかりますよね。皆さん同じEXILEグループですから。
知られているなかでやるというのは、…ものすごいジロジロと見ていましたからね。あれはやりにくかったですよ(笑)」
◆革ジャンのために格安ギャラでCM出演…怒られる!
石井ふく子プロデューサーのホームドラマや舞台の常連俳優となる一方、巨匠・市川崑監督から映画『吾輩は猫である』(1975年)の出演依頼が。
「僕は本当に運が良いと思います。市川崑監督が僕に水島寒月の役を下さるなんてね。仲代達矢さん(珍野苦沙弥役)と伊丹十三さん(迷亭役)と一緒に書斎でいつも話している寒月の役ですから、すごいことですよね。
何も怖いもの知らずで楽しかったんですけど、監督に呼ばれて『岡本君、僕の言う通りにしてもらっても困るんだよ。僕を超えてくれ』って言われたんですよ。
その意味がよくわからなかったんですけど、監督が言ったことをそのままじゃなくて、何かプラスアルファないのか…みたいなことだったんでしょうね。そのことは今でもものすごく頭にあります。
だけど、監督がその後に石坂浩二さん主演の金田一耕助シリーズの『悪魔の手毬唄』(77年)と『病院坂の首縊りの家』(79年)にも呼んでくださったので、いくらかは認めてくださったのかなと思うことが僕の自信にはなったんですけどね。
僕のなかでは、もう1本と言って下さったところで認められたということの完結なんですよ。良くなかったら次はないわけですから。そういうことがひそかな自信にはなっていますね」
-ずっと続いているというのも才能ですよね-
「そう言っていただけると大変お恥ずかしいんですけれども、僕は人に作ってもらった道に乗ってきたというだけのことでね。いろんなことがありましたよ。最初の事務所を閉めるということになった後にCMの話が来たんですよ。
料亭みたいなところに食事に行って、『岡本さん、ギャランティーですけど、年間契約で8並びでいかがですか』って言われて、『8並びっていうと?』って聞くと『8万8888円で、手取りで8万円です』って言われたんですよ。
僕はそのときに革のジャンパーで欲しいのがあってね。それがちょうど8万円だったの。『ジャンパーが買える』と思って、『お願いします』って言っちゃったんですよね(笑)。
で、それがオンエアされたら石井先生が『信人、あのCMのマネジメントは誰がやっているの?』って聞くから『僕です』って言ったんですよ。それで、『いくらでやっているの?』って聞かれたので、『年契約で8万円です』って言ったら『バカ! もうマネジャーを紹介するから』って言われて。(笑)」
-CM、年契約で8万円というのは、かなりの格安では?-
「何も知らなかったからね(笑)。それで、紹介してもらった人がマネジャーになったら、次の年、契約更改時に年間契約金が200万円になったんですよ。それでそのCMの撮影料40万円ももらえることになったの。マネジャーってすごいなと思いました(笑)。
それで36年間お世話になったんですけれども、その方がもう引退するというときに、どこかの事務所に行くとかそういうことを考えることができなかったので、とりあえず1人になっていたんですよ。
ちょうどそのときは『渡鬼』もお休みになっていて、1年ぐらい何も決まってなかったんですよ14、5年前のことなんですけどね。
だって何のツテもないし、マネジャーもいないんですから僕の連絡先もわからないだろうし、とにかくその後、ほとんど仕事の話がありませんでした」
約1年後、56歳のときに岡本さんは個人事務所「岡本事務所」を設立。
「もう71ですから体力的にもあちこち駆け回ってやることもないし、いいかなと思っているんだけども、とにかく看板だけはかけておこうというのが今の状態ですね。
連絡先だけはちゃんとわかるようにして、辞めてはいないんですよってね(笑)。だから声をかけていただければ行きますよ」
◆プライベートでは孫2人にメロメロ!
私生活では10歳と7歳のお孫さんがいる岡本さん。国内外の旅行、入学式、学芸会、習い事の発表会などで大忙しの毎日。楽しいおじいちゃんライフを満喫しているという。
「孫が可愛くてね。子どもだから期間限定じゃないですか。まだおじいちゃんと手をつないでくれるうちに思い出作りですよ。沖縄や北海道に行ったり、サイパンに行ったり、USJに行ったり…。
娘がそれをアルバムにして、本みたいに作ってくれて思い出にしてくれているんだけど、そういうことがいつまでできるかなぁって。もう時間との戦いみたいになっちゃうからね」
-入学式や学芸会などスケジュールもたてこんでいるみたいですね-
「そうなの。すごいのよ。行くのをすごい楽しみにしていて『おじいちゃん、来てくれるんだ』っていう感じなの。それで、行くと子どもたちがみんなね、大きな口を開けて一生懸命歌を歌うんですよ。ツバメの子どもみたいでね。もうそれが可愛くて。
みんなが歌っているだけでも涙が出てくるんだけれども、先生が『子どもたちが歌ったり、芝居をしているときに笑ったりとかハンカチ出して泣いたりしないでください』って言うんですよ。
泣いたり笑ったりすると、子どもたちがビックリして歌やお芝居を止めちゃうんですって。
みんな可愛いから泣いちゃうんだけど、それをやるとダメだって。
だから涙が出てくるんだけど、それを拭けないの(笑)。やばいなあと思って(笑)。もう涙ポロポロですよ。ほんとに可愛くてね。もう一生懸命歌を歌う、あんなに純粋な頃が僕たちにもあったのかなあって(笑)。本当に無垢(むく)なんだなぁって思いますね」
-お孫さんたちは岡本さんがテレビに出ていることについて何か言っていますか?-
「この間『徹子の部屋』に出たときに孫の写真を出してくださいと言われたんですよ。それで『今度出るからね』って言ったら娘が録画していたみたいで『おじいちゃんが出ていた番組で、僕も出たんだけど、ちゃんと映っていた』なんて言っていたのでね。関心はあるみたいですよ(笑)」
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お孫さんのお話になると、さらに優しい表情になり、幸せそうな笑顔が印象的。『ナニコレ珍百景』には8年間で約100回出演。野草キャラもすっかり定着し、町で子どもたちに「雑草の人」とか「天ぷらおじさん」と声をかけられることも多いそう。
野草だけでなく、E-girlsのステージや虫を食べるという企画にも挑戦。古希を迎えてもチャレンジ精神旺盛なところがすごい。(津島令子)